英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ

ポスドクの研究留学日記的なブログ

2013年3月8日金曜日

静かなる夜のロック

こんにちは。お久しぶりです。Yskです。
今日は木曜日ですが、早く帰ろうと思って頑張って帰って来ました。って言っても9時だったけど。爆 要領悪いのかな。。。(悪いです。←泣)

日曜日からハウスメートが日本に帰国し、一人暮らしを満喫して、、、おりません←www
一人暮らしは学生時代にしましたから飽きました。物音一つしない静かなイギリスの夜です。ちょっと寂しくもあります。あれ、、、今頃ホームシック??笑

早く帰りたかった理由は2つ。まず腰が痛いからorz もともと椎間板ヘルニアなのですが、またやってしまったみたいで、時々相当辛くなります。こないだの朝は動けませんでした>< Oh... で、今日はこちらで初めて医者に行きました。GPとか言われている地域の町医者にかかって色々とアドバイスを受けて来ました。英語力にまだまだ不安が、、、と思っていたらラボの親切な奴(もはや親友と言える^^わーい)が一緒に来てくれました。うーん、なんと優しい〜。しかし自分のダメさ加減にも辟易します。Orz 子供か←笑
こちらの医療システムは日本とはだいぶ違いまして。その話は次回にしましょうか。

2つ目の理由はちょっと疲れ気味で、好きな料理を食べて元気出そうと思ったから。今日はこれを作りました。
あれ。。。写真にすると汚いな。。。
こういう奴の名前、忘れてしまったけど、こんな料理があった気がします。。。。で、作りました。笑 まぁ見ての通り、白菜と蕪(みたいなやつ)と挽肉の煮つけ。味付けは中華風。地味にあんかけにしてみた。ぐふふ。
こないだ、自宅で外国人呼んで、鍋パーティしたら白菜が大量に余ってしまったので、これにしました。右に見える小さな赤っぽいやつは、peppery radishというらしく、赤カブみたいな味ですね。っていうか赤カブか??
そのpeppery radish。見栄張りの果物を添えて。
(ちなみに果物は鍋パの余り物www)

で、そいつを切ってゆでてると色が落ちてあんなんに汚くなるんですよね。汗
あと、今日は使った肉は七面鳥です。笑 turkeyですね。鶏肉よりも味が淡泊じゃなくて、僕はけっこう好きです。それをまず炒めて、次に切った白菜と''赤カブ''を入れて水を多少入れて煮ます。味付けは塩胡椒を少々にウェイパー(手抜きw)と少しのダシと醤油。
で、お味はというと、、、、うめーーーでございます(T T)いや、まじで(T T)(T T)
もしかして、私、お仕事の有機合成化学よりもセンスあるかも??嘘

はい、ごちそう様でした〜。(マスカット美味い。。。)
いや、しかし、静かですね。こちらで一人暮らしはなにげに初めてです。
外は雨。しくしく。そして寒い。ぶるぶる。部屋は私がキーを叩く音のみ。かたかた。
、、、しーん。音楽が映える夜です。
さて、音楽と言えばクラシックの私なのですが、そうでない曲だって聴きます。ここ数日はロックですね。UKロック。元々ロックが大好きな時期がありましたが、すごく若い頃です。洋楽はちょーーーー有名なバンドしか知りませんでした。で、こちらに来てずいぶんと知るようになって、覚えたのです。
しかし、私の頭のなかはベースがクラシックですから。ロックと言えども、何か物静かなのを聞いています。有名どころばかりですが、何曲か紹介しましょう。
まずはOasisのDon't Look Back in Anger。Oasis聞く人なら誰でも知ってる、ちょー名曲ですよね。こっち来て知ったのですが。^^; しかし、本当に良い曲です。メロディーが素晴らしい。すぐに頭に染みつきます。
Slip inside the eye of your mind
Don't you know you might find
A better place to play
You said that you'd once never been
But all the things that you've seen
Will slowly fade away

So I start the revolution from my bed
Cos you said the brains I have went to my head
Step outside the summertime's in bloom
Stand up beside the fireplace
Take that look from off your face
You ain't ever gonna burn my heart out

何といってもこの歌詞がすごいです。


次は、こちらも有名なCold playのIn My Place。
これは始まりのギターが頭からはなれなくなります。Cold prayは本当に優しい音を出すバンドだなと自分では思っています。静かなるロックバンドという感じ。美しくもあります。

if you go, if you go
and leave me down here on my own
then I'll wait for you

yeah, how long must you wait for it?
yeah, how long must you pay for it?
yeah, how long must you wait for it?
for it

singing please, please, please
come back and sing to me
to me, me
come on and sing it out, now, now
come on and sing it out, to me, me
come back and sing

寂しい歌なのですが、一人で鬱々と聞くと癒されます。
最後は、ちょっとマイナーだと思います。Snow Patrol のRun。このバンドはスコットランドのバンドみたいです。こっちに来て初めて知ったのですが、特にこの曲はすごく良いです。これも寂しげな曲なのですが。。。なーんか、イギリスって寂しげな鬱々とした曲が見事に雰囲気にマッチして良い感じなんですよね。天気のせいなのか、歴史のせいなのか、はたまた私の好みのせいなのか。^^;
日本の人は、聴いたことない人が多いと思います。でも、いいっすよ。
この曲は、メロディーも良いですが、もう歌詞が本当に良い。男の歌詞です。こういうのは世界共通なんだなってしみじみ感じます。歌詞が好きすぎるので、全部載せちゃいます^^v

I'll sing it one last time for you
Then we really have to go
You've been the only thing that's right
In all I've done

And I can barely look at you
But every single time I do
I know we'll make it anywhere
Away from here

Light up, light up
As if you have a choice
Even if you can't hear my voice
I'll be right beside you dear

Louder louder
And we'll run for our lives
I can hardly speak I understand
Why you can't raise your voice to say

To think I might not see those eyes
Makes it so hard not to cry
And as we say our long goodbye
I nearly do

Light up, light up
As if you have a choice
Even if you can't hear my voice
I'll be right beside you dear

Louder louder
And we'll run for our lives
I can hardly speak I understand
Why you can't raise your voice to say

Slower slower
We don't have time for that
I just want to find an easier way
To get out of our little heads

Have heart my dear
We're bound to be afraid
Even if it's just for a few days
Making up for all this mess

Light up, light up
As if you have a choice
Even if you can't hear my voice
I'll be right beside you dear

かっこええですわー。I'll be right beside you dear.....ですか。こんなこと本気で言えたら幸せでしょうね。


静かな雨の夜です。
おやすみなさい。

Ysk

2013年2月10日日曜日

ベートーベン ピアノソナタ 第十八番

こんにちは。先週は温かかったのに今週は寒い。そんな日々でした。昨日は1980年製の赤ワインをごちそうになり、大満足の時を過ごしました。生まれて初めて赤ワインを心から美味しいと思いました。赤というよりは紫+茶色に近い赤ワインでしたが。しかし、驚くほどマイルドでビックリでした。
研究も順調と言いたい所ですが、そうも行かず。昨日は机に張り付いてデータとにらめっこして終わりました。 しかしその結果、とんでもない反応が起こっているんじゃないか、ということに気がつき、赤ワインの味をよりいっそう美味しくさせてくれました。水酸基を保護するだけなのに、予想だにしない化合物を得る結果になった模様です。まったく目指す物とは違う化合物なので落胆もしますが、あまりにamazingなので改めて有機合成の面白さに触れた感じがしました。研究プロジェクトからしたら無駄な作業ですが、この「いらない物」の決定にもう少し時間をかけてみようと思います。研究なので詳しく述べられませんが。。。

最近のお気に入りは木を見ること。よく見るとデカイってことに気づく。

この木もお気に入り。

さて、私。何回も書いてくどいですが、クラシックが大好きです。最近は表題にあるとおり、ベートーベンピアノソナタ第十八番がお気に入りです。「狩」と呼ばれることも多いみたいですね。ベートーベンと言えば、悲愴、月光、熱情の3大ピアノソナタだったり、その他7大ソナタが有名ですが、それには含まれないややマイナーな曲です。

この曲をきちんと聴いたのはそんなに昔ではありません。初めて聞いた頃に、その良さはそんなに理解できませんでしたが、こちらに渡ってから急に虜になりました。音楽って不思議ですね。っていうか音楽が変わるわけ無いので、きっと私が変化したのでしょう。

この曲、出だしのやや悲しげに聞こえる音がすぐに心をとらえます。第一楽章全体としては軽やかな感じがするのですが、部分部分に響く悲しげな寂しげな音が良い感じです。その音が非常に効果的に配置されている感じがします。なので全体の軽やかさの中にきちんとその音が印象的に残るんだと思います。第二楽章はやたらと速いテンポで弾いているピアニストもいるのですが、私はそんなに速くない方が好きです。左手低音の刻むメロディとそれと調和する右手のメロディが印象的で、ベートーベンらしさを感じます。また所々に出てくるスフォルツァンドに彼の持ち味的な激しさが垣間見れ、格好良いです。特に和音じゃなくて単音で表現されている部分は芯が通ってる気持ちよさがあります。
 問題だったのは第三楽章。初めはあれ?って感じでした。イマイチわからん、、、という。そんな時は、その部分だけ聞いてみるのです。何度も何度も。好きな部分だけ聞くことは多いですが、いつの間にか好きじゃ無い楽章の再生回数が半分以下、なんてことも多いですよね。私の場合、好きとなるとやはり全体を理解したい。なので、ずーーーっと何回もこの第三楽章を聴きました。
するとどうでしょう。今ではしっくり来ます。完全に理解とかは100年早いと思いますが、ああいいな、と思います。たまに出てくるベートーベンの甘さ。第一第二楽章からはちょっと離れた位置取りをしている感じがするのですが、その辺を深く考えずに何回もそれだけ聴くと、なんとなく、言葉にするのが難しいですが、なんとなく頭に染みついてきます。特に印象に残りやすいメロディでもなく、相変わらずベートーベンらしい静と動の対比は見られ、そして時々甘い。なのに全体的にちょっとぼわーっとして終わる。
 正直あまり整理されていない印象がする第三楽章なのですが、なんとなくそれが理解できる気がします。と言うのも、きっとこの調べはベートーベンの内面の描写なのだろうな、と思うのです。人間自分がどういう気持ちでどう考えているのかなんて毎日毎日解っている人なんていないでしょう。時々めちゃくちゃに激しくぐしゃぐしゃな時もありますし、すっきりはっきりしている場合もありますし、なんとなくトロトロしてふわふわしながら軽く鬱々とする時もあります。個人的には、そういう穏やかながらも少し迷いのある精神を感じます。
第四楽章は楽しいですね。ええ、楽しいです。はつらつした感じで気持ちよいですね。あえて言葉にしなくても、聞いた人は好きだって言ってくれると思います。ベートーベンのピアノソナタでこの曲よりも楽しく、軽やかで、ルンルン的な感じの曲って無いんじゃ無いでしょうか。私的には彼が普段は見せないお茶目さを見た感じがして、ニコってします。

さて、全体としての印象は。「凛々しい」。これにつきます。あえてこの言葉を使わずに印象を書いてきましたが、この曲は彼の凛々しさ満載の曲だと思います。ピアノソナタ13番からこの18番までは、暑苦しすぎず、初期の頃のモーツァルト的な要素が強い訳でもなく、バランスが取れていると思います。私が想像するに、きっと彼は耳が聞こえないことを少し忘れていたのかもな、とも思います。健康な感じがします。笑
専門的な知識は皆無なのでこうやって感想を述べるのは恥ずかしいことなのですが、特にこの18番は凛々しさmaxで淡白すぎず、そして格好良く、ベートーベンらしさもあり、彼の優しさとか甘さも感じられ、好きです、と言い切ってしまいたいです。笑

昔はもうそれこそ、超有名どころの悲愴月光熱情が好きで、子供の頃は母親の車でそれがかかっていたら聞き終わるまで車を降りないとか、そんな感じでしたが、今は月光熱情ワルトシュタインあたりは、ぐお〜っていう感じがして、あっっっっつい!って感じがします。あ、でも好きですよ。ただ今は18番の虜になっているのです。

実はこの曲、私の母も弾いた曲です。いつも思うのですが、母はこの曲をどう感じてどう弾いたのか、とても興味があります。女性と男性の私できっと感性も違うと思います。私はもうピアノは弾けないので、母に弾いてもらいたいものですね。昔の音源とかあればもっと嬉しいですね。

この曲のお気に入りピアニストはクラウディオ・アラウです。激しすぎず、軽すぎず、凛々しさを表現してくれていると思います。残念ながらyoutubeでは見つからないのですが、CDで聴いて共感してくれる人がいると嬉しいです。

さて、帰国時にこの曲に対する思い入れを母に話した所、なんとその答えが
「年取ったね」でした。爆
はは、でしょうな。笑 そういう年です。でもエネルギーはまだまだありますがね。
ふはは。
最近お気に入りのベンチ。特に何をするわけでもない。

あっっっっつく燃えて全力入魂するのも好きですが、男性的な意味でelegantに、凛々しくスマートに、そんなのも最近好きになりました。この曲の影響です。
ベートーベンから凛々しさ(と少しだけ甘さ)を教えてもらっています。
 
old man Yskでした。それではまた。

2013年1月18日金曜日

まぁ〜るい世界

http://wpb.shueisha.co.jp/2012/03/11/10233/
私のブログ以上に読んで欲しいので、まずは載っけておこう。

こんにちは、Yskです。
今回、タイトルにちなんで書こうと思ったきっかけはこいつです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130116-00000016-jij-bus_all
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130116-00000119-san-pol

すごく時事的な内容です。
前者は軽減税率を新聞に適用せよ、という新聞社側の意向。
後者は地方公務員の給料を削減せよ、という国の意向に対する地方側の反発。

前者に対しては非常に多くの人が怒っておりまして、大方、私も同意ですね。「知識への課税強化は確実に『国のちから』(文化力)の低下をもたらし、わが国の国際競争力を衰退させる恐れがある」との扇動的な内容ですが、まぁそれを言うだけの資質は伴っていないというのが現状ではないでしょうか。
後者に対しては、反発したいのは理解できるけど、全体で均一に下げるんだから受け入れてよって思います。でも、私は公務員の給料を下げることは決して良い事だとは思いません。それよりも有能な公務員には給料を2倍にして、更に権限をもっと与えて、存分に働いてもらい、能力の無い公務員は簡単に解雇できるシステムを構築すべきだと思います。その上で民間でできることはどんどん民間にやらせて、結果として公務員全体の数を減らし、本当に有能な公務員だけを残す。そして彼らは優遇する。結局、国を動かすのは公務員です。(特にキャリアの国家公務員。それから地方の場合は幹部クラスの上級職の公務員。)その質を落としたら、当然ダメになります。

でも、です。今回、私が言いたいのはこれらの事ではありません。以前に紹介しましたが、以下の記事をもう一度紹介します。
http://wpb.shueisha.co.jp/2012/03/11/10233/
(書き出しの記事と同じです。)
思想的、哲学的な内容で、私には非常に興味深い内容です。
見田先生の最後の言葉が、私をニヤリとさせます。
何百年も何千年も、人間は天国や極楽に夢を託してきましたよね。もちろん細部は宗教により違うけれど、そこには大きな共通点がある。それは天国や極楽には経済成長なんてないってことです。
 そうだよなって人は多いと思います。そして同時に、それが理想論である、現実はそんなのとはほど遠い、って批判的になる人もいるでしょう。そしてその批判は正しい。
何が現実的でないかと言えば、それは将にリアルな物質的側面だと思います。端的に資源(エネルギーを含む)と食料。産業革命以降に急激に発展した科学技術と経済原理の土台に乗っかって(いや、乗っかってなんて軽い感じじゃなくて、根ざして、かな)、幸福とは豊かな「物」に囲まれて科学技術を駆使した「快適さ」に身を包み、更に「精神的豊かさ」を与えるサービスも得ること、という一種のステレオタイプが形成されたと言っても良いと思います。 そしてそれらは「財力」の基に成される。
精神的豊かさは特異な存在として、物や快適さというのは実にリアルな手応えを与えます。乱暴ではありますが、すごく単純化して考えれば、そのいわゆる幸福の源は資源と食料であると言えるでしょう。見田先生の言葉を借りるなら、資源と食料は実に生々しいリアリティを与え、いかに我々が経済やソーシャルネットワークを広げて複雑化しようともそのリアリティが消えることはあり得ない、ということです。

現在、国内外または国籍や人種を問わず、私達はどれだけ「資源」と「食料」の近くにいられるか、と言う所で争っていると思います。例えば、資源がそこにあればそれを持っている国や人がその中心でありそこに権益や利益が発生し、それにできるだけ近い人や国が多くの利益を享受します。食料の場合も構造はほぼ同じ。持っている人が一番強くて、そこに近づけない人(例えば貧乏な国や人)は利益(幸せ)を手に入れることが困難になります。近づく手段は大きく3つ。単純に力ずくで物それ自体を手に入れる、奪う(戦争)。財力を駆使して買い取る、権益を入手する。政治力という高等テクニックを利用して所有者との距離を縮める。 そんな切り口で過去を振り返って見れば、大航海時代や帝国主義は力ずくで物を手に入れるという歴史だし、第一次世界大戦以降の近代戦争を見ても、物を得る以外にも市場を「おさえる」という経済力を手にするための手段だったと考えられます。中東戦争なんてその最たるものです。対テロ戦争だって大元は石油。冷戦だって根本は同じだと思います。哲学的な闘争の一面があることも確かですが、争わなければならなかった理由は紛れもなく「資源・物・食料」そしてそれに付随して来る「お金」でしょう。日本に限ったって一緒です。戦国時代も、戦って土地を得てたくさん米を作れるようにするっていう単純な発想が間違っているとは思いません。日本に土地がなくなれば、朝鮮を奪おうとかそういう話になるわけです。諸外国が日本に押し寄せた理由も、「豊かさ・幸福」の象徴である「金(gold)」をよこせっていう一面があったって考えても良いですよね。(当時、日本は金(gold)に関しては世界の中心だったんだ!)昨今話題の領土問題なんて、まさに「資源・物・食料」そのものですよね。生々しさMAXです。

強引な見方かとは思いますが、まぁそういう話として。あまりつっこみ過ぎるとボロが出るので(ってもう出てるか。笑)。
さて、その中で科学技術はそのような面とは無縁に、人類に平等な豊かさを与えてきたことも勿論事実でありますが、軍事力の拡大に大きく貢献し、またそれが経済の世界に組み込まれてお金を生んできたことも事実です。特に産業革命以降、そして資本主義が台頭して以降は後者が顕著だと思います。科学技術によって物が生まれることや、科学技術そのものに特許という概念を付随させて価値を作り上げ、その価値を金銭へと変換する。科学が時代と共に「物」のリアリティと経済の論理の中に組み込まれて来たのは改めて言うまでもありません。

ところで現代において、権益や利益に接近する上で最も効果的な方法は何なのかと言えば、上記2番目の経済力による買収、制圧でしょう。帝国主義時代から第二次世界大戦くらいまでは、経済力という要素も大きな効果を上げていたでしょうが、武力衝突という選択肢が比較的容易に選択できた(してしまった)時代でもあるため、経済的に行き詰まれば戦争をして力尽くで利益を奪いに行くことが可能でした(ここにおいて、科学技術は良くも悪くも大いに発展し、そして貢献した、してしまった。)。しかし時代が過ぎるにつれて戦争は愚かな行為であるという旨の倫理観が形成され、戦争はそう簡単には起こらなく(起こせなく)なりました。そうなると、残る手段は自動的にお金で制圧するか政治的な手法によって接近するかになります。 後者が非常に難しいのは明らかですよね。1対1やG8などの会合に限らず、首脳会談や外相会談、実務者協議ですら難航するのはもはや当たり前で、それに近づくために相当な時間と労力が費やされ、それでいて結果はあまり出ないのがもはや普通になっています。そして、その政治的手法においてでも最も重要視されるのは当事国の「経済的利益」です。つまり、現代において、利益に近づく手段として最も実行力があるのは財力を駆使する手法です。「資源・物・食料」の中心からの距離を縮める手段として、経済力が相対的に極めて効果的になったのだと、私は考えます。

で、ここでやっと冒頭に戻ります。(ふー。。。)
彼らがしたいことの本質は何なのかと言えば、利益を生む中心からいかに近くに居続けるか、という事に全力を注ぐ、またはそれに近づくための財力を少しでも稼ごうとする、ということです。団体を構成して政治的に圧力をかける、扇動的行為によって民意を構築しようとする、端的に財力をすり減らす行為に抵抗する、などなど。あらゆる手段の目的はそれです。世界レベル、国レベル、地域レベル、業界レベル、どれも規模が違うだけで、その構造は似たもの同士だと私は考えます。
なんだ、単純に言って「権力にしがみつくことと財力が物を言う」。結局はお金が大事。って当たり前のことですね。どうってことない、わかりきった結論です。自明のことを小難しく言ってみた感じになっちゃいましたね。

そういう意味では、一昔前に時の人になった物言う株主だったり、お金で全てを手に入れられると言った人や、TOBをしかけるなど今でも金融界に君臨し続ける外資系巨大投資銀行、またはそれに近い財力を持つ巨大会社。彼らが実際に行っていたことや目指した、現在も目指していることは、精神的に不愉快な印象を与えながらも、「中心に近づく」という行為を、愚直かつ強力に推し進めた結果だと考えられます。(これに好意的な人もいるでしょうが、そうでない人もいるでしょう。私の印象はここでは述べませんが。)

そして、もう一つ自分で確認しておきたいのは、どうして彼らがある意味でここまで徹底的な行動を取るようになったのか、またはそうする必要があったのか、またはそうしたかったのか、ということです。私は本当の理由は「お金が一番だから」ではなく、「資源・物・食料」の限界があるから、限りがある「物」という現実があるから、だと思います。お金は手段に過ぎないのです。限りある物ということ自体が価値になり、その価値がお金に変換される。逆にお金があれば、限りある「物」に近づける、ということです。
とか言ってみても、やっぱり当たり前のことを言っている気がします。笑
頭おかしいかな。。。笑

でもです。ふと考えてみたのです、というか思いついたのです。その「物」の限界が取り払われた時、どうなるんだ?って。それが冒頭の冒頭、見田先生の言う天国なんじゃないかって。しかも、これって10000%無理って話でもなくないかな?って。
石油がいらなくなったらどうなります?世界中の人が食料に困らなくなったらどうなります?

「っていうか、あそこから石油持ってくるの大変なんだよねー。しかも穴掘らなきゃならないし。めんどくせーから太陽でよくね?」とか、
「今日は太陽ギラギラなので、工場フル稼働ですね!」とか。
「あなた、明日から出張で遠くまで運転するっていうから、車のタンク、お風呂のお湯で満タンにしておいたわよ!洗濯機の分と合わせて丁度使い切りだったわ!」とか。笑
「俺ん家砂漠のド真ん中なんだけど、部屋の中で米つくってんだよねー。」とか。笑
「へー。うちは周りに海しかない、ちょーちっちゃな島だから、海で芋つくってるよー。」とか。。。笑
「プロポーズするのにでっかいダイヤの指輪買おうと思ったんだけどさ、高すぎるから鉛筆の芯からつくってみたわ!」とか。。。笑(絶対失敗)

想像するとめちゃくちゃな世界になって収集がつくなくなってしまうのですが。なんかワクワクしないですか?バカかもしれませんが。ええ、っていうかバカだと思いますが。
でもね、それって科学が究極的に発展したらできますよね。エネルギー問題一つだけでも変わったら、とんでもない世界の構図の大変化がおきますよ。ぜったい。
本当に究極的に科学が進歩したとしたら、「物の中心に近づく」という構図は崩壊すると思います。物から皆が均等な位置にいる世界。

まぁ〜るい世界

球体の世界です。
夢物語なのですが、なんかワクワクします。見田先生の言うように、そろそろそんな事を本気で考えて良い時代かもしれません。特に関連する分野の科学者の皆さんは。
経済原理に縛られた世界が崩壊する瞬間、私が生きている間に見られますかね?まぁ無理だろうなぁ。でも、考えると心が躍ります。笑

みなさんはどんな世界を想像しますか?
面白い世界を想像したあなた、コメントに書いてくれたら嬉しいです。

頭がおかしいYskでした。

2013年1月11日金曜日

謹賀新年:MBA

こんにちは。Yskです。遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

さて、私は年末年始を日本で過ごしてこちらに帰って来ました。
やっぱり日本食はいいですね。美味しいですよ。普通の食事でもすごく美味しいと感じます。英国のご飯はまずいとは思いませんが、こう帰って来て好きな物を食べてみると、やっぱりギリギリ満足できるくらいかなーって思ってしまいますね。ストレスがたまってしまうほどではないですけど^^;

さて、こちらに来て初めて新年を迎えました。ボスがクリスマス休暇でエネルギーを蓄えたのか、毎日エキサイティングしていて大変です(笑
負けじとついて行けるように頑張らなくては。。。ははは。。。

さて、今日は私のメモ書き的なことを書いておきます。すみません、きっと不必要な人が多いと思いますが、、、

私のパソコンの話です。元々、私はMacユーザーなのですが、6年使ったMac Bookがそろそろ寿命に近くなってきたので買い換えました。迷わずMac Book Air (MBA)です。
特にこれが一番良い、とかWindowsよりMacが優れているとか、ちょっと詳しいことは知りませんが、とりあえず軽くて格好いいからね^^;
で、普通にMacを使う分には良いのですが、不都合な点はいくつかあります。それがwindowsでしか動かないアプリケーションがある、ということです。例えば私が毎日使うNMRの解析ソフト。うーん不便です。
ということで、Macでもwindowsが使えるアプリケーションを入れる事にしました。
いくつかあるみたいですが、価格面とアカウント数とかを中心に考えてfusion 5にしました。いわゆる仮想ソフトですね。で、そのfusion 5をインストール。そして続いてwindows 8をインストールします。
ここまでは順調〜。さくさくと進みます。そして続いてwindowsで動かすアプリケーションをインストール。これもOK、問題無しです。
と、簡単に全てを整えた、と思ってそのアプリケーションを起動します。
お!Mac上で動きました!!万歳\(^^)/
で、使い続けます。30分を過ぎたくらいに・・・・

「(windows8の)ライセンス認証が行われていません」

と表示されて、使えなくなりました・・・
は?・・・

色々とやった結果、一回シャットダウンすればもう一度使える様になりますが、結局30分でまたダメ。。。orz

windows8をインストールする時にちゃんとプロダクトキーを入力したはずなのに。。。
しかもwindows8の箱は日本じゃないか!!(泣
ということでソッコーでおかんに電話です。
おかんにあたふたさせてしまいながらも何とかプロダクトキーを入手。
再度入力です。

・・・で、ダメだー(T T)
なんで・・・?

おかんに再度確認してもらいまいしたが、結局プロダクトキーは間違っていない。
それでライセンス認証ができない。。。
どういうこっちゃ!!!

困ってしまったので、調べて見ます。
「winows8 ライセンス認証 できない」
とか適当な感じで検索すると、色々出てきますね。
結構同じ問題が起こっている人が大勢いるみたいです。
mac上での話ではなさそうですが。。。
で、とりあえず色々と解決方法が出てきます。

以下では、ラボの奴らと色々話しながら解決した方法を書いておきます。
まず、プロダクトキーを入力した際に出るエラーナンバーが
oxC004F061
でした。詳しいことはまったくの専門外なのでわかりませんが、とりあえず他のwindowsからwindows8にアップデートするためのアップデートバージョンで有効なプロダクトキーになっているとのことらしい。つまり、私の場合はクリーンインストールをするために、それ用のwindows8 pro (64 bit)を買ってインストールしたはずなのに、認識がアップデートになっている、って感じ。この時点ですでにおかしい。。。
解決策はwindows7とか古いバージョンをインストールするとか、そういう感じのことが表示されてしまう。。。でも今更windows7買うとかアホ臭いし。。。

それで、更に更に調べた結果、色々といじると何とかなるらしい、ということが解った。
windowsを使ったことがほとんどないので、無知状態で迷走に迷走を重ねたが、何とか成功したので、その方法を記しておきます。

参照にしたのはこちら。
http://www.pcdiy.com/957/how-to-solve-windows-8-oxc004f061-issue

この記事の''Or you can try this way......''以降を参考にすると、
コマンドプロンプト(command prompt)を使って解決するらしい。

ということで、windowsのアプリケーションからコマンドプロンプトを開きます。
この時に右クリックで「管理者として実行」をする。
英語ではRight click “cmd.exe”, click “Run as administrator”
とか書いてあるけど、これだけやるのにも苦労した。まっぢカスですわ。笑
で、黒い画面が登場。。。
久しぶりに見たね、この原始的な画面。。。
不慣れな状況でびびりながらいじります。笑

書いてある通り、そこに
regedit
って入力してリターン。出てきたウィンドウで
HKEY_LOCAL_MACHINE
Software/Microsoft
Windows
CurrentVersion
setup
OOBE
mediabootinstall 
 の順で進んで行って、このMediaBootInstall を "1" から "0"にする。
(この意味はまったくの不明。。。笑)

続いてもう一度、コマンドプロンプトを「管理者として実行」から開いて、続いて
slmgr/rearm
と入力してエンター。その後コンピュータを再起動。
(この意味ももちろん不明。。。)

再起動したらもう一度windowsを起動する。私の場合fusionを開けば良い。
コントロールパネルの「システムとセキュリティ」に進み「アクションセンター」、「セキュリティ」へと進む。続いて「windowsのライセンス認証」をクリックして、自分のプロダクトキーを再度入力する。
そうすると・・・

やっとライセンス認証できたーー(T T)
これに1日費やしました(笑 ほんと、ダメだ、、、無知すぎる。
特にwindowsに関して・・・汗

そんな感じでやりました。
お困りの方の参考になればと思います。
この問題がmac上で動かすから、またはfusionを使うから生じるのかは解りません。
とりあえず、やってみたら上記の問題が発生して、適当に色々やってみたらこうなった、ということです。はーーー、よかった、できて。。。

とうことで、快適なMac Book Airライフを送っています♪
windowsも使えるので、俗に言われる
「macだとwindowsでしか動かないやつが使えないから不便」
というイチャモンを回避しています。

ってなわけで、fusion と windowsインストールしたMac Book Air最高!!
と、結局は宣伝して終わりにしたいと思います。笑 (^^)
パソコンに無知なので、詳しい方、イチャモンの方はどうか簡便してください><
それではm(_ _)m


※もう一つ。参考です。同じことですがね。
http://answers.microsoft.com/en-us/windows/forum/windows_8-windows_install/getting-an-error-0xc004f061-after-installing/64600fbe-5a75-4865-9023-3101aa2a0b24?page=2
こちらの11月18日の投稿です。

更に追記
こちらも参考になるかも。電話でライセンス認証するらしい。
コマンドプロンプトを管理者として実行して
slui 4
と入力するところから始まります。
http://www.softwareok.com/?seite=faq-Windows-8&faq=40

ちなみに
slui 3
と入力すると、プロダクトキーを入力する所にいきなり行けます。
しかし、上記のことをする前にプロダクトキーを入力しても、エラーが繰り返されるだけでした。私の場合は。。。

2012年12月31日月曜日

Cyprus:変なのに魅力的な国

こんにちは。年末を日本で過ごしているYskです。早いもので2012年も終わりを迎えています。今年は私にとっては大きな変化があった年でしたが、無事にこうやってブログを更新できるのを嬉しく思います。

さて、今日は日本に帰国する前に寄ってきたキプロスの話です。研究室で最も仲良くしている人の母国がキプロスでして、ちょっと遊びに行かせてくれってお願いして、図々しくも実家におじゃまさせてもらったのです。なんでキプロス?って話もありますが、まぁなんとなく、ですね。

皆さん、キプロスって行ったことありますか?私の勝手なイメージとしては、ほとんどの日本人は行ったことがないんじゃないかと思います。すぐに場所も出てこない、住んでる人がどんな人なのかも不明の、すごくマイナーな国だと思います。そんな私も、行く事が決まるまではまったく知識がありませんでしたがね。笑
キプロスはトルコのすぐ南、ギリシャから見るとエーゲ海に浮かぶ島々から更にずっと東へと手を伸ばした位置にある小島です。うーん、マイナーですねー。実はこの島、30年ほど前までは戦争状態にあって、今でも島の北と南が分断されている複雑な事情をした島なのです。現在は、南部がキプロス共和国としてトルコを除くすべての国連加盟国に初運されています。一方で北側はトルコの占領地とされていてトルコのみがそこを国として認めている感じです。いわゆる今年何度も話題になった「実行支配」という状況でしょう。高校で地理や歴史を勉強した時に、少しその話を勉強した人もいるかと思います。そう、そんな問題地域として有名だった国です。

私はロンドンからキプロス(南側)のラナカ(ラルナカ、Larnaca)の空港まで行きました。フライト時間5時間くらいです。けっこう遠いですね。フライト会社のエーゲ航空のサービスがやんなっちゃう感じで精神的にハードなフライトでした。ロンドンヒースローを昼の12時半に出て現地時間の7時半着(英国との時差2時間)。この時間は飛行機から夕日が見えるので綺麗な景色は楽しめます。ちなみに日本からキプロスへの直通便は無いと思います。


さて、Larnacaに着くと彼の兄が迎えに来てくれました。彼の車はHONDA。日本ではもはや珍しいMT車。ナイスな車じゃん、と勝手に好印象を抱きます。彼の家はキプロスの首都であるNicosiaにあります。そこまで車で40分。けっこうかっ飛ばします。今時5速にギアを入れて信号の無い暗い高速道路を走っているのがエキゾチックで良い感じです。Nicosiaの街に入ると日本車の多いこと。TOYOTA, HONDA, NISSAN, MAZDA, MITSUBISHI, SUZUKI, ほぼ勢ぞろいです。ほとんどが古い車ですがね。兄の話によると、昔の中古車が安く売られているとのこと。たぶん10年近く前のモデルかな。
とか考えているうちに家に到着。相当に大きな家です。作りも高級感があって素晴らしい。プライベート空間なので写真を載せられないのが残念ですが、絵画や彫刻が見事に飾られ、本やCDが壁一面に保管されたアカデミアな香りも堪能できる魅力的な邸宅でした。
荷物をおいてリビングに通されて飲み物をいただきます。まぁビール。笑
喉を潤して自己紹介。丁寧に挨拶してくれます。何をしているかとか、日本をどう思うかとか、親切ですね。私も日本人の名に恥じないように最大限の礼儀正しさで挑みます。が、育ちというものは急に変えられるものではなく、結局は普通な挨拶しかできなくてちょっと焦ります。

さてひと通りお話をしたら、出かけます。今夜はキプロス料理だそうです。私の旅の目的の一つはその郷土の料理。楽しみです。車で少し走ってレストランに行きます。で、さっそくビール。KEOという名前です。味は東南アジアで売っている軽い感じのビールですが私は好きです。夏は相当に暑いらしいので、きっとそういう味になってるんでしょう、っていうのが私の勝手なイメージです。暑い国のビールは軽いっていう、単純発想ですが。。。

いろいろ食べましたが、印象に残っているものを書きます。まずハルミチーズ。これはしょっぱいですね。チーズって言われるとチーズですが、ちょっと違うものと思っても良いかもしれません。次はスプラギ。これは豚のケバブの肉みたいな感じです。美味しいです。ギリシャ風、トルコ風、そしてキプロス風とあるらしいのですが、私には違いはいまいちわかりませんでした。でも美味しいお肉であることは確かです。聞いた話で私の理解が間違っていなければ、トルコ風はラム肉だったような。。。で、次はワインソーセージ。これはまっっっぢで美味しいです。ワインにつけたソーセージで、けっこうスパイスが入っていて食欲をそそります。僕はこれが一番好きでしたね。次はレバー(豚だか牛だか忘れました、、、)とラム肉の炒め物。ガーリック風味でこれも非常に美味しい。レバーが好きな人には相当ウケると思います。これもお気に入りの1つです。そういえばメインの前にスターター的なものをいくつか食べました。バラのようにトゲがある草(笑 マッシュルームのピクルス、パンとソース2つくらい。変な味だったのがピクルス。正直美味しくなかった。ダメですって言ったら、「えー、こっちが本物のピクルスだぜ!」って言われましたが1つでもういいやって言ってしまいました。ごめんなさい。それからマッシュルームを焼いたもの。イギリスのマッシュルームも美味しいですが、こちらのマッシュルームもジューシーで美味しいです。そして、キプロスじゃがいも。キプロス人に言わせるとキプロスのじゃがいもはヨーロッパでも高級らしく、美味しいとか。うん、確かに美味しいです。イギリスのものよりも粘り気があるとおもいますた。・・・とまぁとりあえずかなり多くの物を食べました。一つ一つ覚えられなかったですが、総じて美味しかったとおもいます。
写真を撮りたかったのですが、家族揃っている前でパシャパシャというわけにも行かず、撮れませんでした。読者のみなさん、どうか想像してくださいませ。

夜はパブに繰り出して酒飲み。とりあえずビールですね。Nicosiaの街はすごく小さいので、パブも少ないようでたくさんの若者が集まってきます。それでものすごい混雑。(笑 やはりアジア人はすごい少ないみたいですれ違う人に奇異な目で見られます。笑 はい、ごめんなさいねー、変人で。とりあえず飲んで寝ます。

2日目はNicosiaの街を歩きます。こちらでキプロスの歴史を研究している博士学生がツアーを行なっていて、それに参加しました。歩くコースは市内中心部の南北境界線近くです。先程も少し触れましたが、キプロスの歴史は非常に複雑で各列強の支配を受けながら歩んできたようです。はじめはペルシアの支配を受け、アレクサンドロス王のプトレマイオス朝に移り、その後はローマ帝国の支配下になり、一度イギリスの支配を受けた後にヴェネツィア共和国が植民地として手に入れ、一旦オスマン帝国がキプロスを奪い、最後にはイギリスの植民地となります。もうこの時点でぐちゃぐちゃです(笑 第二次世界大戦の後にイギリスからの独立を果たしますが、その時すでにキプロス人にはおおまかにギリシャ系とトルコ系の2種類の人種がおり、ギリシャに併合されたいギリシャ系キプロス人とトルコへの併合を望むトルコ系キプロス人の間で対立が起こります。ギリシャ系の強硬派によるクーデター(もうギリシャにお願いするもんね!っていうのを軍事的支配する形でやろうとした。)をきっかけにトルコ系住民を守るという名目でトルコ軍が介入し、北側を占拠。ギリシャVSトルコの構図へと発展してしまいます。これによって当時バラバラに住んでいた住民のうち、トルコ系が北へ、ギリシャ系が南へと流入しました。国連の介入によって南北の境界線が作られ、境界線周辺地域は現在でも国連の保護下にあり、その付近は当時のまま無残な姿をさらけ出しています。非常に興味深い話を聞きながら歴史をお勉強です。古くからぐちゃぐちゃだった影響で、キリスト教とイスラム教がミックス、言語はギリシャ語にトルコ語に英語がミックス、料理もトルコ風とギリシャ風がミックス。アルメニア料理もあります。世界大戦、クーデター、分断後は経済格差問題と、もう20世紀のあらゆる問題の縮図みたいな感じです。非常に興味深い。こういうの私は好きなので悶々と考えながら街を歩きました。しかし、天気は陽気な19℃の晴れ。さんさんと照る太陽の下をるんるん気分で歩きます。ええ国ですわー。大変だけど。。。みなさんも興味があったら調べてみてください。

手前真ん中にギリシャの旗。左奥に国連の旗。更に右奥にトルコの旗。


 パスポートを見せれば南北の行き来は可能。ちなみに私は北には行ってません。次回に。


この古い石は北の山で取れる。現在、南ではこの伝統的な石を使うことができない。
境界線付近に人はいない。廃墟が並ぶ。


さて、夜はラボの友人の親族の家でクリスマスパーティです。ヨーグルトソースのかかったサラダからパスタ、ケーキまで満腹食べます。そしてその後はワインを飲んで時間を過ごし、12時を迎えるにあたって教会へGO。初めての経験です。白塗りの明るいギリシャ風の教会へと入り、聖書の一部を音読して歌を歌い、アーメン。ろうそくの日が厳かな雰囲気を醸し出す、ヨーロッパらしいメリー・クリスマスでした。

で、そのあとにまたパブに繰り出して飲みまくり。笑 その日は3時くらいに撤収しましたが、帰宅後に話が盛り上がり6時まで飲んでしまいました。Acceptanceunderstandingはどちらが先か、acceptanceunderstandingは必要か、と、とんでもなくだるい議論を大まじめにやっていたみたいです。まぢウケるんですけど。笑

翌日は激しく二日酔いでスタートです。昼に起きて今度は昼からパーティ。二日酔いだー、といっていたら「No, Stop,Ysk」を友達に制されます。キプロスでは二日酔いするほど飲むのは良くないとのこと。これはイギリス文化だって言われてしまいました。日本文化でもあるぜー。でも、まっぢきつい。。。彼の母親がイギリス人なおかげで今度はイギリス式のパーティです。コジェットのスープ、サラダ、ターキー(七面鳥)、豚ばら肉の丸焼き、など、本当に苦しくて動けないくらい食べます。驚きなのが肉のソースがクランベリーソースやクリのソースなどと、甘いこと。最初はえーーーって思いますが、食べると意外と美味しいのです。次はケーキにクリスマス・プディング。もう死にそうです。笑 その後にプレゼント交換があります。私は何も知らずに行ったので、もちろん何も用意していません。しかし彼の家族の方々は非常に優しいことに、私へのプレゼントまで用意してくださり、少しうるっと来るような感動を覚えました。こっちの家族の暖かさを感じた一瞬でした。
そんなパーティも夕方には終了してさぁまたパブへ。ひたすら飲んで、頭ぐるぐるです。なんかどうしようもないダメな人になりかけています。散々飲んだ後に夜中にやっているパイ屋さんに行ってソーセージパイやハルミチーズパイ、ほうれん草パイなどをほおばります。ちょー苦しい。。。まぢありえないカロリー摂取量です。
廃人になって帰宅して寝ます。
(すみません、パーティではまた写真が撮れず。夜は酔っ払って撮れず。。。)

翌日は帰国日です。朝起きてお腹の重さに悶絶しながら帰り支度をします。昼になってようやく体が回復して、お別れの挨拶です。数日間しか滞在できませんでしたが、お父さんから始まりお母さん、妹さんまでギリシャ式にほっぺにチュウの挨拶をしてくださり、本当に良い旅でした。
空港に行く途中、最後にスプラギのケバブをほおばり、いよいよ旅も終了です。

ケバブ。肉がたっぷり。

本当に思い出に残る印象深い旅でした。
Come againのお言葉に甘えて絶対また行きます、Cyprus

 綺麗な空だなぁ。


さて、今日は大晦日です。今年も無事に終わり、良い年だったと思います。読者の皆さんはいかがでしたか。それぞれあるでしょうが、総じて良かったんじゃないかと願っています。来年も良い年になりますように。私も含めてみなさんのご多幸をお祈り申し上げます。それでは良いお年を。

Ysk

2012年12月10日月曜日

ふわふわ。とろとろ。でれでれ。そんな趣味

日の短さに寂しさを感じるイギリスの冬(;_;)
しかも、太陽が一日中黄色い。。。
以前のボスが飲んでイギリスの話になる度に言っていたあの太陽。黄色い!
朝8時ではまだ夜明け直前って感じで薄暗い朝。
9時を過ぎるとあー太陽が来た〜( ̄▽ ̄)って感じですが・・・いかんせん黄色い(笑
そして寒い。雨も多い。4時にはもうほぼ日没。
イギリスの冬に「昼間」は無いんですね。朝方から始まり夕方に切り替わって終了(笑

こんなイギリスの冬がどうも好きになれないYskです。こんにちは。

通勤路より。この角度で朝9時半。(大遅刻)

今週は研究で良いことがありました。ずーっと課題になっていた立体選択性の制御が上手く行ったのです。わーい\(^O^)/ まだ先は相当に長いけどねっ!はっ!とりあえずこれで押し通します。曙バリのつっぱりで寄り切ります。寄り切れなかったら、また一から出直しですし・・・(T T)
はい、ぜんぜんわかんないですよね、ごめんなさい。まあ良い週末ということです。

そんな週末には趣味を楽しみます。私の趣味はクラシック音楽と料理。
今はね^^; 昔はテニスやら何やらスポーツ全般何でも積極的にやっていたのですが、今は体を動かすことが少なくなってしまいました。好きなんですけどね。体力と時間の問題が。。。

さて、今日はまたもや1週間分のパスタソースを作りながら、少し豪華に今晩用のポークソテーを作りました。でもカメラをラボに忘れて写真が撮れませんでした(泣
my god.....
クラシックを聴きながら料理をする。めちゃ気分良いです♪ちなみに今日はワインを飲みながら。ぐふふ^^v 最近これにはまってます。
クラシックの澄んだ音を耳に入れて、鼻から料理の豊かな香りを入れて、口から芳醇な(安い)ワイン(白)を入れる。(赤は相変わらずダメw)う〜ん、いいです、これ。ふわふわ、とろとろ、でれでれ、とまったく力が入らない感じですが、いいですねー。( ̄▽ ̄)
料理ができたら、熱っついうちにほおばります。
今日はオリーブオイルとバジルで香り付けしたソテーに満足です。 パスタも丸。
 この完全なる自己満足の時間こそ、将に趣味だと思います(笑

今日はこれ。
http://www.youtube.com/watch?v=UGPJDgp2-9A
第一変奏にバッハを感じます。第30変奏には神を感じます(勝手に)。
良い時間でした。

さて、仕事。
ではm(_ _)m


2012年12月2日日曜日

海外学振。そして・・・

この話は海外に出ているポスドクにとっては避けられない話なのではないでしょうか。ポスドクに行くに当たって、給料がどこからもらえるのかは死活問題です。まず海外に出る足がかりとして、この日本学術振興会(JSPS)の海外学振に申請する人がほとんどだと思います。まずは海外学振でお金を得て、それで海外に出る。その任期が終了したらBossに雇ってもらって長く居続けるか、他の海外のポストを見つけるか、日本に帰るか。 おおまかにそんな感じだと思います。

私の場合はDC2→1年任期余り→PD切り換え→海外渡航届け(max1年が上限)という形で、ちょっと特殊なのですが。いずれにしても海外に出ていく時には海外学振を申請する人がほとんどです。というのも、給料として与えてくれる資金がとてつもなく良いからです。1つの国の機関として、ここまで潤沢な渡航費を出してくれる機関は世界中を見ても希だと思います。各国がお金を出し合う国際的な機関には海外学振に匹敵する内容のものがありますけどね。でも日本からだと、いきなりそのフェローシップに申し込む人ってすごく少ない気がします。すみません、私は化学系なもので生物系の人が多く応募するヒューマンフロンティアサイエンスプログラムやエンボフェローなどに日本人が初めから申し込むのかどうかはちょっと知りませんが。。。ま、化学系では完全に海外学振が筆頭に来ます。で、その海外学振が一体何者なのか知りたい一般の方のためにリンクを張っておきます。
http://www.jsps.go.jp/j-ab/index.html

で、当たり前ですけど、この海外学振、申請したら「はいどーぞ」という訳ではないです。10枚くらいの申請書を作成して提出します。主に今までの業績集やこれからの研究内容の計画についてです。それから海外で研究する意義なんかも書きます。で、偉い先生方に審査していただくわけです。採用率はだいたい15~20%くらいです。去年はなぜかすごい高かった(25%)ですが、異例だと思います。

私個人的な意見としては、たぶんこの海外学振が学振の中でも最難関だと思います。採用率は国内ポスドクのPDの方が低いので、数字上はPDの方が難しいように思われますが、まぁ個人的な意見です。というのも、この海外学振の場合、日本国内で既に学生を指導している若い先生方も応募するんです。助教のポストに就いていて、そこから国内のポスドクに戻るという人は0%に近いんじゃないかと思います。助教から次のステップだと、准教授、または海外に出る(海外学振に応募する)、そんな感じだと思います。
助教の先生はまさに先生ですから学生を指導して研究成果も出して、と私みたいな1人のポスドクより成果を上げやすいのは当たり前です。 そんな人がゴロゴロといるところに応募するんですから、私が最難関と言うのも間違いではないと思います。

ということで、私みたいな若手の研究者からすると、海外学振ゲットした人はエース級の扱いです。すげー、、、みたいな。「私、できる人です」みたいなレッテルを日本学術振興会から張ってもらえるんですから羨ましいものです。

で、私、もちろん今年の春に申請しました。こちらに来る直前に。私の任期は1年なので、来年の給料をくれるところを探さなければならないわけです。見つからなかったら、Bossに哀願して雇ってもらうかビザが切れるまで自腹滞在というオチです(笑
で、夏にこちらのブログにちらっと書きましたが、「書類審査不合格」だった訳です。
いやー、あのときはロンドン五輪真っ最中でしたが、凹みましたね。お先真っ暗状態でしたよ。ははは。

さて、DC1やDC2、PDや海外学振について「こうすれば通る!」みたいな情報はネットを使って調べればいくらでも出てきます。これでもか、というくらい丁寧に細かに書いてくれている親切なまとめページもあります。読むと「ここまで気にしなければいけないのか。。。」と思ってしまうくらい(笑

私の場合はこれで1勝1敗です。ネットでは「こうした方が良い」というアドバイスが多いですが、私は逆になぜダメだったかを反省しておこうと思います。

私の場合、不採用で評価Aでした。Aというのは落ちた人の中で上位20%ということです。惜しいじゃないか!もう少しじゃん!ということです。
私が他の人と比べて勝る所は・・・・まぁ書かないでおきます。単なる自慢ですから(笑。それよりこれを読んでくれる人が欲しい情報はなぜ落ちたか、だと思います。

端的に、発表論文数と申請書の内容だと思います。前者はもうどうしようもありません。助教の先生とかだと発表論文10以上なんて当たり前だし、人によっては20以上ってことも。私なんて到底及びません。3報ですから。。。目に見えて少ないですね。がっくり。
DC2なども発表論文数がすごく重要と聞きますが、私の場合や私の周りの仲間の状況を見ていると、そうでもないのが実際だと思います。DC2を発表論文0報で通った仲間もいるくらいですから(笑 ちなみに私は1報。1報で通った人、もう1人知っています。2報の人も。ね、少なくても通るでしょ。論文数が少なくても勝算はアリです。DC1やDC2はね。

 しかし、海外学振はダメですね(苦笑。私の印象では。さすがにある程度の論文数が必用だと思います。そう思うのにはもう一つ理由があります。私のハウスメートと比べてです。彼は通りました。(おめでとう!!)同じ領域に申請。同じ大学から。そして同じ大学(Oxford)に。非常に良い比較対象です。(つまり完全に私は彼に負けたわけだ!)彼と比べて明らかに私の劣る部分は論文数です。この強烈な数字の違いはどうしようもないのでしょう。確か彼は5報か6報だったと思います。うーんすごい。ここから見るに3報じゃ足りない。5報くらいあれば良いってことでしょうか。たった2つの違いですけど、研究者の世界では論文1つ発表するのにとてつもないエネルギーと時間を要します。この差は非常に大きいのです。絶対そうだと信じられてしまうと困るのですが、あくまで1つの指標としては良い比較だと思います。
(ちなみに彼は、僕が落ちた時に非常に同情してくれて、食事をおごってくれました。なんて優しい奴なんでしょう^^)

それから、申請書の内容。これは今になって思います。良くない部分がありましたね。はっきり言って、研究業績の書き方なんてどう書いても伝わる内容はさほど変わりないと思います。書く内容が大切なのは研究計画と海外で研究する意義の項目だと思います。私が提出するときは正直「業績で決まっちゃうんだろ」って思っていたので、そこまで突き詰めて考えませんでした。が、今思うと大切な項目です。
私が思う反省点は以下の通りです。
1つ。自分のバックグラウンドとこれからの研究計画がマッチしていることを十分に示せていない。研究計画や内容に関して自分のバックグラウンドを活かせるという表現が弱い。やはり、「ただやります。なんか難しそうだし。チャレンジングな内容だし。」だけでは弱い。
2つ。逆に無理矢理に今までの研究内容をひっぱり過ぎるのも良くない。海外に行って違う研究グループに属するのだから当たり前だと思います。研究内容は大きく変わってしまうのが普通だと思います。大きく変わっちゃって、それに関して自分の知識や技術をどう活かすのか、という書き方が求められていたのだと反省します。 せっかく海外に行くのに、日本でやってきた事とほとんど変わらない内容をやるんじゃ、「本当に行く意味あるのか?」って感じになっちゃうなと思いますし、私はこれをやってしまったと思います。
3つ。海外に行く意義はどこにあるのか。突き詰めて考えるべし。この理由は人それぞれだとは思いますが、私はちょっと甘かったと思います。正直、「苦手で大っ嫌いな英語を勉強しに行きます(泣」的な感情が大きかったので、それがつい出てしまったかと。。。少し違った領域に進出して自分の知識の幅を広げ、新しい技術も身につけ、それを日本に持ち帰って成熟させる。日本から持って行く知識や技術は海外のグループにも与えて、そちらで良い様に使ってもらう。そうして中身の濃い国際交流が可能になり、将来的にも親密な学術交流を継続する礎ができる。などなど、そこまで踏み込んだ考えを持って申請書を書くべきだったと思います。反省。

細かな所はまだありますが、大まかにはこの部分は良くない部分だったかなと思います。もちろん、それが改善されていれば絶対通ったとは言えませんが、あくまで個人の反省としてはそうだと思います。これを読んでくれた人の参考になるのかは不確かですが、一つの例として見てくれればと思います。

さて、何でこう反省ができたか、ということですが。それはまさに「落ちた」からです。お陰様でそれからが大変でしたが。ヨーロッパのフェローシップに応募したり(申請書が英語!!泣)、日本の別の財団に応募したり、と大変な日々を送っていました。だいぶ前ですが。その過程でわかったんです。あー、プロポーザルってこういう物なんだって。特にこちらのヨーロッパのやつは凄かったですね。約30枚も書きましたから。。。でも、何について書くべきなのか、しっかり理解できたので良い経験でした。この経験は研究そのものの経験よりも大きいんじゃないかと今では思っています。

さて、その新たなプロポーザル。それは、上原記念生命科学財団リサーチフェローシップとMarie Curie International Incoming Fellowshipです。
これらについては、結果が来たらそのうち書きます。
それではm(_ _)m