英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ

ポスドクの研究留学日記的なブログ

2017年7月29日土曜日

不正:「正しくない」と言うこと

 不正な情報のどれがより正確か?それを考えるのは不毛です。。。
今回はここから考えたことを書いておきたいと思います。


こんにちは、Yskです。お元気でしょうか?僕はいつも通り、何か仮説を立てては実験し、良い結果・成果を出して論文発表する、こればかりに精を出しています。そんな普通の生活を(研究しない人からすれば全然普通じゃないですが笑)送る中で、ふと感じることがあります。それは、

僕たち研究者は「これは正しい」ということを何時でもどこでも求められる

と言うことです。つまり「正確なことだけを発表する」という義務を背負っています。ですから、論文という正式発表で与えられる情報は「正確だ」と言う信頼の下で働いています。もしその情報が間違っていた場合は、大変なことになってしまいます。ましてや虚や正しくないことを意図的に発表してしまうと、犯罪に近い扱いを受け、厳しい罰が下されます(懲戒免職や研究資格の停止、研究費の返還など。さらに発表された論文には「これは嘘です」という旨の赤文字が永久的に残されます。)。なぜなら、世界中の全ての研究者は「正確な情報に基づく社会で活動している」からです。信頼を失わせる行為は許されないんです。


あれ??これって科学界以外の社会でもとても大切なことじゃない??
これが今回、書こうと思った理由です。


僕たちの仕事は自然科学の研究です。研究者は、科学的な考え方や手法を習得したプロフェッショナルな人たちです。大学の教員だけでなく、国公立の研究所や会社の研究機関で働く研究者や技術者も含まれます。
会社などで商品へと結びつける仕事をしている研究者・技術者は、普通は不正を積み上げて良い商品を作ることはできません。不正が明らかになると、会社の信用が失われて商品は売れず、最悪の場合は会社が潰れてしまうからです。不正をすると自分の給料に直接はね返って来るのです。テレビや新聞でも度々大きく報じられて、有名な事件となっている例もありますね。なので、ある意味で、会社で研究する人は不正をしようという発想には至ることは多くはないです。(それでも、疑似科学と言われる怪しい商品が世の中にたくさん出回っていますけど。でも、生意気な言い方ですが、疑似科学を広告して商品を売るような人は、科学のプロではないんですね。、、話がそれました。)
一方、大学などの国公立研究所で働く研究者には、税金をいただいていると言うこともあって、厳しい倫理教育がなされています。
絶対に研究不正はダメだ!
と。本当に半年に一回はあります。毎度毎度。笑 実際に「不正とは何か」から教育されます。一例ですが、とても大切なことなので、参考となるものを示します。


一般的に研究不正と言われるのですが、その不正行為は大きく三つに分けられ「捏造・改ざん・盗用」と定義されます。詳しくはWikiの解説、特に米国のより明確な定義を読んで欲しいのですが(こちら)、個人的には今回の内容にもっと近い→こちらのページをざっと見て欲しいです。これは世界的に有名な科学雑誌編集社による解説の日本語バージョンです。ここでは研究捏造と書かれていますが、これは翻訳時のミスかと思いますので、研究不正と読み替えてください。捏造の説明は易しいと思います。いわゆる嘘をつくることですね。盗用もいいでしょう。誰かの大切なデータやアイディアを盗んではいけません。当たり前です。ポイントは「改ざん」かと思います。Wikiでも先ほどのElsevierのページでも、抑えて欲しいポイントがあります。それが、「データや研究結果を変更、あるいは除外すること」「データや結果の変更や意図的な省略により、研究を正しく表現しないこと」が改ざんに含まれています。これも不正です。正確でないからですね。頷いてくれる人がほとんどかと思います。
実のところ、捏造はまさしく嘘になるので、非常に重い罪と見なされる傾向にあります。分かりやすいっていうのもあります。もう古い話かもしれませんが、STAPやその他の有名事件でも写真の切り貼りで問題になりましたね。非常に罪深いんです。盗用も論外です。ばれたら一目瞭然。恥ずかしい以上に、情けないくらいです。

で、やっぱり、多少複雑なために?罪の一線を越えるハードルが、ある意味下がってしまうのが改ざんなんです。特に「データの意図的な除外・削除・省略」です。

ざっくりとした例え話をしてみます。
「Aが起こるとBになって、それがCへと繋がって最終的にDになる」というストーリー(仮説)を立てます。それを裏付ける実験結果(事実・状況証拠)が得られるとします。しかし、それと同時に、そのストーリーにはそぐわない、不都合な結果も同時に得られた場合どうするか。絶対に無視してはいけないんですね。その実験事実を無視したり、削除したりするのが改ざんです。ちなみに、状況証拠を作ってしまうのが捏造で、もうこれは論外です。それで、その「不都合な事実」は本当にそのストーリー(仮説)に関係無いのかどうかを立証しなければなりません。不都合な事実を出した上で、議論をしなければならないのです。最終的に不都合な事実を科学的・論理的に説明できれば、そのストーリーは正しかった、ということになります。ですから先ほどの「Aが起こるとBになって、、、、」のストーリーに合致する事実だけを切り取るっていうのは、れっきとした不正なんですね。もっとお手軽に言えば、今の流行ではないですが、「結論ありき」はダメだということです。


ここまで理解してもらえれば充分ですので、やっと本題に行きたいと思います。(毎度毎度、前置きが長くてすみません。笑)


今回Yskが言いたいことに、もう気がついてくれている人もいるでしょう。科学界なんてもんじゃないくらい、一般の世の中に不正な情報が多すぎませんか?ということです。正確でない情報ということです。捏造(嘘)、盗用には多くの人が敏感なようですので、そこには自然とハードルが高く設定されている傾向にあるかと思いますが(ネットは例外)、先ほどの科学の現場での話を振り返った上での「改ざん」はどうでしょう?溢れすぎじゃないでしょうか。もう一度改ざんの定義を書きます。

「データや結果の変更や意図的な省略により、研究を正しく表現しないこと」

ここで言う「データ」とは生の情報とか、一次情報とか言い換えれば良いでしょう。「研究」の部分は結論とか状況とか世論とか評判でも良いでしょう。一次情報に多少なりとも編集(加工)が加わると、二次情報となります。その二次情報を私達は常日頃受け取っています。そこに改ざんが多すぎると思います。はっきり言って、不正だらけです。改ざんが不正だとは知らないのかもしれません。でも、明らかに正確ではありません。なので、披露される結論も正しくありません。「正しく見える」だけなのです。

改ざんという不正行為の厄介な点は、事実と言えば事実ということです。なので、事実なのだから良いじゃないか、となってしまいがちです。ただし、これは事実の一部ということを忘れてはいけません。だからAlternative factとか言う人が出て来てしまうのです。「やってることは同じだよ」って投げかけたんですね、つまるところ。皮肉にもこのAlternative factっていう言葉は実はすごい画期的で、世間に溢れる情報は改ざんと言う意味で不正だらけであるということをドンピシャで突いた表現だと気がつきました。そこに目を向けた視点はもはや唖然とするほど鋭いです。こういった視点に立った戦略を無防備な市民に投げつけた結果、これまで築かれてきたメディアへの信頼があっという間に崩れてしまい、昨年の米国のような社会現象が起きたのではないか、との考えに至った時、ゾクゾクしました。早い話、テレビや新聞を代表とするメディアが流す情報は正確でないから信頼できないよ、と大々的に攻撃したら(しかもメディアの手法を逆手にとって)、本当に簡単に崩れてしまったと言うことです。米国のこの件では、マスコミの敗北とか言われていますが、改ざんされた正確でない情報が非常に多いことは事実でしょうから、自滅とも言えそうです。見抜かれちゃったんだと思います。

残念ながら日本も似たようなものです。科学者の立ち位置としては、あまり政治の話はしたくないのですが、「お前は嘘をついているだろ!?」と責め立てるあまり、都合良く切り取られて改ざんされた情報が出回りすぎていると思います。「○○ありき」を暴く手法が「結論ありき」のストーリーではないか、と。愛媛から出て来た80歳を超えたおじいちゃんが国会で熱弁をふるいながら「えっと、うーんと、なんだっけ、、えっと、あーんと、、、あ、ゆーちゅーぶ、ゆーちゅーぶだけが頼りです。」「テレビでは私は存在しないようです。」とか述べている映像を見た時には、苦笑いしました。(テレビでは流れませんが、ネットではすぐに見つかります。編集(改ざん)された結果です。国会でメディアの痛い所をついたんですから、当たり前なのかもしれないですが。。。)

嘘をついているのでは?と疑いをかけられた人がテレビの前に現れるのですが、その「生データ」を編集する側は改ざんしてしまう。何回も書いて申し訳ありませんが、嘘も改ざんも不正です。少なくとも科学では。なので、冒頭の話になるわけです。嘘と改ざん、どちらの不正がより正確か、、、と。不毛ですよね。考えるに値しなくなってしまいます。どちらも不正確です。嘘にはとても手厳しいのに、改ざんには甘い。という今の現状を改善しない限り、僕らが本当に正確な情報を手にすることは難しく、メディアに対する信頼がbetterに向かうことは無いと思います。これは、僕の科学者としての職業病でしょうか。。。笑

ネットの情報には嘘が多いと言う人がいます。その通りだと思います。しかし、ネット上の溢れる情報の海の中にも真実・正確な情報はあります。それがネットの難しい所。一方、テレビや新聞から得られる情報は、事実ばかりでしょうが、政治に絡むほど改ざんされていることが多々です。流行はテレビで作れるとか言う人もいるくらいですから、本当にそうなんだと思います。でも、僕の言う「正確でない情報」を流すことは、犯罪ではないんですね。それに甘えている所はあるのでしょうが、僕ら科学者が本当に罰を与えられるのとは違って、メディアには罰は下りません。僕はそのこと自体には特に問題を感じませんが、公正中立と言って「正確な情報です」としてしまうところがマズイと思います。「我々の考えに沿うように、編集(改ざん)していますよ」と言ってしまえば何の問題も無いんです。無理でしょうが笑 なので、僕たちがそう言う現状であることをしっかり知っておかなければいけないんですね。こうやって書いてみたら、結局これってどこかで聞いたことのあるメディア一般の問題ですね笑 教養のある方からしたら、当たり前の事かも知れません。。。大学の教養の講義でも一度は聞く内容です。それを僕は強く実感したってことです。こうなってしまうと、テレビや新聞からの情報だけを鵜呑みにすることはできないでしょう。。。


こう書いてくると、「なんだ、テレビ新聞の批判か」と不快に思われてしまうかもしれません。テレビも新聞もダメだ!だけでは単なる文句ですもんね。確かにそれだけなら、ここに愚痴る必要は無いです。でも、最終的に別の考えへと至ったので、そっちに移りたいと思います。


みんな科学と研究倫理を勉強しよう!ということです。研究倫理だけでも良いです。数々の有名な研究不正事件の事例とともに。はっきり言って、その事例を見るのってすっっごい面白いですよ、本当に。笑 逆に「税金使って何やってんだ!」と怒る人もいるでしょう。とんでもないことやっているとんでもない人っているんだなって笑ってしまう人もいるでしょう。(それによって研究者のイメージが悪化するのは困りますが。。でも事実は事実だから仕方ない。。。本当に極々わずかな人ですけどね。。。これが一部の事実。)でも、その事件・事例をもとに、

「不正とは何か」

もっと言えば、

「正しいとは何か」

を科学の視点で学ぶ事ができると思うのです。正しいことを見抜く力は、何も科学だけで役立つことではありません。むしろ科学とは無縁な社会で絶大な力を発揮するでしょう。科学の論理とは本当に強力なのです。そして、そんな人達が本当にたくさん増えたら、溢れる情報の在り方も随分と変わって来るんじゃないかな、と期待します。もちろん絶対に良い方向に。これって、すごい社会貢献ですよね。科学と研究倫理を勉強するのは、社会貢献なんです。しかも個人で出来ちゃう。すごい良いことじゃないですか!
 僕も科学者としての研究不正に関する教育を受けたのがきっかけで、こんな事が書けています。はっきり言って、その講義自体は毎度毎度のことで既に面白みが薄れてしまっていたのですが、今回の発想に至ったことで、その教育を受けて本当に良かったと思えました。こういったことこそ、科学に携わる人だけでなく、一般の人々にも知って欲しいな、と心底思いました。
毎度の事ながら、くどく、もう一度。笑 

科学研究倫理を学ぶ事は大きな社会貢献です!
さあ、皆さん、科学を勉強しよう。

最後に今回の話を総括する意味で、いつだか話題になった名文をこのタイミングでもう一度紹介して終わりにしたいと思います。



Yskでした。




P.S. 日本の畜産業を支える獣医さんは本当に大切な存在です。この仕事に人気がなく、人が集まらないのには様々な理由があると思いますが、実際「光が当たらないから」というのが大きいと思います。人と同じように命を扱うのですから、決して楽な仕事ではありません。世の中の大勢の人が、その大切さと大変さを理解し、少しでも敬ってくれれば、それを目指して社会貢献したいと思う人も、少なからずいるのではないかと思います。ですから、こういった本当の問題が、何か別の目的のためのネタとして軽く扱われてはならないと思います。これだけは確かだと思います。これからも、美味しい安全な肉・乳製品を食べ続けたいです。