英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ

ポスドクの研究留学日記的なブログ

2013年5月31日金曜日

俺たちは一流の・・・

こんにちは。Yskです。やばいですねー。気がつけば5月も既に終わりに近づき。Time is flying...今月一回も更新してねー。。。ばく

今月は1日にメーデーがあり、早朝から聖歌隊の歌を聴きいたり。穏やかな春(夏?)の太陽が垣間見えるようになり、ぽかぽかした日を楽しんだり。ランチは広い公園でサンドイッチをかじってその後に昼寝したり。だれ気味でしたね。

特に中旬に両親がこちらに来たので、2週間近くも休暇を取り、オックスフォード、ロンドン、パリ、ストラスブール、ハイデルベルクと旅を楽しみました。こうやって違う国を旅すると、そのオリジナリティの差異が心地よく五感を刺激します。オックスフォードは古さと自然の美しさの融合。これが可愛い。ロンドンは古さが新しい感じ。そして綺麗。パリは美しく優雅。食事、美味すぎ。ストラスブールはドイツとフランスの融合という奇異な存在。ハイデルベルクは・・・・ぎゃあ、滞在が短すぎて書けません>< orz

や、でもやっぱり旅は良いですね。人間が生きている感じがします。
時間が取れればこれらの旅についても後日に書きましょう。

さて、もう一つ今月はイベントがありました。それは、昔のラボの恩師がオックスフォードにいらしたのです。現在のうちのボスと、恩師が昔研究していたケンブリッジの大ボスに会いに来られました。恩師らしいケミストリーでご講演をいただき、昔の走りに走っている自分を思い出し、熱いものが蘇ってきました。やっぱ走らないとね。最近は、実際にジムで走ってるだけですわ。おわっと。笑


それで、今月を総括すると、今月は数々の「一流」に出会い「一流」を考えた月でした。

さて、皆さん。一流ってなんでしょう?
とか聞いておいて、私は明確に答えることができません。しかし、私が一流というものに憧れ、それを求め、目指していることには違いないのです。

ここで、一流ということについて考えさせられたエピソードを紹介します。私が博士学生二年生の時のこと。
私は当時、私の研究領域に関するとあるブログを更新毎に読んでいました。そのブログは世界的に有名なブログで、おそらく私の研究領域にいる若い世代の人で知らない人はいないのではないか、というくらいのブログ。直近発表された論文の要約と紹介、そして短い批評と考察をするというスタイルで書かれています。当然、そのブログの記事に関する話題は何度となく出ます。学会に行ってもそのブログの記事に関する話題に出会います。とにかく皆が読んでいる超有名ブログ。
それに私達のラボの仕事が紹介されたのです。私個人としては、非常に嬉しかったですね。私の仕事ではなかったのですが、自分の事のようにウキウキしながら読んだのを覚えています。そもそも日本人の仕事が取り上げられることも少なかったから。それに、超有名ブログだけあって、それに取り上げられる仕事って世界的に評価が高いという感覚もありました。
ニヤニヤしながら読んでいると先生がやって来ました。私はにこにこしながら先生に言います。「先生!これ見て下さい。このブログ知っていますか?外国人が書いているのですが、世界的に凄い有名なブログで、こないだ発表したやつが載ってますよ!すごいですね!」
すると、先生は少しパソコンの画面を眺めて・・・
「おー、そうかそうか。嬉しいねー。こうやって取り上げてくれると。」
・・・・・とか言ってくれるのかと思いきや・・・・

突然むすっとした顔になり・・・
「何が面白いんだい?・・(沈黙)・・俺たちは一流の現場の人間。彼らは二流の評論家。そんなもん読んで一喜一憂する必要なしっ!!」
と仰り、ぷいっと振り返って去ってしまいました。



これは極めて衝撃的な出来事でした。この時、私は自分がいかに二流の研究者なのかを悟りました。そして一流とは何なのかを考えました。未だに答えは出ないのですが、先生、つまりこの度イギリスにお越し下さった恩師が、まさしく一流であることを深く理解しました。
もう一度思い返して考えるに、先生は評論家は二流であるということを真に言ったのではありません。一流のあり方を仰ったのだと理解しています。真に一流の者は他人の評価を気にして仕事をするのではない。それでいて誰もが認める極めて質の高い仕事を完成させる。当然のことの様に。そのことを、批判しているブログではなく、むしろ褒められているブログを見て教えて下さったのですから、本当に衝撃でした。

更に思い返してみます。「良い仕事をしよう」というのが私の在籍してた研究室の伝統なのですが、その「良い」仕事が極めて質の高い要求でありました。つまり一流をたたき込まれた教育だったと思います。学会に出向いたり、論文を読んだりすると一目瞭然なのですが、やはり一流の仕事というのは見るからに一流であり、見ていて聞いていて面白くある種の感動をよびます。勿論、学会でのプレゼンの上手さやペーパー上での文章表現の仕方のスキルも含めての話です。これらのスキルは二の次と思われるかもしれないですが、発表ということまで含めて研究という仕事の一環だと私は理解していますし、そもそろ高度に表現するだけの質の良い仕事の実内容が伴わなければ、逆に薄っぺらい発表になってしまうことは当然のことでしょう。



ところで、私が今月、一流を考えたのは、今回の旅行も含めてです。
旅行では数々の一流に出会いました。例えばオックスフォード大学のクライストチャーチ内のグレートホール。古くから建つその姿はただ古いから価値があるのではありません。一つ一つの構成物の質が極めて高いと思います。そしてそれを良い状態で保存してきた、または質を損なうことなく改修してきたのです。学術、芸術、宗教、伝統を複合した歴史的文化的建築物でありながら現在も普通に学生に使われているこの建物はまさしく一流です。
ロンドンの観光名所だって見方を変えれば、一流そのものです。バッキンガム宮殿、ウェストミンスター、タワーブリッジ、ロンドン塔。特にセントポール大聖堂は凄いですよね。私は「古い物には価値がある」と考えますが、それは誰かが始めにその価値を認め、それに共感する多くの人が大切に保存し、時と文化の中で熟成されているからです。

ロンドンのナショナルギャラリー、パリのルーブル&オルセー美術館などはまさしく一流の宝庫です。目に入って来る物すべてが一流。一歩踏み入れるだけで高貴な空気が私の体を包みます。数々の有名な宗教画。そこに大昔のスケールの大きな宗教文化を感じます。ミケランジェロ、カノーヴァ、ダビンチ、モネ、マネ、ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ、ロダン。名前だけからして既に超豪華なのですが、偉人達の作品である彫刻や絵画たちが溢れていて、体の内側から私を刺激します。

フランスのベルサイユ宮殿とパレ・ガルニエは中身も外見も超一流だと思います。特にベルサイユ宮殿の鏡の回廊は豪華絢爛とはこのことを言うという感じ。ルイ14世が名実共に世界一の宮殿をというコンセプトのものを要求しただけのことはあります。これは圧倒されすぎて開いた口がふさがりません。私にはレベルが高すぎてすぐにお腹いっぱいになてしまうというくらいです。

私が特に興味を惹かれたのはベルサイユ宮殿の庭園です。幾何学模様になるように配置された植物たちが美しいです。イギリスのイングリッシュガーデンも可愛くて綺麗ですが、こちらの庭園は美しいという言葉がお似合いでしょう。木は四角に角張って刈り込まれ、それが長く広い道の両側に均等に置かれています。5メートル近くあるすごく高い生け垣も綺麗にまっすぐ刈り込まれており、均整が取れています。
私がふと思ったのは、なぜフランスの庭園には幾何学模様なのかということです。少し調べるとその歴史的なものはよく説明されているようですが、私の視点は少し違って(たぶん間違っている私の勝手な解釈ですが)その幾何学式庭園に数学的な美しさを感じます。ちょうどXY座標に魅惑的な数式によって書き込まれた曲線や図形のような、そういう美しさです。私の知っている限りですが、ベルサイユ宮殿が建てられた17世紀、フランスでは多くの数学者が活躍していたことと記憶しています。数学、特に幾何学に関する知識と絵画的、自然科学的、建築的芸術が融合しているように思うのです。つまり見事なフランス式の平面幾何学庭園の発達と数学者の存在には何らかの関連があるように私には思えます。デカルト、フェルマー、パスカル、ド・モアブル。高校生で出てきた定理に由来するこれらの人は、私にとっては驚くべきことに、みなフランス人で、しかもベルサイユ宮殿が建てられた17世紀頃の人たちなのです。一時代の一つの国に、これだけ偉大な数学者が生まれたというのは単なる偶然とは考えにくく、フランス全体で数学が盛んだったのではないでしょうか。
数学と庭園の融合。言葉を並べてみるだけでも魅力的に思えてしまします。笑 これらの美しい庭園はただ眺めているだけでも、とても心地よいのですが、勝手に数学という所まで想いを馳せてみると、ますます一流という感じがします。一流ってエレガントでいいですよね。

エレガントと言えば、やはりエッフェル塔と凱旋門は外せません。これらは飽きない良さがあります。ただ眺めているだけで、にやけてきます。彼らは何も語らずして雄弁なんですね。百年以上そこに建って街行く人を静かに眺めているだけの彼らなのですが、自然とそこに住むフランス人の心にしみついていて、まさしく誇りとなっている感じがします。彼らもこの度で出会った、忘れられない一流のものです。

そして、ドイツでも素敵な出会いがありました。この旅の最後にドイツのハイデルベルクで開催されたミーティングに参加して来ました。ハイデルベルクにはEMBL(欧州分子生物学研究所)という立派な研究所がありまして、そこに行って来ました。ドイツの人たちを中心にJSPS海外学振を取っている若手の研究者の人たちが、自分たちの研究を発表し合って交流しようという会合です。私はその海外学振に昨年落ちた者ですが、これは非常に良い機会ということで、参加させていただきました。この様に異分野交流試合を開催しようとされた発起人の方にまずは感謝です。JSPS海外学振といえば、日本の若手研究者の精鋭中の精鋭が集うフェローシップです。昨年いかに私が憧れていたことか。(そのぶん落ちた時のショックは相当だったですが。。。笑)
はっきり言って、参加された方々の研究は異分野もいいところでしてさっぱり解りませんでした(特に物理学分野)。しかし、解らずとも楽しい会でした。何がそうさせたかって、発表なさっている皆さんの情熱です。というか、研究成果や発表まで含めてやはり「一流」なんですね。さすが日本の精鋭という感じです。聞いていてとにかく面白い!やってる本人が非常に楽しそうに話すのでこちらもわくわくしてきます。発表自体がユーモア盛りだくさんだし、それでいて成果が素晴らしい。現在の若手研究者の中で間違いなく一流を見られた気がしました。参加できて本当に良かったです。研究を生業にしていないみなさんは少し勘違いというか、偏見を持ってしまっているかもしれないですが、本当にすごい一流の研究をしている方々の話は本当に面白いです。解らなくても聞いていて楽しいですよ。というか、非常に難しい話をいかに楽しく解りやすく伝えるかということも研究者にとってはとても大切な能力の一つだな、と再認識しました。やはり世界でやっている一流に出会えて良かったと思います。


そして最後にもう一つ。今月、すごく久しぶりに旧友の音楽家とコンタクトを取りました。今月に入って私は、一流とは・・ということについて考えてきました。そしてその音楽家と話して思いついたのです。今までもその旧友の凄さに感嘆していましたが、一流ということを深く考えた結果、改めて今、その旧友を尊敬しています。
私は音楽に限らず芸術家が好きですし、尊敬もしています。また、憧れでもあります。しかし、それは単に私が芸術が好きだから、だけではありません。彼らは、一流の在り方をごく自然に見せてくれるのです。
旧友の演奏や話を聴いていて感じるのが、私達からすると想像もできない極めて高度な世界で生活しているということです。まだ世界的に有名な演奏家というわけではないですが、音楽や芸術を生業とする世界がとてもとても厳しく高貴な世界なのだと解ります。つまり、二流であること自体がその生業の継続を許されないのです。しかも、その境界は本人ではなく聴衆によって判断されるのです。評価が低いままなら、それを続けること自体が許されない世界です。その世界で生きていること自体が凄いことであり、明らかに一流であります。
そして、そこに一流の条件というものあります。旧友も含めて、彼らは常に「表舞台に立っている」のです。それが一流たる一つの条件だと思います。表舞台に立つことが必要不可欠な音楽家や芸術家は、常に他人の批評批判にさらされています。かれらは常に批判批評をされる側なのであり、決してする側ではないのです。そして、自己表現という、言わば裸の自分をさらけ出すようなことを「プロとして」やっているのです。自分の感性、理解、哲学、感情、そういう自分の全てを、多くの人の目の前でさらけ出し、そして評価される。それはとてもとても勇気が要ることです。一流でないと絶対にできません。そして、表舞台から隠れることは許されず、そこから降りるということにも相当な決断を必要とします。
私が尊敬の念を抱く理由がわかってもらえると思います。旧友は今も表舞台に立っています。一流なのです。それに気がついた時、私も研究者として表舞台に立ち続けたいと、素直に思いました。一流は評価をする側ではなくされる側です。そして評価を下されるだけの成果を常に持ってなければなりません。表舞台に立てるだけの成果を上げ続けなければなりません。厳しく辛いことが多い世界ですが、旧友も含めた芸術家が人を感動させる演奏や作品を完成させた瞬間に味わう何とも言えない充実感は、私の様な研究者が一つの仕事を完璧に仕上げ、それを発表した時の達成感と似るところだと思います。

クライストチャーチ。ロンドンの観光名所。ナショナルギャラリー。ルーブル&オルセー美術館。ベルサイユ宮殿。エッフェル塔。凱旋門。ドイツで出会った研究者。そして恩師、旧友。
彼らが一流であるように、もっと自分を磨いて、表舞台に立つ研究者になりたい。。。

一流ってエレガントでいいですよね。。。

そうやって、「一流」を考えた・・・ダレた五月でした。笑

ではまた。Yskでした。