英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ

ポスドクの研究留学日記的なブログ

2014年1月27日月曜日

戦う日本人

こんにちはー、Yskです^^/
早くも2014年がやって来て1ヶ月が経とうとしています。気がつけば渡英して1年と9ヶ月!もう外から日本を見ることが当たり前のようになって来ました。
今回も重めの内容です。笑 ごめんなさいw^^; 

今日の話は戦争の話ではありません。書こうと思えば、いくらでも書けますけどねw もうどれだけこっちでそういう話をしたか。笑 おまけに最近話題の問題もww 今日の話には関係無いので、ここでは省きますが、まあ歴史っていうのは勝者の物語です^^;


さて。皆さんは日頃、戦っていますか? いきなりなんですか!って話ですが。笑
なんか、普段から戦い戦いって言ってると、ちょっと大人げない子供じみた「男の子」的な考え方かもしれませんが、Yskはいつも戦っています^^笑 自分のプロジェクトと。ボスと。ラボの面々と。西洋文化と。英語のできなさぶりと。サボりたい衝動に駆られる自分と。戦いだらけです。ふぅー。汗
Ysk、もともとおとなしい人間ではありませんがwこっちに来て外から日本を見るにつれて、「やっぱ戦い続けないとダメだな」って思うようになりました。
ちまたで言われているように、日本って平和すぎかも。
いや、違いますよ、戦争しかけろなんて絶対言いませんからね。^^;笑
僕が言いたいのは「姿勢」の問題です。


僕みたいな世界にいると、否が応にも戦わざるを得ません。本当に世界中で競争状態です。実際去年は残念なことがありました><
僕が一番仲良くしてもらっているポスドクのプロジェクトのことです。そのテーマは腰掛け7年くらいになるそうです。これまでに何人ものポスドクと学生が一生懸命にやって来たテーマです。数年前にその途中までで論文発表していたんですね。その後もグループ内でもメインテーマとしてやって来ました。しかし、残念ながら未だ完成を見ない状況でした。完成までは凄い近い状態ですが。それが突然の不幸にさらされます。中国のグループが、その数年前に発表した内容をそっくり踏襲してかなり似たものを完成させてしまったのです。我々からすれば、「盗まれた」と主張したかったところですが、サイエンスの世界における平等性からすれば、その主張は通りません。倫理的にどうかという問題はありますが。もちろん、僕らのグループの人々は全員憤っていました。ボスも含めてね。しかし、どうしようもありません。我々は「先を越された」のです。7年やってきたテーマの多くの部分が表に出せなくなってしまいました。敗戦とは無残なものです。。。

ちなみに、中国という国は、経済力もそうですがマンパワーも尋常ではなく、こちらの2倍から3倍の人材を投入して不夜城的な環境で怒濤の攻勢をしかけています。同じ方法論で挑んでいては勝ち目はほぼ無いという感じです。マンパワーや仕事量でものを言わされてしまう場合は本当に多く、明らかに人材不足の日本や、欧州各地から優秀なマンパワーを集めているイギリスやドイツを初めとする欧州勢ですら、戦い方そのものを変更しないと中国には対抗できなくなっている状態です。そのくらい今の中国には勢いがあります。ぶっちゃけヤベーっす。^^;

さて。それで何が起こったか。我々としてはそのテーマを死なす訳には行きません。戦略を変更して別法、しかもより効率の良い方法でやることを考えなければなりませんでした。現在、必死になって取りかかっています。その間に、その中国のグループは先でのbig paper(世界中から高くされている論文雑誌)を含めて2報の報告を行っています。我々のやっていたテーマを良く知る業界の研究者は(特に欧米の)、僕らのグループの結果を横取りした、と解っています。しかし、それで公にクレームをつけて撤回を要求することが出来るような世界ではないのです。ま、でも、その中国のチームよりも良い物が出せそうだという感じがしていますけどね^^v やられたらより良い方法で仕返しです☆
幸運にもYsk自身のテーマは関係していなかったのですが、僕もこの時から危機感を抱くようになりました。恐いなと。それ以降、ボスもかなり焦りだしていて、プレッシャーをかけまくって来るようになって大変です。^^;笑 世界のどこの誰がやっているともわからない状態で、アメリカだろうが中国だろうが、はたまた日本だろうが欧州だろうが、とにかくどこの誰よりも早く成果を出して発表しなければならない。そういう戦いの中で生活しているんだと、強く実感させられる事件でした。

ハウスメートの研究室でも似たような事がありました。こちらはYskのグループのような不幸には見舞われませんでしたが、危ないところでした。競争相手がいることが発覚して以来、早急に論文化を行って、その競争相手よりも早く論文を出せたからです。競争相手を発見したときの焦り様は、ハンパじゃなかったでしょうね。「なにーー!!!」的な。笑 一方で、その競争相手は現在途方に暮れていると思います。^^;

実際この様な不幸が起こった時、別の戦略を採ることによってそのテーマを存続させられる場合も多いですが、本当に残念なことにそのプロジェクト自体を諦めて撤退せざるを得なかったというケースも知っています。戦略の変更だけでも相当な損失なのに、撤退にまで追い込まれると絶望の域です。それまでにかけた何千何万という時間、何千万、場合寄っては何億という研究資金、それらがあっという間に無駄になるのです。(それは言い過ぎか。。。^^;)だから、毎日毎日、勝たなければならないという危機感を持って戦い続けることを余儀なくされるのが、僕ら研究者です。

え!!??そんなにお金かかってるの?って思う人が多いでしょう。はい、かかっています。^^;実は。。。 「無駄じゃん」っていう人も多いでしょう。しかし、もし産業に繋がるまで研究が進んだ場合はそんなもんじゃないくらい経済効果をもたらす研究はたくさんあります。もちろん、そうじゃない研究もたくさんあります。そして、経済効果は現段階では期待できないけど、遠い未来では経済効果が生まれる「かもしれない」研究も山ほどあります。
この話は新たな議論を呼ぶわけですが、ここではひとまず置いておきますね。
ま、とにもかくにも、研究者っていうのは戦いの生活なわけです。


もっとシンプルな例はビジネスですよね。商売という観点でお金が絡んで来ると、もうそれは競争の世界です。同業他社とは常にライバル関係にあり、いかにしてその他社との違いを出して物を売り込むか、というのを常に考える必要があるわけです。1円でも安く、かもしれない。最先端技術の投入、かもしれない。最も質が高い製品、なのかもしれない。色々ですが、とにかく市場を押さえてできれば独占状態に持ち込みたい(法的に問題無い状態で)というのが、その世界ですね。
製造業なら安くて質の良い製品、もしくは誰にも真似できない製品を開発して売る。資源関連なら、出来るだけ安く精製して必要とする産業界に卸す。(日本の場合、これがかなり問題を抱えているわけですが。ま、それも置いておきましょう。)
サービス業界なら顧客の獲得競争に勝つ。
本当に競争だらけですよね、実際の所。


さて、こっちで感じるのは、日本にいる時よりも競争しているなとということです。というか、それが当たり前の環境なのですが。日本って、分かりやすい例が受験戦争で、それを通過するとものすごいモラトリアムな生活が待っているんですね。って、自分も一部はそうだったんですけど。汗
こっちの人達は大学に行くのでも競争、大学での勉強でも競争、何かをしたりどっか行くのに必要な資金を獲得するのも競争。常に競争、競争、競争です。アプリケーションを書いて、インタビューを受け、奨学金を獲得。もしくは失敗。そしてまた応募。獲得、失敗。
日本と大きく違うのは、大学生になるときにはもう独り立ちして自分でお金を稼ぎながら勉強するということ。その競争に負けた人間は大学にすら行けないということです。ま、家がお金持ちの場合は、親にお金をもらって行けるのですが。まあ、これくらいは日本でもご存じの方が多いでしょう。日本とは大違いですよね。つまり、平均年収が日本よりもずいぶんと低い家でも、子供に使うお金が少ないので、それなりに裕福な生活を送れる訳です、このイギリスという国は。しかし、そこには競争が必ずあります。

もう一つ書き留めておくのに値することは、一度、その奨学金やフェローシップに失敗しても、別の代替の物がある、もしくはもう一度でも二度でもチャレンジできるということです。失敗したらどう言うかと言えば、シンプルにunlucky。以上。はい次!です。^^ 
こういうところ、タフっていうかポジティブですよね。
この辺のシステムや文化の違いは日本と比べて大きいと思います。
だから、競争するという事に対して怖さが無いんです。常に前向き、攻めの姿勢でいるんですね、彼らは。
日本にいると、一度の大きな失敗がずっと後を引く結末になりがちですので、失敗は取り返しがつかないということになって、ついつい守りの姿勢になりがちです。
ですから、競争に恐怖感は付き物で、前向きになれずに、あれを「しなきゃ」これを「しなゃ」ということになって受け身になりがちです。結果、それが気分の高揚を押さえ込んでしまい、時には鬱状態に追い込まれることだってしばしばですよね。
こっち来て思うのは、どうせ競争しなきゃならないんだったら、絶対ポジティブに考えて楽しむくらいでやった方が、なんか幸せだよなーって言うことです。


もう少し広いことを考えてみます。
グローバル化って言われ続けて随分と経ちますよね。もうYskが子供の頃から言われていることです。「これからの時代、絶対英語は必要」とか言われ続けて育ってきた気がします。しかしですね、グローバル化ってなんでしょう?具体的に。
正確な定義はwikiでも見れば良いでしょう。私達の生活に関連しているレベルで考えた結果、Ysk的には「職業獲得競争」です。

正直、日本にいるとその感覚はありません。理由は何てことはないです。日本という国に守られているからです。ビザの発行を制限したり、高い関税をかけたり、法律を整備したり。あらゆる手段を使って日本人を守っているんですね。どこの国もそれはやっていることなんですが、EUっていう一つの共同体を作り上げ、その中にある英国っていう感じで見てると、日本人の守られ具合は相当なものです。
そもそも日本語100%で生活している国ですから、それだけでかなりの障壁になっています。そこの法律や税やらが関わってくるんですから、外国人にとってのハードルは高いですよね。
このこと自体は別にひとえに悪いこととは言えません。これがあることによって、経済的には欧米の経済状況にそれほどまでに左右されずに、ある程度の規模で独自の経済圏を築けているようです。(浅い理解ですが。)欧米の経済の雲行きが怪しくなると、すぐに円高に振れてしまうのって、そういうことなんでしょう。(これも浅い理解。。。)

一方、イギリスはどうでしょう。今は就労ビザの獲得は難しくなったみたいですが、(って言っても英語の試験をパスして働く場所を見つけさえすれば獲得できます。ちなみに英語の試験はYskの稚拙な英語レベルで取得できる程度です。ははは。)一昔前は随分と簡単に取得できたようです。しかし、EU間の人材交流は大変に盛んです。EUの間を動く場合、就労ビザ無しでずっと滞在できるのです。ですから、イギリスには相当な数のヨーロッパの人がいます。フランス人、ドイツ人、イタリア人、スペイン人(特に今のスペイン経済は酷いらしく、相当な数います。)、チェコ人、ハンガリー人、ポーランド人、、等々。もうイギリス人がメインじゃないかもって思うくらいです。これに加えて、ビザを取得したアメリカ人、インド人、中東の方々。もうすごい人種の数です。ほとんどの人は英語が喋れるので、イギリスに来たい放題なんです。

結果何が起こったかと言えば、当然、イギリス人の職業が奪われました。しかしそれは仕方のないことです。EUってものを作った瞬間から、それは予想できたことです。
じゃあイギリス人はどうするか。国内の政策で新たな雇用を産むことが出来れば良いですが、実際はそんなに簡単でもないですから、もう国内にいても仕方ありません。当然ながら出て行く訳です。
しかしですね。そのとらえ方が日本人とは少し違うんじゃないかな、と思うんです。決して、「しゃーない。」「残念ながら。。。」じゃないんです。奪い返しに行くんです。やってやるぞって。ドイツとかスイスとか、そういうオープンな国に出向いて行ってそこで就職する。当然、そういう国もある程度、国民の雇用を守ってはいます。
・・・ほらね。競争でしょ。
EU圏内ではこういう状況なんですね。EUの会社は優秀な人材を世界中、特にEU圏内で確保したい。EU圏内の人間はその雇用に群がって競争して獲得する。職業獲得競争です。EUの中だけで収まれば良いですが、そうじゃない場合だっていくらでもあります。アメリカ人が来たってビザの問題さえクリアしてしまえばOKだし、アメリカに限らずインド人や中国人だって良いわけです。もちろん日本人でも。ええ、ですから、グローバル社会で一番目につくことって、世界中で繰り広げられる職業獲得競争なんですね。
これがYskの理解です。

研究者の世界なんて、もう最先端のグローバリゼーションだと思います。極限的にシンプル。「できる?できない?」それだけです。できるならポジションを与えましょう。頑張って研究して世界のためになる成果をあげてください。ダメなら別の人間に変えますからね。って。ただそれだけです。英語ができる限りですが。。。^^;
もうどこの国の人間だっていいんです。世界的に有名な研究室なんか、毎日のように世界中から働かせてくれっていう連絡は来ます。ボスはシビアに「出来るか出来ないか」を判断して雇用の可否を決めているんですが、あくまでシンプル。出来る?出来ない?です。
ですから、私みたいな人間は、常に成果をあげることを目指して日々努力し、来るべきチャンスで「私できます!!他の人よりもできます!!」ってアピールしないと、仕事が無くなっちゃうんですね。そりゃしんどいですよ。少しは分かってもらえますかね?この競争環境。

しかし。そう考えると、あまり安定しないように見えて、不安になってしまうところが私達日本人の悪い習慣。^^b 違うんですよ。攻めるんです、彼らは。こうやってやろう、ああやってやろうって。だから自分自信のアピールの仕方も非常に上手いです。恥をかく事なんてほとんど考えていません。それよりもどうやって自分を良く見せるかに努力を注いでいるのです。個人的な意見ですが、「黙っていたって見る人が見れば自然と判断される」っていうのは日本人の甘えだと思います。やっぱね、戦って始めて自分がやりたい場所でやりたいことができるんですよ。だから攻めの姿勢を失ったら本当に痛手なんです。
逆に言えば、ポジティブに考えて、攻めの姿勢でやってないと辛いとばかり感じて身が持ちません。ドロップアウトしてしまうポスドクの方たちには、その様な姿勢を感じます。


現在の所、我々若手研究者の職業獲得競争が激しい地域は、何と言っても第一にアメリカが筆頭。次にイギリス、ドイツ、スイスあたりが続くでしょう。その次はシンガポールでしょうか。日本は、欧米人が来ないことが幸いしてか、日本人同士の競争は厳しいものの、世界中を巻き込んだ競争とまでは行っていない気がします。しかし、その分日本の研究機関や大学の世界的評価というのは数年前と比べてずいぶんと下がっています。この現状をどう見るかは個人次第なのですが、私は現状でOKとは思いません。中には「アメリカがなんだ、英語で講義?ふざけるな。日本は日本で立派にやって行けている。」とおっしゃる先生も多くいらっしゃいますが、私からしたら単なる甘えでしかないと思います。アカデミアにおけるモラトリアムな生き方が許された時代は、とうの昔に終わっているというのが私の理解です。いつかこの場で書いた「末は博士か大臣か」の博士像は、どことなくあの物静かで牧歌的な湯川秀樹を想像することが多かった様ですが、それも遙か遠い昔のこと。日本の科学技術界も間違いなく研究者同士の世界選手権のリンク上に立たされている、という競争意識を持たなければならにと思います。

そのリンクに立つことを拒み続ければ、置いて行かれるだけです。一部の研究成果は特許などで産業と密に繋がる可能性があります。その可能性がある分野は一秒でも早く競争相手よりも先に成果を上げなければなりません。のほほんと能天気にやっていては、よっぽどの天才でもないかぎり、勝ち目はないのです。そして競争に完璧に敗れた場合、それまでかけた時間と資金は無駄そのものです。そして、国民からの信頼と信用を失う上に科学に対する失望をも与え、科学界または学術界に対する市民の理解が遠のき、研究を続けること自体が難しくなり、自分で自分の首を絞める結果になってしまうかもしれません。そうなっては一大事なことは明らかです。オリンピック目指しているスポーツ選手に似てますよね。強化選手は税金を投入して強化して頑張ってもらい、オリンピックでメダルを取って国民に勇気と感動を与えてもらう訳です。科学の場合勇気と感動とか大それたことは簡単には言えませんが、税金を投入するという点では似たところがあります。簡単には負けられません。

少し話はそれますが、日本人一般の科学に対する理解が欧米よりも劣っているのは、単に教育の問題でもありますが、モラトリアム的に研究をやって来たという競争意識の欠如と、国民の理解を得る努力を怠ってきたツケでもあります。私達若手の研究者はそういう問題を解決することも求められているに違いないと私は思っています。

一方で、日本の科学の土壌が遅れたままになった場合、これも一大事です。もちろんそれでも日本に残って優秀な研究をする方はいます。しかし、職業獲得競争とは、個人が能動的に動く活動に加えて、雇う側が引っ張ってくるケースも多々あります。そうすると、本当に優秀だと世界で認められる研究者は世界中から声がかかり、より給料の良い、より快適な、より優秀な人材が集まる環境へと引き抜かれることになります。日本でも既にそういう方はいらっしゃって、米国や英国で教鞭をとられている立派な方もいます。はいはい、そうですか、というのは裏を返せば結局は嫉妬で、日本も外国人を呼び込むくらいのつもりで攻めに転じないと、特許競争などで本当においてけぼりになってしまうとでしょう。特許競争ではどこの国籍の人間がやったかが重要なのではなくて、どの国で行われた研究なのかということが重要です。ですから、これは本当に急務の課題なのです。


いつにも増して、アカデミア・サイエンス界の話を多めに書いてしまいましたが、一般のビジネス界だって同じですよね。日本の場合は少し遅れていますが。世界標準に照らし合わせてもグローバル企業と言える企業形態が日本でも出て来ています。まだ数は少ないんですけど。そう言った企業においては、必ずしも従業員が日本人である必要はありません。日本語が堪能であれば言うこと無しですが、英語で意思疎通がしっかりできれば企業にとっては何の問題もありません。それでいて日本人よりも人件費が安ければ無理に日本人を雇う理由も無くなります。そうやって世界中で市場獲得競争を展開する体力をつけるのです。世界に目を広げれば、そのような本当の意味でのグローバル企業の在り方自体は、既に標準的です。日本の場合だけまだ珍しく、ある意味で遅れていると言えます。この様なことを言うと「世界世界って分かったようなことを言うな。日本は日本独自のスタイルで立派にやっているじゃないか。」という意見が必ずと言って良いほどあります。私はそのスタイルを真っ向から否定するほどの世界基準信者ではないですが、一方で、このままの不変を貫いていいですよ、ときっぱりと言い切れる程日本のスタイルに対して自信を持てません。結局のところ現在はまだ過渡期なのであり、中国やインドその他の新興国のレベルが日本に限りなく近づいて来たときにどうなるかを予想すれば、この世界基準の波を拒むことは遅かれ早かれ難しくなるのではないかと思うんです。



ある意味で、研究者の世界というのは極めてシンプルでクリーンで、システムという意味においては時代の最先端かもしれないと感じる時があります。研究者の世界で起こっていることが、ビジネス界においてもいずれ標準となるでしょう。私にとっては残念なことに、日本人の研究者は「世間知らず」と言われることが多々あります。確かに、私の様なポスドクは日本の「世間」に詳しくはないんだとは思いますが、こうやって日本を出てみると「世界」を目の当たりにします。結局、始めに書いた通りの言葉なんですが、日本でずっと立派にやってきた方々も、内向き志向じゃなくて、攻めの姿勢で前向きにもう少し世界に目を広げてみる必要はあるんじゃないかと思います。


あまり詳しくないことに関して軽はずみで述べるのは良くないことですが、TPPなんかももう少し攻めの姿勢で行ってもいいんじゃないの?と思います。日本の農産物って世界で売れませんかね?品質なんかやっぱりこっちと比べると一級品だと思いますけど。もちろん、すごい安い野菜とか入って来ます。じゃあ日本の野菜は世界で売れませんかね?攻めの姿勢でどんどん世界市場を開拓して行けば生き残る道は充分にあると思うのは私の安易な妄想なのでしょうか。
日本企業の社員も日本人だけを相手にせずに、世界に向けてもう少しだけでも解放したら日本人の失業率はぐっと上がってしまうのでしょうか。そうなった場合、日本を飛び出して逆に世界の舞台で職業を得るっていうか奪い返すことはできないのでしょうか。僕はきっとできると思うんですよね。日本人のタフさは西洋人と比べものにならないくらい、間違いなく一級品だと思います。
日本の大学に受け入れる留学生を増やし、英語で講義を行うと日本の学生の質は落ちるんでしょうか。何も全部英語で講義を行うなんてラディカルなことはやる必要ないと思いますが、必要単位を揃えられるだけの数の英語の講義を開講するくらいできると思います。確かに今の日本の大学の研究レベルはすごく高いとこちらで感じます。(学部教育のレベルは残念ながら低いです。)総じて博士課程終了時の博士の質はイギリスに劣りません。むしろ上です。(イギリスは学部卒業してから博士課程修了まで3年しか必要ないっていうのもあります。ちなみに日本は最短5年です。)じゃあ、そこに英語教育というの入れて外国人をたくさん受け入れる環境を作ったらその質は落ちるんでしょうか。いや、むしろ上がると僕は思うのですが。

今書いたことっていわゆる「逆手に取る」ってことなんですよね。僕はこの言葉好きです。好ましくない状況が事実として目の前にあったとしても、それを上手く利用してしまうと、面白いことに事態が好転するってことはよくあると思うんです。


こういう類の話をすると、伝統を守るということがトピックに上がるんですが、伝統って守るだけのものではないと思います。ロンドンの街を歩くと一目瞭然なのですが、輝かしい伝統を持つイギリスの文化が溢れるロンドンにおいて、その伝統は攻撃的な形で守られています。ある友人が「ロンドンは古いのが新しい」って言っていたのですが、単なる古さと新しさの融合以上の物なのかもって思います。(ベルリンもそうらしいです。)脈々と伝わる伝統に対して果敢にチャレンジしてきた結果、常に新しい形でその伝統が守られてきた感じがするんです。


特にスポーツにおいて「攻めは最大の防御」なんて言いますが、どこでも通じますよね。私達の場合、どうしても不安や心配が先に来て、ついつい守りたくなってしまうのですが、変化が激しい現在においては利点が少ないと思います。というのも、単に守っているだけだと、周りからほとぼりを埋められて身動きが取れなくなってしまうからです。(色んなところで日本はそうなりそうな気配があります。)つまり、内向きでいる間に基準を変えられてしまうんです。

そう言った意味においては、攻めるとは変化の主導権を握ることであり、守るとは変化に対して目をつぶること、だと思います。常に攻めていたいですね。だってそっちの方が楽ですもん♪笑


歴史は繰り返すなんてよく言いますけど、現在の閉塞感漂う日本における、モラトリアムへの執着、数年前からのおバカブーム、なんとなく感じるちゃらちゃらとした軽い雰囲気は、鎖国状態で黒船を迎えた後に崩壊した江戸末期における「ええじゃないか運動」に通じる物を感じます。一説によれば、この運動は世直しという目的があった運動だと言われていますが、残念ながら現在の日本の状況においてはそのような目的はみじんも感じません。笑 私達も現代の黒船が何なのかをきちんと理解し、変化の主導権を握るべく、前向きな攻めの姿勢で世界を渡り歩いて行きたいものです。

侍スピリッツ忘れるなかれ。
Yskでした☆

こっちの冬は湿ってるんだよなあ。。。キレイだと思うときもあるけど。。。

何とも幻想的な風景。。と思いきや目の前はもぐらの穴だらけ。笑




2014年1月16日木曜日

世界中の友よ

こんにちは。Yskです。遅ればせながら謹賀新年ですm(_ _)m
昨年もあっという間に過ぎ去って行き、今年も同様でしょう。
昨年もたくさんの方にお世話になりました。そして僕のブログを読んでくださりありがとうございました。どうぞ今年もよしなに。

今日はたくさんの人にありがとうを言いたいと思います。
ブログをやっている人なら誰でも知っていると思うのですが、一日に何件のアクセスやページビューがあって、どこのサイトを経由したかとかわかるんですね。
で、このブログはものすごい多くの人が読んでいる訳ではないんですが(だいたい1日100人くらい)、とにかく世界各国からのアクセスがあるんです。Yskはそれがすごく嬉しいのです^^
きっと、外国からアクセスしている人達はきっと僕と同じようなポスドクなんだろうなって。そして、共感してくれる所とかすごいあるんだろうなって。

ってことで、世界中の友よー!!ありがとー!!と世界に向かって叫びたいわけです。笑

現在までのアクセス国ランキングを書いてみますね。
1位:日本(もちろん)
2位:アメリカ(これ、意外です。イギリスじゃないんだ。。。)
3位:イギリス(けっこう友達たくさんできたしねー)
4位:ドイツ(友達けっこういるからなあ。誰かさんとか誰かさんとかかなあ。。。でもそれだけじゃないよなあ。)
5位:オーストリア(まぢか。これ、ちょー意外。以前はそこに友達がいましたが。。。その方が熱心に読んでくれたんですかねー。しかしいまだにアクセス多し。むふふ。)
6位:フランス(きっとあの人中心かな。ファンですって言ってもらえた時は嬉しかった〜。笑 でもそれだけじゃそんなにアクセス数上がらないですよね。他にもいるでしょう。フランスのそこのあなた様!ありがとう!!^^v)
7位:ウクライナ(誰ですか!まじで!?これって絶対定期的に読んでくれてる方ですよね?本当にありがとー!!ウクライナにいる友よ!!年上かもしれませんが。。。)
8位:中国(友達数人中国住まいだけどなあ。彼ら?でも、これも意外。中国にお住まいの皆さんこんにちは!!笑)
9位:カナダ(ぬおー><誰ですかー><まぢ予想もつかないです。笑 でも本当にありがとうございます!!)
10位:スイス(あの人とあの人かなあ。。。でもそれだけにしても多いなあ。。。きっと他にもいるんでしょう。ありがとうございます!!)

最近のも載せましょうか。
先の国以外では、オランダ、スペイン、オーストラリア、韓国、スウェーデン、ロシア、タイ、等々。
以前はアルゼンチンとかチリ、ブラジルもあったなあ。。。

ほんと、世界にちらばってる方達が読んでくれていると思うと本当に嬉しくなります。
私は日本語でしかブログを書いていないので、きっと日本人の方ばかりが読んでくれているのでしょう。前に、こっちの友人に「お前のブログを英訳してみたけど、何言ってるかさっぱりわからん!」って言われたし。笑 そして、僕のこの特殊なブログを読んでくれているということは、似た境遇の方たちなのかもしれません。これからも、そんな皆さんのために、ちょっと息抜きだったり、色々と一緒に考えたり、連絡をしたりコメントしたりしないまでも、このブログ上で付き合ってくれるみなさんとの繋がりを大切に、津々浦々と書いて行きたいと思います。
もちろん、境遇の全然違う海外在住の皆さんも、日本にいるたくさんの友達、Yskの知らない誰かさん、通りがかりのあなた、みんな大歓迎です☆

今年もやりまっせぇえ〜o(^ ^)o
どうぞよろしく!!

All the best,

Ysk

正月は地元の温泉で英気を養いました〜
やっぱ日本はえがっぺな〜

夕焼けもまた素晴らしい