英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ

ポスドクの研究留学日記的なブログ

2012年3月27日火曜日

そもそもの、そもそもの話 ② 博士に行こう

こないだの①に引き続きです。
僕が博士に進学することを決めた理由。

男にはプライドがあります。
それが僕の場合、社会不適合者→博士、というレッテルを貼られるは嫌だということ。
それで大企業の内定を取ってからじっくり考えたい、と思いました。
これってものすごく失礼極まりないし、こんなこと教授に言ったらぶん殴られると思います。でも、譲れませんでした。(そんなことを、面接でもはっきりと言っていましたが。)

さて、内定をいただいてから決断までに半年あったわけですけど、それまでに考えたことを記しておきます。

一つ。
仕事のスタイルには何があるか。
お金を稼ぐ手段。お金を使って好きなことをやるために、仕事は割り切る、という考え方。そういう場合、自分じゃなくて他人でもできることが多い。
自分はそういう仕事には興味が無い。
なので、自分の存在価値をお金に換えたいと思った。
それは会社に入ったり、官僚になったり、政治家を目指したり、研究者になったりして、自分の存在価値が見出される所はどこなのかを考えました。
決断した時は「今自分がやっている研究が最も自分の存在価値を見出す場である」ということでした。
他人でも簡単にできる、自分がやらなくても誰かが必ずやるっていうことを、やりたいわけではないと思いました。

一つ。
今やっている研究を終わらせることができないことについて。
これは本当に悔しいと思った。自分が自画自賛できる結果を一つだけ持っていたが、それを完全な形にできていなかったので。その成果を次の誰かに持って行かれるというのは、嫌だった。っていうか、そのくらい一生懸命に実験をしていたということだと思います。

一つ。
理系の復権はいつでも今でも考えていますが、その考えの自己矛盾について。
博士をもっと上手く社会に組み込む、とか、理系技術系のリーダーを増やす、とか。
それを実現するために色々とシステムを考えるのだけど、それをやろうとした時に、どれだけ人がついてくるか、ということ。博士は素晴らしいと言っておきながら、自分は博士じゃない。理系の復権を唱えて専門知識を持った現場の理系技術者を幹部に登用する、とか言っておきながら自分は現場上がりじゃない。自分が偉くならないとシステム構築ができないと考えていたので、出世するなら今まで通りの出世コースに乗らなくては難しいと考えていた。つまり、会社に入ったら偉くなるために、早々と研究現場は離れざるを得ないと予想していた。これが自分の成し遂げたいことと、自分のやって行くこととの矛盾。
自分の経験を通してのし上がって行かないと意味がない、と思っていました。
しかし、それは今のシステムでは非常に非常に難しいということもわかっていました。
昔から、博士になったら偉くなれない、って色々な先生に言われてましたから。
ここに自己矛盾が生じていたのです。

決め手は教授の言葉でした。

「ジェネラリストはスペシャリストにはなれない。スペシャリストにはジェネラリストになれる可能性が大いにある。」

そうなんです、それに気がつきましたねつまり、僕がやろうとしていることは博士まで進学してもできるんです。というか、ジェネラリスト(広く浅くやる人)ばかりが引っ張っているのが今のシステムです。それが破綻しているのは明らかに思えます。スペシャリスト(専門家) の発言権や力が非常に弱い。それを変える必要があるのです。しかし、中には発言権を持っている専門家はいるのです。それはスペシャリストでありながらジェネラリストでもある人です。世界でも指折りの実力を専門分野において持っていながら、他分野のこも理解できる、という人です。
自分の目指すものはこれだ、と思いましたね。
だから、博士と言っても自分の専門分野のことだけに興味を持つのではなくて、他分野のことまで考えられる博士を目指そうという気持ちになりました。
そのためには、以前にも書いたように、かなりのいばらの道を行かなければならないし、お金の心配もしなければならないです。
給料も絶対に安い。安定もしない。 更に世間体もあまりよろしくない。大企業に勤めるほうがよっぽどウケがいい。
しかし、もう、覚悟するしかなかったので、それで良いと思えました。

お金も捨てます。
安定も捨てます。
地位も名誉も捨てます。

でも、やりたいことは捨てません。
そういうプライドは捨てません。

これが自分が守ったものです。


修士から博士、そしてポスドクと。
一連の流れの中で考えてきたことをまとめました。
自分が考えたことが正解かどうかは解りません。

一つの正解だと思えるように努力するのみなのです。




2012年3月20日火曜日

VISAあれこれ

年が明けてからVISAを取得する準備をしてきた。イギリスは6ヶ月以上滞在するためにはVISAが必要です。なのでどうしても取らなきゃならなかったわけです。
正直、とても大変だった・・・(汗 始めはどうして良いかまったく解らなかったし。
そこで、今日はイギリスのVISAについてまとめてみたいと思います。
(最後に参考にしたHPのURLも載せておきますね。)

まずはVISAの種類について。イギリスのVISAには色々と種類があって私も全て詳しくを知っているわけではありません。自分のことにいっぱいいっぱいで、関係あるところしか解りませんでした。基本的にこのblogを読んでくれている人が関係あるのはTier4とTier5だと思います。Tier4というのは主に学生ビザです。語学留学とかする人はこのTier4 Student visaを取得することになるでしょう。このTier4のVISAの取得に関してはネットに様々な情報が出ています。ビザ取得を支援してくれる人や企業もあるみたいですね。
やってみて解ったんですけど、とにかく面倒。これがビジネスになるのも解る気がします。
さて、私のVISAはTier5 (Temporary workers Government Authorised Exchange) という種類のビザなのですが、これはもう、本当に情報が少ない!!ということで書きます。

Tier4もTier5も似ているところが多いので、参考になるかと思います。

まず私の場合、留学っぽいのですが給料を日本からもらっていくので学生じゃないし・・・ということでどの種類のビザを取得すればよいかが不明でした。そこでネットで検索するわけです。「イギリス ビザ」みたいに。すると「VFS Global Japan」なるものに行き着きました。そこのお問い合わせにメールしました。そこでアドバイスを受けたのが、TIer4かTIer5だろうということ。しかし、ビザの種類は受け入れ先が決めるということでした。そしてTier4の場合は受け入れ機関にCAS Number(Certificate of Acceptance of Study,入学を許可する番号)を、Tier5の場合はCOS Number(Certificate of Sponsorship、労働を許可する番号)が必要とのことでした。


ありがとー。ということで、さっそくOxfordに問い合わせです。
まずBossに連絡したところ、専門の部署があるらしく、そこの女性からメールが来ました。
まず私は「sponsored researcher」という扱いらしい。そして私の給料元である日本学術振興会(JSPS)の詳細について教えてくれとの旨だった。具体的には正式名称、住所、代表者名と連絡先、私の肩書き、私の電話番号だった。そしてパスポートのコピー、生体認証カードのコピー(これは持っていないので送っていない)、給料をもらえる期間のを照明する物、それから渡航期間を記した証明書を要求された。
給料の証明書に関してはJSPSに英語で作成してもらった。1週間かかったけど。
しかし、渡航期間に関する証明書はJSPSでは出せないので、しかたなく今の教授に作成してもらった。大学の正式文書みたいな感じで教授のサインが入っていればOKみたいだったので、適当な感じの物を作ってもらった。(こんな個人的に作った物じゃダメだろう?的な偏見が相当あったので、英語で説明されてもどの様な物を要求しているのかさっぱり解らなかった。しかし、以前他の国から来た人のサンプルを送ってもらってやって理解できた、こんなに適当でいいんだ、と。)


2週間くらいすると、今度はWordファイルが添付で送られてきた。先ほども書いたが、私はTier5を申請するのだが、その時に必要なCOS Numberを取得するための書類のようだ。項目は色々あるが、とりあえずできるだけ自分で埋めろということだったので、とりあえず埋めた。この時Maintenanceというものがあった。これが後ほど悲劇を引き起こすことになるのだが、非常に重要な項目であることにこの時は気づいていなかった。Maintenanceというのは、いわゆる保証制度みたいなもんで、「もし突然給料がもらえなくなったり、お金が無くなってしまってどうしようもない時に、国に帰るくらいのお金を与えてあげます」ということです。ま、強制送還になった時とかのことかな。それがYesの場合はけっこうVISA取得に向けて前進するようです。Noだと取得が少し面倒で難しくなります。しかし、これは受け入れ先が決めるもの。私が決めることはできません。
私の場合、運良くYesでした。しかしその時にその重要性には一切気がつきませんでしたが。

それから2週間ほどして(催促メールを2回くらいして)COS Numberが発行された。COS Numberが記されたpdfファイルと共に。このファイルはVISA申請の時にとても重要です。なくしてはいけません。そしてpdfファイルに記載している内容を確認したところ、住所に間違いがあったので、急いで修正してもらいました。

これでやっとVISAが申請できるようになったわけです。
としてUK VISA申請センターの「UK Border Agency」のサイトで申請を開始しました。
全て英語で書かれているので、本当に面倒です。日本語ページもたまにありますが、英語を不自然な日本語に直してあるので、非常にわかりににいくい。ものすごいストレスでした。

申請はオンラインでやります。TIer5のところに行って申請を開始します。
申請書類はVAF9というものです。HPの言われるままに申請書類を書いていきます。質問事項が多く、非常に面倒です。両親の出生地まで聞かれます。仕方ないですが。それから海外渡航歴、ほとんど全て答えされられます。テロリスト関連の質問もやたら多いですが全てNOです。当たり前ですが。
VAF9の書類を作成した後は手数料の支払いとビザセンターに行って実際の申請を行う日時の予約です。オンラインで申請する時にクレジットで支払うのが一番手っ取り早いでしょう。金額は25,000円くらいしましたね。高い!!そして予約しないと実際の申請はできません。私の場合は3日後の朝を予約しました。この時に区分がsettlementとNon-settlementがあるのですが、よく解らないですが、Non-settlementだそうです。これで後は書類を印刷して行くだけです。(実はここでかなりの一悶着ありましたが、それは最後に書きます。)
そしてその前にもう一つAppendix6という物を作成する必要がありました。これはCOS関連みたいですね。これはオンラインじゃないので、pdfファイルをダウンロードして手書きで記入しました。
これらVAF9とAppendix6には自分の名前をサインするところがあるのですが、これはパスポートと同じ物を要求されます。なのでパスポートが漢字の人は漢字で、英語の人は英語で書かなければなりません。

申請当日に必要な物を列挙しておきます。
申請書の印刷(VAF9 Appendix6)、COSのpfdファイルを印刷した物、COSが発行された時のメールを印刷した物、パスポート、そしてこれら全てのコピーを一部。
それからパスポート用写真一枚、と申請予約を確認する旨が書かれた紙(予約した時に印刷できます)。ですね。

当日は入り口に行くと、予約の紙を見せろと言われて、警備員に身体検査と手荷物検査を受けます。順番待ちをして1時間くらいしてやっと申請開始です。ちなみに予約時間の10分以上前に来るなと予約の紙に書いてあります。1時間待たせるならもう少し遅くてもいーじゃんと思いますね。

そして私の番です。書類を提出して、写真を見せたらメガネにフラッシュの光が反射していて(って言ってもほんの少しですよ!)ダメって言われて。。。その場で取り直しです。700円の無駄遣いですが。メガネ外して撮り直しました。その時にパスポートも同時に提出します。ビザが発行されるまでパスポートは手元に無くなります。その間に海外に渡航する必要がある場合は、何らかの措置があるみたいですね。詳しくは解りませんが。
そしてお次は、指紋採取です。10本全部採られました!!!なんか気分悪いですねー。
これで終了です。
審査結果がオンラインで見られるみたいです。ビザが発行された場合、申請センターに取りに行くか、郵送が可能です。郵送は更に1575円かかりますが。


ということで、今、その結果を待っているところです。


さて、先ほど非常に重要と言ったMaintenanceと一悶着あった話をしておきます。
実は予約をした時にその紙に「Check list」なるものに書かれている書類を持ってこい、と書かれているのです。 しかし、そんなCheck listなどHPのどこを探しても見あたりません。そこでネット情報に頼ることにしました。状況は少し違う見たいですが、同じTier5に申請した人の話が書かれたblogを発見したのでその情報に従いました。
するとです!!銀行の通帳と過去3ヶ月分の利用記録の英語翻訳が必要と書いてあるんです!!!「なんだとー??!!!」ということで慌ててその情報を集めました。すると、なんと、自分の英語翻訳はダメで翻訳専門の機関でプロにやってもらわないとダメとのこと。お勧めの会社がUK Border Agencyのサイトにには載ってる(ただし、これは日本語の書類を提出する場合には英語翻訳とその翻訳者のサイン入りの翻訳証明書を一緒に提出すること、という内容です)。 しかたないので、ソッコーでその会社に連絡してソッコーで通帳のコピーをスキャナで取り込んだファイルを送って、入金して超特急でやってもらった。なんとそれで15000円も取られた!!くー、良い商売だ。
で、申請センターで提出したら・・・「いらないですよー。」だそうです!!!
は??? ということで詳しく聞いたら、MaintenaceがNoの人は通帳関連の書類が必要でYesの人はいらないとのこと。。。。Bloody hell!!!完全に15000円無駄しました。っていうか、そのCheck listなる物がどこにあるんだ?って話になって、聞いたら、「そのlistはありません。各国共通の予約の紙を使っているんですが、日本の場合はそのCheck listはないんです。だから気にしなくて良いですよ。

はい??まぢ無責任ですわー。気にしなくて良いなら書くな!!!絶対Check list探す人いるし。完全に泣き寝入りですわ。

ということでUK VISAを申請することがある人はご注意を。

最後に私が参考にしたサイトのURLを乗っけておきます。
http://www.ukba.homeoffice.gov.uk/countries/japan/applying/?langname=Japanese 
http://www.london.ne.jp/staff/nyukoku.html 
http://blog.livedoor.jp/studyabroad777/archives/cat_122053.html
http://d.hatena.ne.jp/hobby_hobby/20110604/1307193827
http://yutblog.shamny.com/?p=128
http://www.ukeducation.jp/services/visa-support/
http://grapp.jugem.jp/?eid=133


以上です。

2012年3月12日月曜日

どっぷりとした休日(S・Jobsと共に)

日本で休日を過ごすのもわずかになってきました。
ここ数日はVISAの申請の事で頭がいっぱいです・・・スーパーめんどくさい!!!!
せめてガイダンス資料くらい日本語にしてくれ。。。
これ代行業者とかいたら絶対もうかるよ。。。ま、良い経験です。
そのうちVISAの取り方についてもまとめますね。

と、焦っている様ですが、今日は完全にだらけてましたね。「ざ・休日」です。
久しぶりに本を読もうと思って読書しました。ジョブズの自伝。今日はⅠのみです。
好きなんですよね。スティーブ・ジョブズ。あまり経営者ってお金にまみれてる感じで好きじゃないんですが、彼は本当に好きです。尊敬できるところが多いし、僕の理想をことごとくやっている感じがするんです。そう、前回書いたところの理系の復権みたいな。
だって、自分で作ってそれを自分で売って、会社も経営して。作る技術者をアーティストと読んで、誇りを持たせ、素晴らしい製品を作らせる。投資した人より作った人が偉いと主張する姿勢。大好きです。マッキントッシュの箱の中には技術者のサインが刻印されているみたいだけど、今でもmacの製品はそうなんだろうか。。。
こういうアーティストという感覚が、とてつもなく好きです。

ここでは、2巻のうち前半を読んで心に残った言葉を挙げておきます。

優れた芸術家はまねる、偉大な芸術家は盗む」(ピカソの言葉ですが)
これは僕のChemistryの世界でも言えること。

人文科学と技術の交差点で生きるのが好きなんだ
これ、大好き!自分もどっかの交差点で仕事したいと強く思わせてくれます。彼は。

洗練を突き詰めると簡潔になる」(ダ・ビンチの言葉)
なるほど。これ、Total synthesisにも言えます。だから偉大な人の合成はエレガントなんだな。近代モダニズム建築のル・コルビジェとか、ミース・ファン・デル・ローエとかが「less is more」とか言ってるのと同じかな。

未来を予測する最良の方法は、自分で作り上げることだ
そのとーり。しかし難しい。

着想と創造の間には闇がある
Total synthesisもスキームと合成の間には闇がありますね。やった人は偉いんですね。そのためにとんでもない努力も必要なんだ。

アーティストは作品にサインを入れるんだ
僕も一科学者としてだけど、アーティストでいたい。Total synthesisのペーパーとか、実験項のNMRチャートにサイン入れてもいーんじゃね?(笑

出荷するのが真のアーティストだ
はい。Total synthesisするのが真のアーティスト(サイエンティスト、ケミスト)だ。

すばらしい収穫は粗末な物から生まれる。喜びは我慢から生まれる
まったくそのとーり。じっくり取り組めない人には、本当の歓喜はわからないままだ。

無限の彼方へ さあ行くぞ!
(笑 そりゃ、ジョブズの現実歪曲フィールドで言われたら、本気になっちゃうな。


以上です。D論終わって「The 休日」を取ることが多くなったけど、ゆとりっていいですね。

今日はウイスキー片手に書いた日記でした。

P.S. あれから1年がたちます。亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
  また、被災された方々のご心痛をお察し申し上げます。

「悲しみの果ては 素晴らしい日々を送って行こうぜ」



2012年3月9日金曜日

そもそもの、そもそもの話 就活から博士へ①

これは自分のために書くのだけど、自分はすんなり博士課程進学を決めて、ポスドクへの道を選んだ訳ではない。ポスドクに行くのも悩んだけど、それ以上に博士への進学を人生で一番悩んだと思う。
それを「そもそもの、そもそもの話」として書いておこう。
きっと共感してくれる人がいるはずだ。

理系で大学院修士課程の人はほとんど皆、就職活動をするだろう。就職というものを考えた時に初めて自分の人生の生業について真剣に考える人が多いと思うが、自分もその一人だった。
僕の場合、大学4年かけてさんざん考えて悩んできたのだが、ここではあっさり書いておく。
僕がしたかったことは、「文系王国と言われる日本社会において、理系技術者、及び研究者の復権をすること」だった。大それたことを考えたものだが、これは今でも変わらない。
きっかけは「理系白書」という本。この本はショックだった。悔しくもあったし、怒りも覚えた。これが僕の原点だ。
http://www.amazon.co.jp/%E7%90%86%E7%B3%BB%E7%99%BD%E6%9B%B8-%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%92%B0%E5%A2%83%E9%83%A8/dp/4062117118

それをやるには?文部科学省に入省することだろうと思った。そして勉強もしたし訪問も何回かした。現場の官僚さんに話を聞いてもらったりもした。時には役職の偉い人にも。しかし、ダメだと思った。決定打はある官僚さんのこの一言。「官僚ってのはヨットなんだ。色んな方向から風が吹いてくる。それをうまく受け止めて自分の進みたい方向に行くんだ。」
自分の性格ではこれは無理だと思った。「エンジン持ってるんだけど・・・」ってね。
しかもそのエンジンが売りだったから(笑 これにて官僚はさよならでしたね。
それなら政治家っていう考えも一瞬あったけど、その勇気は無かったなぁ。もはや当時の政治は茶番と化していたし。それは今もだけど。

次に考えたのが会社。偉くなって組織作りをしようっていうこと。これまた大きく出たけど、やりたいことが大きいんだから仕方ない(笑 自分のやってきた事を活かして、研究で良い成果を出して、研究出身で成り上がり、「研究者として」他の研究・技術者が恵まれるような組織作りをしようと思った。更に大きく考えれば、自分が仕立て上げた会社の組織を一つの社会モデルとして位置づけ、それを周りに広める努力をする。そうすれば「理系の復権」ができると考えた。大切なのは「研究所や工場の現場をしっかり理解している」ということ。現場主義、科学主義だ。法律、経済主義じゃない。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」的な(笑 現場主義を考えた。サイエンスの解らない、法律、経済出身の人が幅を効かせ過ぎていると感じていたのも大きい。サイエンスが解らずして、どうして物作りの会社のトップになれようか!というやや感情的な部分もあった。 でも、これは今でも正しいと思っている。
もう一度言う、日本でまず大切にすべきは経済じゃない。サイエンスだ!
さて、自分の専門は有機合成化学。なので製薬会社か化学会社が自分の専門の活かしどころだ。さっそくエントリーして。製薬のA社と化学のM社から内定をもらったわけだ。もちろんその間にはけっこうな努力をしたのは言うまでもない。

実はこの時すでに博士への道は考えていた。教授からの誘いもあったので。しかし当時は「会社で偉くなって組織を作る」というシナリオに惚れ込んでいた。最も現実的(??)に思えたからだ。個人で出来る範囲内という意味で。当時、名誉教授がいらした時に、会社に入ったら社長目指さないで何になるんだ!っておっしゃっていたのに感銘を受けていたし。

さて、今回はこの辺にしておくけど、実は就活をする理由はもう一つあったことを最後に書いておきたい。先ほども書いた様に、この時既に博士への道を考えていた。しかし就職活動は絶対にやろうと思っていた。理由はメンツ。くだらないがどうしても譲れなかった。今でもそうなのだが、「博士に行く人は就活で上手く行かなかった人」「社会不適合者」というレッテルを貼られる。大なり小なり事実だと思う。この現状は今もほとんど変わらない。博士の採用枠が少ないことがそれを如実に表しているだろう。確かに、大学院重点化という将にカスな政策を国が断行したおかげで、博士の質は極度に低下し、まさに社会不適合者的な人材が育ってしまった。これも事実だ。そしてそれによって、博士というもののイメージが悪くなったと言っていいだろう。その結果、現実的に博士は偉くなれない。お金も稼げない。と、悪いことばかりなのだ。

僕は、「社会不適合者」というレッテルだけは貼られたくなかった。だから一番目指して就活もしたのだ。博士に行くことになっても企業から認められた男でありたい。それがどうしても欲しかったのだ。まさにメンツ。博士=みじめ、こう見られるのだけは許せなかった。僕のプライドがね。だから、まずは企業の内定取ろう。そしてその上でじっくり考えよう、そう考えたわけだ。

男にも女にも譲れないプライドってあると思う。

続きはその②で。

2012年3月5日月曜日

How to 留学 つけたし

先日留学のやりかたの例を挙げましたが、友人の経験も含めた補足情報が入手できたので、書いておきます。

まず、大学の交換留学ですが、滞在費を実費じゃなくて大学持ちでできる場合もあるようです。英語とかの試験で優秀な成績を取る必要がありますが。慶應とかではそういう制度がけっこうあるみたいです。これはすごく良いチャンスを与えていると思いますね。

もうひとつはドイツ。ドイツはなんとデフォルトで授業料が無料らしいです。少なくとも博士課程は。ただし給料的なものは出ないとのこと。その給料は勝ち取る必要があるようです。それがいわゆる奨学金(返還義務なし)。これを勝ち取る人は博士課程を授業料無料かつお金をもらって過ごせるわけです。私のおぼろげな記憶ではアメリカの大学もそういう物だと記憶しています。そう、学費や生活費は勝ち取るものなんですね、あっちでは。

日本の学生がいかに経済的に恵まれており、親に甘えているのか、ということに気づきます。ま、その原因は学歴社会だからですけどね。学歴社会でなければそんな有名大学の名前をお金で買おう(すみません、言葉が悪いですが)という発想になりませんよね。

むこうの学生って自分の力で勉強するお金を勝ち取りながら勉強するんですね。だから一生懸命なんですよ。当然ですよね。

そうやって日本の大学生は学部生の内に世界の名だたる大学の学生に置いてけぼりを食らうわけですね。とほほ。自分もまさにそうなんですわ。
今からでも追いつかなければ!ということです。