英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ

ポスドクの研究留学日記的なブログ

2012年12月31日月曜日

Cyprus:変なのに魅力的な国

こんにちは。年末を日本で過ごしているYskです。早いもので2012年も終わりを迎えています。今年は私にとっては大きな変化があった年でしたが、無事にこうやってブログを更新できるのを嬉しく思います。

さて、今日は日本に帰国する前に寄ってきたキプロスの話です。研究室で最も仲良くしている人の母国がキプロスでして、ちょっと遊びに行かせてくれってお願いして、図々しくも実家におじゃまさせてもらったのです。なんでキプロス?って話もありますが、まぁなんとなく、ですね。

皆さん、キプロスって行ったことありますか?私の勝手なイメージとしては、ほとんどの日本人は行ったことがないんじゃないかと思います。すぐに場所も出てこない、住んでる人がどんな人なのかも不明の、すごくマイナーな国だと思います。そんな私も、行く事が決まるまではまったく知識がありませんでしたがね。笑
キプロスはトルコのすぐ南、ギリシャから見るとエーゲ海に浮かぶ島々から更にずっと東へと手を伸ばした位置にある小島です。うーん、マイナーですねー。実はこの島、30年ほど前までは戦争状態にあって、今でも島の北と南が分断されている複雑な事情をした島なのです。現在は、南部がキプロス共和国としてトルコを除くすべての国連加盟国に初運されています。一方で北側はトルコの占領地とされていてトルコのみがそこを国として認めている感じです。いわゆる今年何度も話題になった「実行支配」という状況でしょう。高校で地理や歴史を勉強した時に、少しその話を勉強した人もいるかと思います。そう、そんな問題地域として有名だった国です。

私はロンドンからキプロス(南側)のラナカ(ラルナカ、Larnaca)の空港まで行きました。フライト時間5時間くらいです。けっこう遠いですね。フライト会社のエーゲ航空のサービスがやんなっちゃう感じで精神的にハードなフライトでした。ロンドンヒースローを昼の12時半に出て現地時間の7時半着(英国との時差2時間)。この時間は飛行機から夕日が見えるので綺麗な景色は楽しめます。ちなみに日本からキプロスへの直通便は無いと思います。


さて、Larnacaに着くと彼の兄が迎えに来てくれました。彼の車はHONDA。日本ではもはや珍しいMT車。ナイスな車じゃん、と勝手に好印象を抱きます。彼の家はキプロスの首都であるNicosiaにあります。そこまで車で40分。けっこうかっ飛ばします。今時5速にギアを入れて信号の無い暗い高速道路を走っているのがエキゾチックで良い感じです。Nicosiaの街に入ると日本車の多いこと。TOYOTA, HONDA, NISSAN, MAZDA, MITSUBISHI, SUZUKI, ほぼ勢ぞろいです。ほとんどが古い車ですがね。兄の話によると、昔の中古車が安く売られているとのこと。たぶん10年近く前のモデルかな。
とか考えているうちに家に到着。相当に大きな家です。作りも高級感があって素晴らしい。プライベート空間なので写真を載せられないのが残念ですが、絵画や彫刻が見事に飾られ、本やCDが壁一面に保管されたアカデミアな香りも堪能できる魅力的な邸宅でした。
荷物をおいてリビングに通されて飲み物をいただきます。まぁビール。笑
喉を潤して自己紹介。丁寧に挨拶してくれます。何をしているかとか、日本をどう思うかとか、親切ですね。私も日本人の名に恥じないように最大限の礼儀正しさで挑みます。が、育ちというものは急に変えられるものではなく、結局は普通な挨拶しかできなくてちょっと焦ります。

さてひと通りお話をしたら、出かけます。今夜はキプロス料理だそうです。私の旅の目的の一つはその郷土の料理。楽しみです。車で少し走ってレストランに行きます。で、さっそくビール。KEOという名前です。味は東南アジアで売っている軽い感じのビールですが私は好きです。夏は相当に暑いらしいので、きっとそういう味になってるんでしょう、っていうのが私の勝手なイメージです。暑い国のビールは軽いっていう、単純発想ですが。。。

いろいろ食べましたが、印象に残っているものを書きます。まずハルミチーズ。これはしょっぱいですね。チーズって言われるとチーズですが、ちょっと違うものと思っても良いかもしれません。次はスプラギ。これは豚のケバブの肉みたいな感じです。美味しいです。ギリシャ風、トルコ風、そしてキプロス風とあるらしいのですが、私には違いはいまいちわかりませんでした。でも美味しいお肉であることは確かです。聞いた話で私の理解が間違っていなければ、トルコ風はラム肉だったような。。。で、次はワインソーセージ。これはまっっっぢで美味しいです。ワインにつけたソーセージで、けっこうスパイスが入っていて食欲をそそります。僕はこれが一番好きでしたね。次はレバー(豚だか牛だか忘れました、、、)とラム肉の炒め物。ガーリック風味でこれも非常に美味しい。レバーが好きな人には相当ウケると思います。これもお気に入りの1つです。そういえばメインの前にスターター的なものをいくつか食べました。バラのようにトゲがある草(笑 マッシュルームのピクルス、パンとソース2つくらい。変な味だったのがピクルス。正直美味しくなかった。ダメですって言ったら、「えー、こっちが本物のピクルスだぜ!」って言われましたが1つでもういいやって言ってしまいました。ごめんなさい。それからマッシュルームを焼いたもの。イギリスのマッシュルームも美味しいですが、こちらのマッシュルームもジューシーで美味しいです。そして、キプロスじゃがいも。キプロス人に言わせるとキプロスのじゃがいもはヨーロッパでも高級らしく、美味しいとか。うん、確かに美味しいです。イギリスのものよりも粘り気があるとおもいますた。・・・とまぁとりあえずかなり多くの物を食べました。一つ一つ覚えられなかったですが、総じて美味しかったとおもいます。
写真を撮りたかったのですが、家族揃っている前でパシャパシャというわけにも行かず、撮れませんでした。読者のみなさん、どうか想像してくださいませ。

夜はパブに繰り出して酒飲み。とりあえずビールですね。Nicosiaの街はすごく小さいので、パブも少ないようでたくさんの若者が集まってきます。それでものすごい混雑。(笑 やはりアジア人はすごい少ないみたいですれ違う人に奇異な目で見られます。笑 はい、ごめんなさいねー、変人で。とりあえず飲んで寝ます。

2日目はNicosiaの街を歩きます。こちらでキプロスの歴史を研究している博士学生がツアーを行なっていて、それに参加しました。歩くコースは市内中心部の南北境界線近くです。先程も少し触れましたが、キプロスの歴史は非常に複雑で各列強の支配を受けながら歩んできたようです。はじめはペルシアの支配を受け、アレクサンドロス王のプトレマイオス朝に移り、その後はローマ帝国の支配下になり、一度イギリスの支配を受けた後にヴェネツィア共和国が植民地として手に入れ、一旦オスマン帝国がキプロスを奪い、最後にはイギリスの植民地となります。もうこの時点でぐちゃぐちゃです(笑 第二次世界大戦の後にイギリスからの独立を果たしますが、その時すでにキプロス人にはおおまかにギリシャ系とトルコ系の2種類の人種がおり、ギリシャに併合されたいギリシャ系キプロス人とトルコへの併合を望むトルコ系キプロス人の間で対立が起こります。ギリシャ系の強硬派によるクーデター(もうギリシャにお願いするもんね!っていうのを軍事的支配する形でやろうとした。)をきっかけにトルコ系住民を守るという名目でトルコ軍が介入し、北側を占拠。ギリシャVSトルコの構図へと発展してしまいます。これによって当時バラバラに住んでいた住民のうち、トルコ系が北へ、ギリシャ系が南へと流入しました。国連の介入によって南北の境界線が作られ、境界線周辺地域は現在でも国連の保護下にあり、その付近は当時のまま無残な姿をさらけ出しています。非常に興味深い話を聞きながら歴史をお勉強です。古くからぐちゃぐちゃだった影響で、キリスト教とイスラム教がミックス、言語はギリシャ語にトルコ語に英語がミックス、料理もトルコ風とギリシャ風がミックス。アルメニア料理もあります。世界大戦、クーデター、分断後は経済格差問題と、もう20世紀のあらゆる問題の縮図みたいな感じです。非常に興味深い。こういうの私は好きなので悶々と考えながら街を歩きました。しかし、天気は陽気な19℃の晴れ。さんさんと照る太陽の下をるんるん気分で歩きます。ええ国ですわー。大変だけど。。。みなさんも興味があったら調べてみてください。

手前真ん中にギリシャの旗。左奥に国連の旗。更に右奥にトルコの旗。


 パスポートを見せれば南北の行き来は可能。ちなみに私は北には行ってません。次回に。


この古い石は北の山で取れる。現在、南ではこの伝統的な石を使うことができない。
境界線付近に人はいない。廃墟が並ぶ。


さて、夜はラボの友人の親族の家でクリスマスパーティです。ヨーグルトソースのかかったサラダからパスタ、ケーキまで満腹食べます。そしてその後はワインを飲んで時間を過ごし、12時を迎えるにあたって教会へGO。初めての経験です。白塗りの明るいギリシャ風の教会へと入り、聖書の一部を音読して歌を歌い、アーメン。ろうそくの日が厳かな雰囲気を醸し出す、ヨーロッパらしいメリー・クリスマスでした。

で、そのあとにまたパブに繰り出して飲みまくり。笑 その日は3時くらいに撤収しましたが、帰宅後に話が盛り上がり6時まで飲んでしまいました。Acceptanceunderstandingはどちらが先か、acceptanceunderstandingは必要か、と、とんでもなくだるい議論を大まじめにやっていたみたいです。まぢウケるんですけど。笑

翌日は激しく二日酔いでスタートです。昼に起きて今度は昼からパーティ。二日酔いだー、といっていたら「No, Stop,Ysk」を友達に制されます。キプロスでは二日酔いするほど飲むのは良くないとのこと。これはイギリス文化だって言われてしまいました。日本文化でもあるぜー。でも、まっぢきつい。。。彼の母親がイギリス人なおかげで今度はイギリス式のパーティです。コジェットのスープ、サラダ、ターキー(七面鳥)、豚ばら肉の丸焼き、など、本当に苦しくて動けないくらい食べます。驚きなのが肉のソースがクランベリーソースやクリのソースなどと、甘いこと。最初はえーーーって思いますが、食べると意外と美味しいのです。次はケーキにクリスマス・プディング。もう死にそうです。笑 その後にプレゼント交換があります。私は何も知らずに行ったので、もちろん何も用意していません。しかし彼の家族の方々は非常に優しいことに、私へのプレゼントまで用意してくださり、少しうるっと来るような感動を覚えました。こっちの家族の暖かさを感じた一瞬でした。
そんなパーティも夕方には終了してさぁまたパブへ。ひたすら飲んで、頭ぐるぐるです。なんかどうしようもないダメな人になりかけています。散々飲んだ後に夜中にやっているパイ屋さんに行ってソーセージパイやハルミチーズパイ、ほうれん草パイなどをほおばります。ちょー苦しい。。。まぢありえないカロリー摂取量です。
廃人になって帰宅して寝ます。
(すみません、パーティではまた写真が撮れず。夜は酔っ払って撮れず。。。)

翌日は帰国日です。朝起きてお腹の重さに悶絶しながら帰り支度をします。昼になってようやく体が回復して、お別れの挨拶です。数日間しか滞在できませんでしたが、お父さんから始まりお母さん、妹さんまでギリシャ式にほっぺにチュウの挨拶をしてくださり、本当に良い旅でした。
空港に行く途中、最後にスプラギのケバブをほおばり、いよいよ旅も終了です。

ケバブ。肉がたっぷり。

本当に思い出に残る印象深い旅でした。
Come againのお言葉に甘えて絶対また行きます、Cyprus

 綺麗な空だなぁ。


さて、今日は大晦日です。今年も無事に終わり、良い年だったと思います。読者の皆さんはいかがでしたか。それぞれあるでしょうが、総じて良かったんじゃないかと願っています。来年も良い年になりますように。私も含めてみなさんのご多幸をお祈り申し上げます。それでは良いお年を。

Ysk

2012年12月10日月曜日

ふわふわ。とろとろ。でれでれ。そんな趣味

日の短さに寂しさを感じるイギリスの冬(;_;)
しかも、太陽が一日中黄色い。。。
以前のボスが飲んでイギリスの話になる度に言っていたあの太陽。黄色い!
朝8時ではまだ夜明け直前って感じで薄暗い朝。
9時を過ぎるとあー太陽が来た〜( ̄▽ ̄)って感じですが・・・いかんせん黄色い(笑
そして寒い。雨も多い。4時にはもうほぼ日没。
イギリスの冬に「昼間」は無いんですね。朝方から始まり夕方に切り替わって終了(笑

こんなイギリスの冬がどうも好きになれないYskです。こんにちは。

通勤路より。この角度で朝9時半。(大遅刻)

今週は研究で良いことがありました。ずーっと課題になっていた立体選択性の制御が上手く行ったのです。わーい\(^O^)/ まだ先は相当に長いけどねっ!はっ!とりあえずこれで押し通します。曙バリのつっぱりで寄り切ります。寄り切れなかったら、また一から出直しですし・・・(T T)
はい、ぜんぜんわかんないですよね、ごめんなさい。まあ良い週末ということです。

そんな週末には趣味を楽しみます。私の趣味はクラシック音楽と料理。
今はね^^; 昔はテニスやら何やらスポーツ全般何でも積極的にやっていたのですが、今は体を動かすことが少なくなってしまいました。好きなんですけどね。体力と時間の問題が。。。

さて、今日はまたもや1週間分のパスタソースを作りながら、少し豪華に今晩用のポークソテーを作りました。でもカメラをラボに忘れて写真が撮れませんでした(泣
my god.....
クラシックを聴きながら料理をする。めちゃ気分良いです♪ちなみに今日はワインを飲みながら。ぐふふ^^v 最近これにはまってます。
クラシックの澄んだ音を耳に入れて、鼻から料理の豊かな香りを入れて、口から芳醇な(安い)ワイン(白)を入れる。(赤は相変わらずダメw)う〜ん、いいです、これ。ふわふわ、とろとろ、でれでれ、とまったく力が入らない感じですが、いいですねー。( ̄▽ ̄)
料理ができたら、熱っついうちにほおばります。
今日はオリーブオイルとバジルで香り付けしたソテーに満足です。 パスタも丸。
 この完全なる自己満足の時間こそ、将に趣味だと思います(笑

今日はこれ。
http://www.youtube.com/watch?v=UGPJDgp2-9A
第一変奏にバッハを感じます。第30変奏には神を感じます(勝手に)。
良い時間でした。

さて、仕事。
ではm(_ _)m


2012年12月2日日曜日

海外学振。そして・・・

この話は海外に出ているポスドクにとっては避けられない話なのではないでしょうか。ポスドクに行くに当たって、給料がどこからもらえるのかは死活問題です。まず海外に出る足がかりとして、この日本学術振興会(JSPS)の海外学振に申請する人がほとんどだと思います。まずは海外学振でお金を得て、それで海外に出る。その任期が終了したらBossに雇ってもらって長く居続けるか、他の海外のポストを見つけるか、日本に帰るか。 おおまかにそんな感じだと思います。

私の場合はDC2→1年任期余り→PD切り換え→海外渡航届け(max1年が上限)という形で、ちょっと特殊なのですが。いずれにしても海外に出ていく時には海外学振を申請する人がほとんどです。というのも、給料として与えてくれる資金がとてつもなく良いからです。1つの国の機関として、ここまで潤沢な渡航費を出してくれる機関は世界中を見ても希だと思います。各国がお金を出し合う国際的な機関には海外学振に匹敵する内容のものがありますけどね。でも日本からだと、いきなりそのフェローシップに申し込む人ってすごく少ない気がします。すみません、私は化学系なもので生物系の人が多く応募するヒューマンフロンティアサイエンスプログラムやエンボフェローなどに日本人が初めから申し込むのかどうかはちょっと知りませんが。。。ま、化学系では完全に海外学振が筆頭に来ます。で、その海外学振が一体何者なのか知りたい一般の方のためにリンクを張っておきます。
http://www.jsps.go.jp/j-ab/index.html

で、当たり前ですけど、この海外学振、申請したら「はいどーぞ」という訳ではないです。10枚くらいの申請書を作成して提出します。主に今までの業績集やこれからの研究内容の計画についてです。それから海外で研究する意義なんかも書きます。で、偉い先生方に審査していただくわけです。採用率はだいたい15~20%くらいです。去年はなぜかすごい高かった(25%)ですが、異例だと思います。

私個人的な意見としては、たぶんこの海外学振が学振の中でも最難関だと思います。採用率は国内ポスドクのPDの方が低いので、数字上はPDの方が難しいように思われますが、まぁ個人的な意見です。というのも、この海外学振の場合、日本国内で既に学生を指導している若い先生方も応募するんです。助教のポストに就いていて、そこから国内のポスドクに戻るという人は0%に近いんじゃないかと思います。助教から次のステップだと、准教授、または海外に出る(海外学振に応募する)、そんな感じだと思います。
助教の先生はまさに先生ですから学生を指導して研究成果も出して、と私みたいな1人のポスドクより成果を上げやすいのは当たり前です。 そんな人がゴロゴロといるところに応募するんですから、私が最難関と言うのも間違いではないと思います。

ということで、私みたいな若手の研究者からすると、海外学振ゲットした人はエース級の扱いです。すげー、、、みたいな。「私、できる人です」みたいなレッテルを日本学術振興会から張ってもらえるんですから羨ましいものです。

で、私、もちろん今年の春に申請しました。こちらに来る直前に。私の任期は1年なので、来年の給料をくれるところを探さなければならないわけです。見つからなかったら、Bossに哀願して雇ってもらうかビザが切れるまで自腹滞在というオチです(笑
で、夏にこちらのブログにちらっと書きましたが、「書類審査不合格」だった訳です。
いやー、あのときはロンドン五輪真っ最中でしたが、凹みましたね。お先真っ暗状態でしたよ。ははは。

さて、DC1やDC2、PDや海外学振について「こうすれば通る!」みたいな情報はネットを使って調べればいくらでも出てきます。これでもか、というくらい丁寧に細かに書いてくれている親切なまとめページもあります。読むと「ここまで気にしなければいけないのか。。。」と思ってしまうくらい(笑

私の場合はこれで1勝1敗です。ネットでは「こうした方が良い」というアドバイスが多いですが、私は逆になぜダメだったかを反省しておこうと思います。

私の場合、不採用で評価Aでした。Aというのは落ちた人の中で上位20%ということです。惜しいじゃないか!もう少しじゃん!ということです。
私が他の人と比べて勝る所は・・・・まぁ書かないでおきます。単なる自慢ですから(笑。それよりこれを読んでくれる人が欲しい情報はなぜ落ちたか、だと思います。

端的に、発表論文数と申請書の内容だと思います。前者はもうどうしようもありません。助教の先生とかだと発表論文10以上なんて当たり前だし、人によっては20以上ってことも。私なんて到底及びません。3報ですから。。。目に見えて少ないですね。がっくり。
DC2なども発表論文数がすごく重要と聞きますが、私の場合や私の周りの仲間の状況を見ていると、そうでもないのが実際だと思います。DC2を発表論文0報で通った仲間もいるくらいですから(笑 ちなみに私は1報。1報で通った人、もう1人知っています。2報の人も。ね、少なくても通るでしょ。論文数が少なくても勝算はアリです。DC1やDC2はね。

 しかし、海外学振はダメですね(苦笑。私の印象では。さすがにある程度の論文数が必用だと思います。そう思うのにはもう一つ理由があります。私のハウスメートと比べてです。彼は通りました。(おめでとう!!)同じ領域に申請。同じ大学から。そして同じ大学(Oxford)に。非常に良い比較対象です。(つまり完全に私は彼に負けたわけだ!)彼と比べて明らかに私の劣る部分は論文数です。この強烈な数字の違いはどうしようもないのでしょう。確か彼は5報か6報だったと思います。うーんすごい。ここから見るに3報じゃ足りない。5報くらいあれば良いってことでしょうか。たった2つの違いですけど、研究者の世界では論文1つ発表するのにとてつもないエネルギーと時間を要します。この差は非常に大きいのです。絶対そうだと信じられてしまうと困るのですが、あくまで1つの指標としては良い比較だと思います。
(ちなみに彼は、僕が落ちた時に非常に同情してくれて、食事をおごってくれました。なんて優しい奴なんでしょう^^)

それから、申請書の内容。これは今になって思います。良くない部分がありましたね。はっきり言って、研究業績の書き方なんてどう書いても伝わる内容はさほど変わりないと思います。書く内容が大切なのは研究計画と海外で研究する意義の項目だと思います。私が提出するときは正直「業績で決まっちゃうんだろ」って思っていたので、そこまで突き詰めて考えませんでした。が、今思うと大切な項目です。
私が思う反省点は以下の通りです。
1つ。自分のバックグラウンドとこれからの研究計画がマッチしていることを十分に示せていない。研究計画や内容に関して自分のバックグラウンドを活かせるという表現が弱い。やはり、「ただやります。なんか難しそうだし。チャレンジングな内容だし。」だけでは弱い。
2つ。逆に無理矢理に今までの研究内容をひっぱり過ぎるのも良くない。海外に行って違う研究グループに属するのだから当たり前だと思います。研究内容は大きく変わってしまうのが普通だと思います。大きく変わっちゃって、それに関して自分の知識や技術をどう活かすのか、という書き方が求められていたのだと反省します。 せっかく海外に行くのに、日本でやってきた事とほとんど変わらない内容をやるんじゃ、「本当に行く意味あるのか?」って感じになっちゃうなと思いますし、私はこれをやってしまったと思います。
3つ。海外に行く意義はどこにあるのか。突き詰めて考えるべし。この理由は人それぞれだとは思いますが、私はちょっと甘かったと思います。正直、「苦手で大っ嫌いな英語を勉強しに行きます(泣」的な感情が大きかったので、それがつい出てしまったかと。。。少し違った領域に進出して自分の知識の幅を広げ、新しい技術も身につけ、それを日本に持ち帰って成熟させる。日本から持って行く知識や技術は海外のグループにも与えて、そちらで良い様に使ってもらう。そうして中身の濃い国際交流が可能になり、将来的にも親密な学術交流を継続する礎ができる。などなど、そこまで踏み込んだ考えを持って申請書を書くべきだったと思います。反省。

細かな所はまだありますが、大まかにはこの部分は良くない部分だったかなと思います。もちろん、それが改善されていれば絶対通ったとは言えませんが、あくまで個人の反省としてはそうだと思います。これを読んでくれた人の参考になるのかは不確かですが、一つの例として見てくれればと思います。

さて、何でこう反省ができたか、ということですが。それはまさに「落ちた」からです。お陰様でそれからが大変でしたが。ヨーロッパのフェローシップに応募したり(申請書が英語!!泣)、日本の別の財団に応募したり、と大変な日々を送っていました。だいぶ前ですが。その過程でわかったんです。あー、プロポーザルってこういう物なんだって。特にこちらのヨーロッパのやつは凄かったですね。約30枚も書きましたから。。。でも、何について書くべきなのか、しっかり理解できたので良い経験でした。この経験は研究そのものの経験よりも大きいんじゃないかと今では思っています。

さて、その新たなプロポーザル。それは、上原記念生命科学財団リサーチフェローシップとMarie Curie International Incoming Fellowshipです。
これらについては、結果が来たらそのうち書きます。
それではm(_ _)m