英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ

ポスドクの研究留学日記的なブログ

2012年2月28日火曜日

How to go 留学

今日は留学の話。そもそもどうやると留学できるのかということを知ってる限り紹介します。理系と文系で大きく異なると思いますが、それぞれのcaseについて列挙しておきます。

まずは学部生の時。これは大学が交換留学生などで募集している場合があります。慶應や筑波では英語の試験を受けてその上位数名が留学できるようです。期間は多くの場合1年間。この時に注意したいのが、単位の書き換えです。在籍する大学によっては単位の書き換えができず、ようは1年留年して留学する形になる所もあるようです。もちろん、むこうで取得した単位がそのまま日本の大学の単位になるところもあります。この場合は留年扱いにはならないですね。しかし、行った先で試験を受けて単位を取ることは相当に大変なようです。なにしろ日本の大学(特に学部)の単位取得の甘さは折り紙付きですからね。。。
単位の書き換えの可否は半分半分か、自分で選べるという場合もあるようです。また、この場合旅費や滞在費はほとんどの場合実費です。金持ちじゃないと無理でしょうか。。。

次にもっと単純な語学留学。これは留学???っていう感じですが、夏休みに1〜2ヶ月現地の語学学校に通うというもの。これは簡単。お金と時間とやる気さえあれば行けます。個人的にはこれは留学だとは思いません。語学学校って1週間単位で入学や卒業をやっているようで、いつでも入れるところが多いようです。ですから、その気になれば大学を休学して1年とかも行けるようです。・・・だとしても個人的にはそれを留学とは思いませんね。

次に大学院を受けるというもの。これは文系でも理系でも同じです。文系だとMBAが多いのでしょうか。これは学部を卒業する時に欧米諸国の大学院を受験して合格したら行けるというもの。すみません、筆者は詳しく知らないのですが、アメリカではTOEFL(英語)やSAT、ACTなどの適性試験を受ける必要があり、それをクリアした上で大学院試験をクリアする必要があるみたいです。もちろん入試無しで書類審査のみで入れる大学も多くありますが、まぁその辺の大学はそれなりのレベル、ということで理解してくれればと思います。イギリスに代表されるヨーロッパ諸国に関しても同様なようです。もちろん詳しく知らないので正確なことは言えませんが。

博士も似たような感じですが、専門の試験が普通の大学院の修士よりは難しい場合があると聞きます。もちろんTOEFLなども必要です。特別な措置がなされる場合は免除される場合もあるようですが、ほとんどは英語で専門分野の試験を受けなければならないようです。
 大学院の入学費や授業料、滞在費は当然実費です。これもお金に余裕がないと難しいでしょう。ごくごく希に博士課程においては給料をくれる場合もありますが、それはその人がスーパー優秀である場合に限ります。一般的ではないでしょう。

もう一つは会社に入ってから行くもの。会社が給料をくれながら行くというものです。もちろん滞在費はその給料から出すという形ですが。会社によってはボーナス無しという残念な場合もありますが。。。 これは理系の研究者や総合職のMBA取得に関しては多いように思います。その場合、まずTOEICのスコアが○○点以上、という制限がかけられるみたいです。それをクリアしてから選考対象になるようです。聞くところによると多くの場合700〜750点がそのラインでしょうか。そして何をやりたいか、とかそれが会社のためにどうプラスになるのか、ということを書く書類を提出したり面接されたりするみたいですね。研究者の場合、入社3年とかでは行けず、5〜10年くらいで行く場合が多いみたいですが、ほとんとはその間に素晴らしい成果を出してご褒美的に行くような感じを受けます。研究の視野を広げて、将来の研究のリーダーを養成するということでしょうかね。MBAに関しては、これは人事部の裁量で「これは」という人が選ばれるみたいです。間違いなく次世代の総合職系のリーダー養成でしょう。いずれの場合も会社に入って頑張った人に与えられるものだと理解しています。お金もらって行くんですから当たり前ですけど。

それからポスドク。私の場合です。大学院の博士が終わってから研究員として研究室の一員にしてもらうというもの。 博士課程の3年の春に行きたい研究室を探して申し込みします。ほとんどの場合は所属研究室の教授が手助けしてくれます。逆にそれが無いとまず、行きたいところに行くのは無理でしょう。ほとんどの場合は教授がいくつか候補を出してくれ、そこから選ぶという感じでしょうか。教授たちは海外の学会とかで知り合いになり、そのような人脈を使って申請をしてくれるのです。そのようなポスドクの受け入れに関しては教授同士の信頼関係の下に成り立っていますから、お互いが自信と信頼を持って受け入れたり送り出したりしているわけです。
多くの場合は始めの半年なり一年なりを私費で行くことになります。そこで一生懸命働いて成果を出して向こうの教授が認めてくれれば、給料を出してくれるというものです。これが最も一般的でしょうか。これも経済的な支援がかなり必要です。逆に給料をもらえる場合は大きく3つあります。
1つは日本の独立行政法人の支援を受けるというもの。後で詳しく書きますが、「海外学振」というものと「学振PD」というものは国の機関から給料がもらえます。ちなみの私の場合はPDです。給料をもらえる人の半分くらいはこの日本学術振興会の援助によるものだと思います。
2つ目は一般の留学支援する財団や会社から援助を受けるというものです。有名なものはアステラス製薬の財団や上原記念財団があり、これに通ると普通に生活できるくらいの給料がもらえます。内藤記念財団も有名ですが、これはもらえる給料が少なく他の支援も必要となるでしょう。その他様々な財団がありますが、ここでの列挙は省きます。後ほど載せるかもしれませんが。しかしその他の小さな財団の給料は額が小さいので、それだけで食べていけるというのはまず無理だと理解して下さい。
3つ目が、日本の教授の強い推薦によって始めから向こうの研究室から給料が出るというパターン。これはかなり希です。相当に優秀であり、論文数なども多く、誰が見ても認めるくらいじゃないと厳しいですね。特にポスドクの場合は教授間の信頼関係で成り立っていますから、日本の教授のかなり親しい友人レベルの先生に強く強く推薦してもらわないと厳しいでしょう。
あ、現在の所中国やシンガポール、インドなどの科学新興国に行く場合は簡単に給料出るかもしれないですが、まあそこに行きたいという人は極めて希でしょう。みんなスキルアップを目指して行く訳ですから。

実はこのポスドクで行くのは、年的にも親の援助が難しい場合も多く、また、27〜30という年で親の援助??という感じもあり、非常に難しい選択を迫られる場合が多いです。私の場合、運良くPDがあったので助かりましたが。読者には、そのへんの事情をわかってもらえればと、個人的には思います。

まとめると次のようになるでしょう。
①大学の交換留学(休学や留年扱いの場合有り、基本私費)
②短期語学留学(長期休暇期間中なら自由に行ける、私費。長期で行くなら休学が必要)
③大学院に行く(英語の試験、適性試験、専門の試験をクリアする必要あり、基本私費)
④会社から欧米の大学に出向(英語の社内基準と社内選抜をクリアする必要あり、基本給料は出る)
⑤ ポスドクで行く(教授の推薦が基本必要、基本最初の1年は私費、国や財団の支援を勝ち取れば給料はもらえる)

こんなところでしょうか。

2012年2月15日水曜日

そもそもの話②:イギリスかな

①の続き。

そんなこんなでポスドク行くことになったわけです。

じゃあ次はどこに行こう?ということになる。
そこで考えたことがある。

それは何を目指して行くのか、ということ。
僕の場合、ディスカッションをきちんとやりたいと思った。
ディスカッションを通して、新しい考え方を身につけたいと思った。
格好つけた言い方をすれば、哲学を学びたい、だろうか。

日本からポスドクに行くとなれば、候補は普通、2つだ。
アメリカかヨーロッパだろう。

これはあくまでうわさ話の域を出ないのだが。
アメリカはとにかく成果主義らしい。結果を出さなければ生き残れない。
ま、それはどこでも同じなのだろう。
しかし、その競争がとてつもなく激しいと聞く。
ポスドク同士が同じテーマで競い合うとかなんとか。
率直にそれはえぐいでしょ。
つぶされる可能性も充分あるし、僕の場合、つぶすということも考えられない。
実力的にも精神的にも苦痛かな。
そうじゃなくて、同僚の失敗も成功も共有する環境が好きだと思った。
哲学を学びたいから。
いろんな話をしたかったんだよな。
 アメリカでは自分のアイディアとかを隠すらしい。良い結果が出るまで。
そして教授は研究資金を獲得するために奔走していて、ラボにいる時間は少ないと聞いた。
そして実際の仕事は馬車馬とも。
ヘタしたらボスの駒扱いでひたすら体を動かさないと生き残って行けないとも。
うん、もしかしたらその自信がなかったのかもしれないな。
そういう意味でも勝てるという自信について深く考えることは避けていたと思う。
①にも書いたけど、自信というより覚悟の方が大きかったというのも、そういうことなのかもしれない。

やっぱり考え方をゆったりとした態度で学びたいんだな。
それじゃ、どこで考え方の共有をするのか。
アメリカではそれが想像できなかった。
競争するのは間違いないのだけど、その競争もつぶすつぶされるの競争じゃなくて、考え方の良し悪しを勉強したかった。

ヨーロッパは将に哲学の本場だと思う。
古代ギリシャの頃からの哲学の歴史を非常に大事にしているように感じている。
そこが自分の求めているものだと感じた。
考え方を磨くのには最適かなと。

実は今の教授もイギリスで学んだ経験があるので、そういう部分についても詳しく聞けたのが大きいとは思う。
その自分が求めるものが確実にあるという安心感が大きかったのだろう。
それでヨーロッパに決めた。

さて、そうなると、どこにしようか、となる。
少し自分で探してみた。
自分の専門領域で自分の目に止まる論文を出している人が、オーストリアにいた。
その人がいいなと思って現実的に考えるようになった。

話はそれるけど、私はクラシック音楽が好きなんだ。
私の心のゆとり。

先ほどのオーストリアの先生はどこにいるかと言うと。。。
ウィーン!音楽の都!!
これだべ!間違いない!!

自分の中でぐっと来たな。
それで教授に打診した。(純粋じゃない部分があるけど・・・)

結果、NO!!↓↓
理由は、その人をよく知らないし、噂も聞こえてこないので不安だということ。
先生の親心だと、勝手に解釈した。

それで困ってしまって、どこを選んで良いかわからなくなった。
で、先生に聞いた。
どこがいいですか?って。

それで紹介してもらったのがオックスフォード。
オックスフォード!?!?!?
ががーん!!と来ました。
まさか自分がそこに?と。

単純に行ってみたい!と思った。
だって学問の街じゃん!
学問楽しめそうじゃん!
あー、自分をよく見てくれているな、と感謝の気持ちも沸いた。

それでイギリス、オックスフォードになったわけさ。
あまりにあっけない感じだけど、そこを紹介してもらえたのは本当に良かったと感謝している。

そういう意味で、人のつながりは本当に大切だ。
特に自分のことをよくよく見て考えてくれる人の存在は。
例え厳しいことを言われても。
そしてそいういう人が助けてくれたことは絶対に忘れないと思うし。

人生、出会いというもので大きく変わることだってあるよね。

2012年2月13日月曜日

そもそものはなし:① 行こうかな

ポスドクって?何でイギリス?と思う人もいるかと思う。
私は4月かD先生の下でお世話になる予定ですが、しばらくは、そこまで至る経緯を書いておこう。

私は博士課程2年の終わりに、多くの人と同じように就職活動をしようと考えていた。専門は有機合成だから、製薬会社や化学会社に勤めようかなとぼんやりと妄想していたと記憶している。薬を作るっていうのもなんか格好良く感じたし、もっと下世話に製薬会社に行った先輩が就職3年で家を購入とか聞いていて、すげーと思っていた。やっぱり金持ちって目指したくなる。就職3年くらいでみんな結婚とかできている様だったし、自分もそういう年頃かなって思っていた。(彼女がいなかったので本末転倒だが・・・)

一方、私はDC2という給料を学振(後で書きますね。)からいただくことが決まっており、博士課程3年が終わった時に、期限がもう一年残る状態だった。つまり、大学院を卒業しても1年はその学振から給料がもらえるのだ。
(会社に行ったらもらえませんよ。学術機関に残る場合のみです。)
そういう事情もあり、「海外の大学でポスドクやればいいじゃないか!」と現在の教授に言われたのが始まり。
酒を飲んだ席での話だったので(けっこう飲んでた・・・)、若干怪しげではあったが、あ、行けるんだ、その時に思った(不鮮明な記憶がある)。
大学の教員になることが夢だったし、その道に入っても良いんだ、と思った。
(紆余曲折があって大学教員を目指したけど、そのことも後ほどまとめて書こう。)

しかし、すんなり決めたわけではなかった。ポスドクやその先の厳しさを知っているから。ポスドク、一般的に広い意味で留学というとかなり聞こえが良いように思う。しかし現実はそんな生ぬるいものではない。これまでに何人のポスドクが研究室を転々として苦しい生活を余儀なくされて来たことか。。。いわゆるガチ契約社員なんですよ、ポスドクって。契約を切られたら即終了。まぢ、しゅ〜りょ〜って感じです。どこか働く場所を見つけなければならない。
様々な研究室を転々とした後に、良い大学のポスト(助教なり講師なり)や研究機関の研究職(理化学研究所など)に着ければ良いが、その門も非常に狭いもの。どこかの会社で中途採用で雇ってくれれば御の字とも聞く。定職につけない人がとても多くいるのです。
そのような状態ではローンを組めなかったりするし、給料は安いので家どころか結婚も厳しい。 ポスドクをやってサクセスロードを歩む人は決して多くない。それをぜひ、読者の人には理解してもらいたいと思う。(このことについてはまた後で)

話がそれました。つまりポスドクをやる以上、その先の安定な生活は望めないということ。それでもやっていく覚悟と自信があるのか、ということだった。

私の場合、自信は正直あまりなかった。少し、、、かな。
でも覚悟はあった。失敗してもいいや、という。人間らしい生活を送ることが難しくなったら、雇ってくれる所で掃除でも判子押しでも何でもやるさっていう、そういう覚悟。
そう思ったら調子にのるのが私の性格。
行けるところまで行ったらいーじゃん。完膚無きまで叩きのめされるまでやってやろうじゃん。
と、 極端に楽観的になる。

次にまたまた調子にのって、あろうことか強引に名誉教授(76歳)に相談してしまった。学会で捕まえていきなり相談したのだが。
今考えれば強引だったなと反省している。しかし、懐の深い名誉教授はゆったりと私の話を聞いて、将に長老的なご意見をくださった。

Bossが行ったらどうだと言ってるんだろう?じゃあ行きなさいよ。」

はい、としか言えない、何とも言えない雰囲気の漂う言葉だった。
これで決まったようなものだ。
その他、ポスドク以降の生き方についても相談したのだが、そのことについては後で書こう。

両親にも相談はしたが、案外すんなりとGoサインをくれた。母親はけっこう心配していたが、まぁどうにかなるでしょう、という鬼の楽観主義的な結論を出してくれた。

それで、行くか、となったわけです。
そう、たまには鬼の楽観主義も必要。

2012年2月12日日曜日

さあ、はじめよう。

博士論文の発表も終わり、穏やかな日々を過ごしています。
あと2ヶ月後にはイギリスへと旅立つ予定です。

私は有機合成化学者です。
私のように大学院で博士号を取得した後にポスドクとして海外に行く人はけっこういます。
将来一人前の研究者や大学教員になるために。でも多くの人はアメリカに行きます。
私のようにイギリスをはじめとするヨーローッパ諸国に行く人は意外と少ないようです。
ですから、Oxfordに関する情報も少ないのです。
留学体験記と言えば語学留学や政治学や文学、芸術関係などの本が多く、理系、中でも化学系のポスドクの話などは非常に少ないようです。

私は実験系の研究の日々を送って来ましたが、日本という国の教育や政治、社会問題について考えることも多くありました。
イギリスという異国に来ると、日本とイギリスの違いを感じて、また考えることもあるでしょう。その意味では日本という国を考えるのにはとても良い機会だと思います。

私が体験したことや考えたことの記録として。
これからポスドクとして留学を考える人の情報源として。
また、日本で高等教育や科学政策、さらに社会問題を考える人の参考として。
そして単純にOxfordやEngland(時々London)の生活に興味がある人の読み物として。

ここではやっていこうと思います。
かたいことも、ゆるいことも、書いて行く予定です。

さあ、はじめよう。