英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ

ポスドクの研究留学日記的なブログ

2013年3月24日日曜日

あるべき姿〜第二章

こんにちは。Yskです。今週は寝るか考えるかの週末です。ちょっと疲れたぞ。。。

さて、前回からの続きです。(でもやるwww)
前回は東大の秋入学制度の話でした。今回は推薦入試制度についてです。
結論から言えば、前回も書いた通り、どうぞ自由にやってください、ということです。

http://www.j-cast.com/2013/03/13169487.html?p=all
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/03/post-542.php

と、まあそれなりに反響はあるわけでして。様々な方が意見を述べていますね。
なぜ今になって東大が推薦入試、面接試験を導入するのかということですが、詳しいことはわかりません。点数主義に偏らず多種多様な学生を取り込むというのが東大の主張ですが、真実はわかりません。先ほど紹介した記事の後者の方の見方ですと、東大を蹴る人が増えたからとのことです。しかし、これは今に始まった事じゃないですよね、昔からハーバードに行く人はいたわけですし、東大蹴って医学部行く人だっていたわけなので。なので、ちょっと外れているな、という感じはします。地方にいる優秀な学生がリスクを背負わなくなったことによって、推薦入試で早々と他の大学を決める。大都会にいる優秀な学生は海外の大学に流れる。それらを阻止する目的で東大が推薦入試を始める。。。ちょっとじゃないですね、だいぶ外れている気がします。別に東大に行くリスクを背負いたくなければそれまでです。その様な考えの持ち主が東大に入ったって、東大からしてみれば大した差は無いですよ。その人が東大の未来を左右するほど影響を及ぼす学生な確率ってどのくらいでしょう。。。
(その大学に本当に行きたければ全然良いことですよ!推薦入試も。誤解の無いように補足しておきますが。。。ただ、東大を受けるリスクを回避した結果、他大学に推薦で行くという選択について述べているのです。)

ハーバードに行く学生、良いじゃないですか。ハーバードは優秀です。でも、東大も優秀ですよ。大学院が主ですが。。。少なくともオックスフォードで学生を見ている限り、まったくひけをとりません。博士学生はむしろ東大の方が優秀なんじゃないかとも思います。これは本当です。ひいきじゃありません。
(ちなみに、ハーバードは既に世界大学ランキングの首位から陥落しています。ハーバード等の米国アイビーリーグだけを見ていると、ちょっと時代遅れかもしれませんね。っていうか、学歴というか大学名を見過ぎな気が。。。)
で、ハーバードに行く人が将来大学でどれだけ優秀な仕事をしたり研究をするのかって誰もわかりませんよね。特に、研究って前回も書いた様に、頭は10%なんです。体力気力、それに運が90%です。なので、ハーバード大学に行った人が凄い研究者になるなんて保証、どこにもありません。それ以上に、大学院に入ってからものすごい努力をした人の方が、そうなる確率は格段に上がります。まあだからタフである必要は充分にあるのですが。仕事にしたって、ハーバードを出たから凄い仕事ができる人になる訳じゃなくて、どの大学にいても、自分を律してひたすら努力を積み重ねた人が、特別な実力を身に付けることになるのでしょう。正直に言えば、オックスフォードにいたって、「おいおい・・・」という人はいますし、がっかりしてしまう事だって希ではありません。(前回の世界大学ランキング2位ですよ!?ハーバードより上やで!?って4位だけど。。。自分の目で見たい人はどうぞ。http://www.timeshighereducation.co.uk/world-university-rankings/2012-13/world-ranking)何が言いたいかと言えば、世界においたって、その人が優秀であるかどうかなんて、出身大学では決まらないという事です。これは絶対に真実。

なので、ハーバードに行きたい人をむりやり東大に振り向かせよう、、、というのはちょっと違うかなと。現在だって、ハーバードに行ける人で東大に入って来る人は既にいますよ。俗に東大の中でも神的な上位5%くらいは、その実力があるでしょう。ハーバードに行ける様な人材は、既に東大の中にもそれなりにいるのです。それより、やはり多種多様な人材でしかも優秀な人材を大学のキャンパスに解き放ち、大学を活性化させる触媒とするという、大学の主張通りの展開の方がしっくり来ます。多様なバックグラウンドを持った人材、点数主義とは違った形で選ばれた人材をキャンパスに解き放つ。そして、暴れろ。これですよ、やはり。

まあそりゃ、OBからすれば、一発勝負で難関突破するのがプライドっていう人もいるでしょうね。充分理解できます。人生の中で数少ない勝利を収めた瞬間ですからね。気持ちはすごい理解できます。なので、もし、推薦をやったら、きっと推薦組は差別的に扱われるでしょうし、 ネット上の人が心配するような裏口入学が横行する可能性も否定はできません。更に、いわゆる品質保証(点数をとれるだけの頭はあります、という客観的事実)を問題とする人も。東大の2次の問題が非常に優れた問題で、大学入試の模範となっていることもあります。ある意味では大学入試の模範とも言えます。(ちなみにその2次試験の問題は、1年かけて作られる。1年ってけっこう長いですよね。相当に練られているのです。)これについては1番目の記事をご覧下さい。そんなこんなで、問題が無いとは言えません。

と、まあそれなりに問題点はあると思いますが、私はやってみたら良いという立場です。現在、不本意ではあるでしょうが、世間から毛嫌いされている東大生が無視できないくらい多いのもありますし、経済界から「東大生なのに使えない」と言われてしまう人材が出てしまっているのも事実なのでしょう。(この「東大生なのに」が余計。。。東大云々に限らず使えない人は使えないと、僕は思うのですけど。。。)それに何とか対処したい、というのが東大の狙いであるなら、やってみるべきだと思います。推薦組は必ずや入学後に劣等感を感じる事になると思います。現在でも、既に現行入試におけるヒエラルキーはありますからね。でも、彼らが大学を卒業した後に会社等で充分に活躍出来たなら、そのような一面的なヒエラルキーは馬鹿げた物として消えてゆくのではないかと思います。というより、その推薦入試で入学した彼らが、キャンパス内でどれだけ威力を発揮するかによると思います。そういう意味で、私は推薦入試で入る学生が大暴れして現在の東大生を縛っている狭い価値観をぶっ壊し、価値観の多様性が生まれることを期待するのです。この推薦入試、やるなら徹底的に素晴らしい人材を採用し、むしろキャンパス内で現行入試組以上に輝く人に入って来てもらいたいです。それが私の希望です。

さて、ここまで東大の入試について書いてきました。前回が秋入学、今回が推薦入試です。記事が長くなって頭がパンクしそうです〜。考え出すと止まらない〜。

これら二つの試行は入試改革の一環ですが、この目的は何度も出てきているように、「タフな東大生」を育成するためです。しかし、これだけで充分でしょうか?この2つの入試改革を行うことで、現在、国家や経済界や学術界が求めている東京大学としての「あるべき姿」となるでしょうか?

私は足りないと思います。私個人の意見では、本当に変わらなければならないのは、大学学部4年間の教育システムだと思います。入試制度の改革が及ぼす影響はさほど大きくないでしょう。入学した3000人の学生を4年間かけてどのように教育するのか。教育するというか、どのような学問環境を提供するのか。むしろこちらの方に労力をかけるべきだと思います。秋入学を断行し、留学生が増え、競争が促され、更に推薦入試で多様な人材が入って来る。しかし、率直に言えばその後が最も大切なのであって、単に新しい窓を作ってそこから新鮮な風を入れたからと言って、環境が劇的に変化するとは考えにくいです。ある意味で淡い期待、くらいにしか思えません。大切なのは、そのようにして新しい風を呼び入れた後、その多様な色を持つ彼らをどのようなシステムに乗せて育てるのかという事だと思います。現行のシステムでは、まだ彼らが活きるシステムとは言えないと思います。多様な人材が入って来るシステムの構築(入試改革)、その多様な人材が活きるシステムの再構築(カリキュラム再編等)、これらが両方組み合わさって初めて功を奏すと思います。そこまで改革して初めて、日本最高学府と称される東京大学としての「あるべき姿」になるのではないかと思います。

ということで、この話、まだ終わりません。笑 長いよ〜〜〜。><
次回はカリキュラム再編について考えなければなりません。あーしんどい。。。
読者のみなさんには、まったく面白くない話で恐縮ですが、もうしばらく付き合ってくれれば嬉しく思います。

さて、日本はもう桜が満開と聞きます。いいですねー。春うらら。桜が恋しいです。やっぱり桜は美しいですよね。桜、春霞のかかった青空、いいですねー。オックスフォードなんて、まだまだ冬。現在昼過ぎ気温-1℃。爆 今日も雪がちらついています。笑 miserableって英国人が言いますが、まさにその通りですわ。
あ〜桜並木を散歩したい。。。I love Japan...

Yskでした。
最近のChrist CHurch。建物は威厳に満ちて良い。しかし天気が。。。miserable...

あるべき姿

こんにちは。Yskです。今年になってから、あまり更新できていないので頑張って更新します。最近は音楽ネタというか趣味傾向が強すぎましたので、今日は久しぶりの論考で行きます。

今日のお話は、brotherのリクエストに応えましてwww、東大の秋入学と推薦入試についてです。このような機会を与えて下さいまして誠にありがとうございます。爆
(なんだこれ。笑← なんだそのリクエスト。笑←)

結論から行きます。
どうぞご自由に。
です。ははは。

秋入学も推薦入試導入も、思い切ってやれば良いと思います。闊達な議論の結果、それが日本最高学府としてあるべき姿だということならば。

しかし、それで話が終わらないのがYskです。笑
すみませんねー、小難しい人間で^^;

最近よく耳にするのが「タフな東大生」です。
さて、単にタフと言っても、そう単純じゃないですよね。浜田総長が言う「タフ」について少しばかり載せておきましょう。
http://djweb.jp/president/president_91.html
http://www.ut-life.net/people/j.hamada/2.php
充分とは言えませんが、このくらいで。

概して浜田総長の言うこと、目指す方向性には賛同できます。現代の社会分析が明瞭かつ適確であると思いますし、社会における大学の存在意義を再認識した上で描いた、東京大学としてあるべき姿に反感を覚えることはありません。しかし、私はそうでもないのですが、外から冷めた目で見ている人からすれば、大学というある意味で特権化された空間、またはアカデミア(学術)という社会とは良い意味でも悪い意味でも切り離されて考えられてしまう特殊な領域において、その復権というかその権威的な要素や姿が広げられようとしている、と捉えられるかもしれません。私個人の意見としては、そのような捉えられ方に対して好感は持てません。そんな見方しないでよ、というよりそういう見方をされてしまうような姿勢をおおっぴらにするのはちょっと、、、という事です。そもそも、一般社会から切り離して考えても良いという変な意味での特別な存在という認識に、どうも私は違和感を覚えるのです。

もちろん、最高学府という気概はあって良いと思います。頂点に立つ者らしい姿勢は必要だと思います。しかし、一般社会から切り離されてはいけない。威圧的であってもならない。端的に言うと、極めて自然な形で社会全体に溶け込まなけれなければならない、と私は思うのです。私は昔から他人の目を気にしやすい傾向にありますが、その変な疎外感を感じざるを得なかった時が何度もあります。 学部を卒業して大学院に進み、少なからず世間や社会に触れる機会が多くなればなるほど、今は逆にそれが時にコンプレックスを感じてしまう要素にもなって行きました。深刻な状況では無いですが。しかし、自分に付けられたラベル、レッテルをどうしても剥がすことはできません。それが様々な場面で私の邪魔をし、時に凹ませ、時に私を怒らせることもあるのです。

つまるところ、「タフ」という言葉の中に含まれるコミュニケーション能力という、それだけの言葉で片付けられるのではなく、もう少し社会貢献に役立とうとする姿勢を出して欲しかったな、というのはあります。タフで立派なエリートが育ったとしても、「経済活動を行う環境」で疎外されていたのでは何の意味もないですからね。(社会とか世間とか実社会とか、そういう言葉は使いません。だって大学だって社会の一部、世間の一部でしょ?切り離しませんよ。)


さて、話がそれました。一応、前提を書いたつもりですが、毎度の事ながら長いですね。笑 ここで本題に入ります。(この時点で今回の読者は10%くらいになっているな。笑)

秋入学について。やれば良いと思います。しかし問題なのはギャップタームと呼ばれるようになった入試から入学までの時間の使い方だと思います。率直に言って、海外留学なんて全員は無理です。お金持ちだけができることでしょう。東大が費用を半分以上負担するなら別ですが。でも非現実的ですよね。そもそも東大に合格する人って経済的に恵まれない人が多いんです。特に男子は。(女性の場合は家庭の経済力と正の相関が見られると聞いたことがありますが。)海外留学と簡単に言っても現実はかなり厳しいと思います。

続いて、ボランティア。ボランティア自体は良いことだと思いますが、それを高校卒業したてで大きなストレスから解放された元気ハツラツな青年が、精魂入れてやりますかね。。。やらないと思うんです、僕は。できないですよ、現実的に。それまで散々縛られた人生を送って来たのに。現実は、とにかく遊び倒す、遊びに遊んで有頂天になって、高校までで勉強したことの8割くらい忘れて入学。これがオチだと思います。現行制度の1ヶ月の期間であっても、相当に遊び倒し、その後、新歓やらサークルやらで半年くらいは有頂天の生活を送るのであろうし。いずれにしても、現在の案のまま行けば、言葉は悪いですが、半年の間に劣化した東大生を生産する結果になると思います。
(自分もどれだけ劣化したことか。。。っていうか4年間劣化し続けたな。。。)

それから、研究体験。これは断固反対。笑 海外留学以上に無理です。教員の負担はハンパじゃないし。これは絶対にできません。メリットがありません。現状でも4年生で入ってくる学生を育てるのに最低1年くらいかかっているのに、専門知識皆無の高校生が研究をやるのには非常に無理あります。半年じゃ本当に何もできないです。指導教員や博士学生がほとんどの実験をやることになり、その結果の説明を一応聞いて、何かが解ったようなつもりになるだけでしょう。これは賛同しかねます。

でも、秋入学はやって良いと思います。そして同時に英語での講義開講もより拡大すべき。そして、アジアからの留学生に限らず、北米、欧州、インド、ロシアなど、様々な国の学生が生活しやすいキャンパス環境をつくり、彼らをどんどん呼び込む。その中で、競争を促す。それで、もしそれが出来たとして。私には解ります。きっと現在の東大生の3割も彼らに太刀打ちできないでしょう(当時の私が残りの7割であることに疑いの余地はない)。東大が作り上げた競争で、東大生が負けるのです。こちらに来て思いますが、大学生の勉強量は東大の比じゃないです。ものすごい勢いで勉強します。現在の状態で戦ったら相当な確率で叩きのめされてしまうでしょう。

しかし、それはあくまで1つの過程であって、その過程を経てより競争力の高い大学へと生まれ変われば良いと思います。オックスフォードを見ても思いますが、この大学の中でイギリス人の割合ってそんなに高くないです。もちろん半分はそうだと思いますが。日本の大学の様に9割以上なんてことはまずないです。きっとオックスフォードも、その長い歴史の中で、イギリス人が外国人に叩きのめされながらもその過程を経て、世界に名だたる大学へと成長してきたのだと、私は思います。

さて。じゃあギャップタームをどのように過ごせば良いのでしょうか。 ただ批判するだけなら誰でもできるので、私なりの提案をしてみます。私はボランティアや海外留学という、ちょっと良く聞こえる言葉を並べるより、戦場に放り出してみる方が良いと思います。
私の世代も含めて、現在、足りないと思われるのは危機感です。グローバルと一言に言ってもそれは世界規模での競争社会です。仲良しこよしでだけでは無いのです。日本人に足りない意識は、まさにその競争社会にさらされているという実感です。それを大学生になる前に植え付ける必要があると思います。

じゃあどこで覚えるか。私は官庁と自衛隊を思いつきます。乱暴に聞こえるかもしれませんが、自衛隊での訓練で体力付けて心身共にタフになるっていうのは本気でありだと思います。研究やっていると、もう本当に頭の世界というのは10分の1くらいです。あとは体力気力。人より何倍の努力が限られた時間内でできるか、と。これに尽きるのです。なので、まったく理論的じゃないかもしれませんが、忍耐力などの精神力と純粋な体力は必要条件です。逆に頭だけ良くても研究はまったく進まない。実は研究とは概してそういう世界なのです。なので、朝から走って筋トレして。キツいトレーニングも歯をくいしばってやる。泣いてもダメ。やるしかない。そういう環境に放り込んでみるのも良いと思います。
え?「お前 、自分の事じゃないからそんな事言っているのだろう。。。」って?ええ、その傾向もありますが。笑 でも、私ならやりますよ。笑 ええ、普通にやります。

で、体と心を鍛えるだけでは意味がありません。防衛省にでも行って世界情勢とか国家防衛についての講義も受ければそれだけで、危機感は養えると思います。ディスカッションなんかもやればなお良い。続いて外務省。国際問題などのテーマで世界における日本の立ち位置を認識する。お次は財務省と経済産業省。国家レベルでの財務問題や世界戦略における財政政策の概要を学ぶ。グローバルな戦いにおける産業のあり方の概要を学ぶ。この防衛省か外務省、または財務省、経済産業省のプログラムの中で海外研修もやる。海外の大学生などとディスカッションができればなお良いですね。こういう日本の先端に位置する組織の中で世界を見た方がよっぽど刺激的だと思いますし、大学で何を学ぶべきかが見えると思います。のほほんと海外留学などやるより、たった2週間でもこういう立場で海外に出たら、その方が濃密な体験になると思います。
その他に、文科省や農林水産省、厚生労働省も回るといい。これらは国内問題を主に扱うと思いますが、日本の社会全体に深く結びついており、グローバル社会とはまた違った面白さがあると思います。とにかく、半年の間に省庁巡りは非常に有効であると私は考えます。
このプログラムを組むのに、東大と官庁だけで企画するのは非常に難しいでしょう。なので、企業も巻き込んでしまいましょう。日本を代表する企業ならば凄く良いですね。少し余裕がある企業ならばお金も少々出してくれると思います。東大、官庁、企業と全部ひっくるめて、俗に優秀だと言われる若い準東大生を本物のタフなエリートに育て上げるのです。個人的には企業を巻き込むのがみそかと。そうやって社会にニーズに応えられる東大生を養う必要があると思います。

この様な感じで、秋入学制度が行われるのであれば、私はまったくの賛成です。
初めからこのような理想像に近づけるとは思いませんが、やっていく中で変わっていってくれればと思います。

さて、続いて推薦入試。。。。と思いましたが、記事がこの2倍になるのかと思うと、読んでくれている方々に失礼なくらい長くなるので、次回にします。笑

中途半端ですみません。
次回もまた長いと思いますが、耐えて読んで下ると嬉しいです。笑

それでは。

Ysk

2013年3月20日水曜日

Beethoven Piano Sonata No.26 "Les adieux"

こんにちは。友達からFBで点呼(?)があって(意味不明)、「はい!元気です!」って応答した翌日から風邪で死亡したYskです。汗

金曜日からおかしくなって、土曜日まで耐えたものの夜中に死亡、日曜日、昨日、今日と寝に寝て寝続けて、、、冬眠ならぬ春眠。爆
確かに暁を覚えないwww。←ばく
こんだけ寝てしまったらもう寝れません。ベッドの上で更新です。

さて、今回も音楽の話。最近多いなあ。病んでるのか。。。??笑
表題の通り、ベートーベン・ピアノソナタ・第26番「告別」です。

この街は出会いと別れの街です。毎年どれだけの人がここに移住し、どれだけの人がこの街を去って行くのでしょう。私も去年来たばかり。いずれはこの街を去らねばなりません。ん?去らないようではまずいですよ?^^; 仕事ちゃんとやって次の場所に移れるようじゃないと次が無いということですからね>< あー、こわっ。。。

私の話はさておき。日本の様に、別れの季節というのがある意味で無い、この街。毎月が出会いと別れの季節のようで、別れの挨拶というのも変な意味で慣れてしまいます。All the best for ※※とかI hope ※※とかそういう挨拶をして、ハグしてばいばい。日本の様に、皆さんの前でスピーチしてとか、涙を浮かべ、、、とか、そういう湿っぽいのはあまり無いんですね。最後にパーティして飲んで食べてまた飲んで、ついでに踊ってハグしてバイバイ。そんな感じです。

軽っ!笑

ま、それでも少〜しだけ、涙を見せる時もありますが。
でも、やっぱこちらは笑顔なんですよ。笑顔☆
そんなのも素敵ですよね^^

しかし、私、日本人ですから、やはり別れというものに何か特別な感情を抱いてしまいます。特に仲の良い人が去るとなると。
今月は、そんな親しき人がこの街を去りました。ちょー寂しくて、泣きそうでした。
っていうか、ガチで普通に泣きそうで、本当に最後の時は直接目を見て話せませんでしたわ。(T T)

涙もろいYsk(そろそろ30歳)。。。子供か!←

で、私、恥ずかしながら、その方にお別れの際、この曲を紹介したのです。
そう、このピアノソナタ第26番。

ご存じの方はもうご存じの「告別」です。
Wiki見ればすぐに出てくる話ですが、この曲、ベートーベンが自分で副題を付けた数少ない曲でして、それはこの告別の他に8番の「悲愴」しかありません。

この曲、3楽章構成でそれぞれの楽章に副題が付いています。

第一楽章「告別」
第二楽章「不在」
第三楽章「再会」

この曲、すごい好きなんですよね。現在でも先月書いた18番を一番聴いていますが、2年前くらいからこちらに来てから半年の1年以上はこの26番をかなり聴いていました。もうこの曲は物語性と心情描写が完璧なのです。そして非常に理解しやすい構成。

まずは第一楽章。「告別」。
もう最初の3つ下がる和音で落ちます。逝きます。早っ!
この3つの和音には珍しく歌詞がついており、「Lebewohl」(さようなら)と書かれています。このLebewohl。同僚のドイツ人に聞いたら、「これはね、もう生きては会えないかもしれない人に言うさよならだね」と教えられました。おー、切ないではないか(T T)
私的にこの3つの音をいかに表現するかで、好きなピアニストとそうじゃないピアニストが別れてしまいます。そのくらいこの3つの音たちは重要なんです。
独りよがりですが、私は1つ目の和音は痛烈な心に刺さる音であるのが好きで、思わず目を強くつぶり、ヒッと息を吸い込んでしまう様な痛みのある音が好みです。次は、痛い・・・うん、痛い・・・とその痛みをじっくりと感じる音。ゆっくり息を吐露しながら感じるように。最後は、痛みが襲い、それを感じ、そしてその上でゆっくりと静かに飲み込む感じの音が好きです。痛みを心の中に受け入れて仕舞い込むという感じ。特にこの3和音目の音色が大切です。ちょっと大人のというか酸いも甘いも解った老人にしか出ない音くらいの感じだと最高です。
 その3音の後は痛みを感じるスフォルツァンドが度々織り交ぜられながら、ゆっくりと曲が動き出し、悲しみのメロディーがやってきます。曲が動き出す前のゆったりとした悲しげな調べ、動き出した後の悲しみ耐えながらも苦しみもがく胸の内を表したような調べ、共に深く心に染みます。

そういう感じに聞こえるので、スキルのみを丸出しにしたテンポばかり速い演奏は好きになれません。やはり情緒豊かな音色と構成が好きですね。

第二楽章は「不在」。
なんでしょう。これは喪失感に尽きますね。いない。。。いない。。。いない。。。
この何とも「表現のしにくい」喪失感とか無力感とかが、見事に音の調べで「表現されて」います。はっきり言って、この不在という楽章。いちいち音色を付けて表現されていなくても良いと思います。むしろ、無色。音色無しで無気力くらいの方がしっくり来ます。疲れた感じで無気力というのではなくて、ぽっかりと心に穴が空いてしまってどうしようもない感情としての無気力です。その感じのまま曲は進行し、最後は天に祈るような、遠くの空を見るような感じで終わりに向かい・・・

切れ目無く続けて第三楽章。「再会」です。
ハッとする様なアルペジオから始まります。このアルペジオ、技術的に相当難しいと思いますが、極めて流れるように、期待が膨らんで階段を駆け上がっていく様に弾いて欲しいというのが私の理想です。やや子供じみた感情ですが。で、第一主題に入るのですが、ここはアルペジオとは打って変わって子供みたいな感じでは弾いて欲しくないですね。ウキウキした感じはアルペジオで終わり。そこから急に、大人のいい年した男になって欲しいです。何だろう、少し格好つけるというか、もったいぶった感じでちょっと粋でエレガントなおっさんの再会っていう感じ。男の感じで言えば、無駄に余裕をかもし出す、とか。とびきりの感情を抑えながら、無駄に堂々としてみる、みたいな。。。笑 Yskの好みに過ぎませんが、まぁ私の抱く感じはこんな感じです。 笑
意外に多いのが、この第三楽章を何か可愛らしく弾く方が多いということですね。うーん、どうしてもそれは、違うだろ、と思ってしまいます・・・すみません。><

それで、私。ベートーベン様にもの申す訳じゃないのですが、、、この全部の楽章を合わせて26番全体で「告別」と副題がつけられたとしても、26番全体としては告別と呼びたくありません。だって、告別って第一楽章だけじゃんって。少なくとも第三楽章は違うって思います。だから、全体としては、告別以外のタイトルを付けて欲しかったと思います。あー、ベートーベン様、すみません。><
どこかの話によれば、ベートーベンはこのフランス語のLes adieuxというタイトルに文句を付けたとも聞きます。LebewohlとLes adieuxは違うと。
Les adieuxはまた再会する人に向けて言う言葉なのでしょうか?私はフランス語は知りませんが。。。どなたか教えて下さると嬉しいです。
もし私の予想が正しいなら、Les adieuxでもいいか、ということに私的にはなりますか。。。しかし、ベートーベン様の意図とは違いますね><。。。しかししかし、やはり日本語の「告別」はやめてほしいですね。。。もっと良い言葉ないのかな。。。

さて、私の好きな演奏。もうこれは、絶対絶対ぜーーーったい、ルドルフ・ゼルキンです。彼の75歳バースデーコンサートのライブ演奏(@カーネギーホール)。もう、これを越える物は見つかっていません。まったくの個人的な好みですが、これ以外考えられません。第一楽章冒頭の3和音の音色、第一楽章全体の構成。第二楽章の無力感喪失感、祈る感じ。第三楽章の格好良さ。そして75歳とは思えない情熱。笑
完璧です。 ルドルフ・ゼルキン最高です!☆

第一楽章のみで言うと、バレンボイム、アシュケナージやオピッツ、アラウも好きですが特にアラウの第一楽章は良いと思います。オピッツは全体的にも良いです。。。が、全体を聞くと、、、やっぱゼルキンです。ずば抜けています。他にもシフ、ポリーニ、ブレンデル、バックハウス、グルダ、ギレリス、ルビンシュタイン、ケンプ、リヒテル、ギーゼキング(古っww!!)シュナーベル(古すぎっwww!!)、とか聞きましたが、やはり、彼です。
ルドルフ・ゼルキン。くどいぞ〜。←笑

嬉しいことに、ゼルキンの演奏は映像が見られますので、載せておきますね^^v
http://www.youtube.com/watch?v=aD8TWmNsLjA (第一楽章「告別」)
http://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=endscreen&v=9SwvlEqyvXA (第三楽章「再会」)
(もちろんこのCDも売っています。)

あー、まぁたマニアックな話になってしまいまいた>< 読者の方、すみません。。。


本当はライブ音源じゃない26番(告別って言わないもんっ。だからLes adieuxって副題を紹介しなかった。笑)を紹介したかったのですが、やっぱりゼルキンになってしまいました。悩んで探した結果ですので、変に思わないでくれると良いですけどね。。。あ、っていうか、そこまでのこだわりは無いかっ><笑



親しき人よ。
別れとはいくつになっても辛いものだな。
今、私の心は空虚だ。言葉にならない。
でも、いつかまた再会できることを期待し、必ずまた会おうじゃないか。
どうか、お元気で。

Ysk


2013年3月8日金曜日

静かなる夜のロック

こんにちは。お久しぶりです。Yskです。
今日は木曜日ですが、早く帰ろうと思って頑張って帰って来ました。って言っても9時だったけど。爆 要領悪いのかな。。。(悪いです。←泣)

日曜日からハウスメートが日本に帰国し、一人暮らしを満喫して、、、おりません←www
一人暮らしは学生時代にしましたから飽きました。物音一つしない静かなイギリスの夜です。ちょっと寂しくもあります。あれ、、、今頃ホームシック??笑

早く帰りたかった理由は2つ。まず腰が痛いからorz もともと椎間板ヘルニアなのですが、またやってしまったみたいで、時々相当辛くなります。こないだの朝は動けませんでした>< Oh... で、今日はこちらで初めて医者に行きました。GPとか言われている地域の町医者にかかって色々とアドバイスを受けて来ました。英語力にまだまだ不安が、、、と思っていたらラボの親切な奴(もはや親友と言える^^わーい)が一緒に来てくれました。うーん、なんと優しい〜。しかし自分のダメさ加減にも辟易します。Orz 子供か←笑
こちらの医療システムは日本とはだいぶ違いまして。その話は次回にしましょうか。

2つ目の理由はちょっと疲れ気味で、好きな料理を食べて元気出そうと思ったから。今日はこれを作りました。
あれ。。。写真にすると汚いな。。。
こういう奴の名前、忘れてしまったけど、こんな料理があった気がします。。。。で、作りました。笑 まぁ見ての通り、白菜と蕪(みたいなやつ)と挽肉の煮つけ。味付けは中華風。地味にあんかけにしてみた。ぐふふ。
こないだ、自宅で外国人呼んで、鍋パーティしたら白菜が大量に余ってしまったので、これにしました。右に見える小さな赤っぽいやつは、peppery radishというらしく、赤カブみたいな味ですね。っていうか赤カブか??
そのpeppery radish。見栄張りの果物を添えて。
(ちなみに果物は鍋パの余り物www)

で、そいつを切ってゆでてると色が落ちてあんなんに汚くなるんですよね。汗
あと、今日は使った肉は七面鳥です。笑 turkeyですね。鶏肉よりも味が淡泊じゃなくて、僕はけっこう好きです。それをまず炒めて、次に切った白菜と''赤カブ''を入れて水を多少入れて煮ます。味付けは塩胡椒を少々にウェイパー(手抜きw)と少しのダシと醤油。
で、お味はというと、、、、うめーーーでございます(T T)いや、まじで(T T)(T T)
もしかして、私、お仕事の有機合成化学よりもセンスあるかも??嘘

はい、ごちそう様でした〜。(マスカット美味い。。。)
いや、しかし、静かですね。こちらで一人暮らしはなにげに初めてです。
外は雨。しくしく。そして寒い。ぶるぶる。部屋は私がキーを叩く音のみ。かたかた。
、、、しーん。音楽が映える夜です。
さて、音楽と言えばクラシックの私なのですが、そうでない曲だって聴きます。ここ数日はロックですね。UKロック。元々ロックが大好きな時期がありましたが、すごく若い頃です。洋楽はちょーーーー有名なバンドしか知りませんでした。で、こちらに来てずいぶんと知るようになって、覚えたのです。
しかし、私の頭のなかはベースがクラシックですから。ロックと言えども、何か物静かなのを聞いています。有名どころばかりですが、何曲か紹介しましょう。
まずはOasisのDon't Look Back in Anger。Oasis聞く人なら誰でも知ってる、ちょー名曲ですよね。こっち来て知ったのですが。^^; しかし、本当に良い曲です。メロディーが素晴らしい。すぐに頭に染みつきます。
Slip inside the eye of your mind
Don't you know you might find
A better place to play
You said that you'd once never been
But all the things that you've seen
Will slowly fade away

So I start the revolution from my bed
Cos you said the brains I have went to my head
Step outside the summertime's in bloom
Stand up beside the fireplace
Take that look from off your face
You ain't ever gonna burn my heart out

何といってもこの歌詞がすごいです。


次は、こちらも有名なCold playのIn My Place。
これは始まりのギターが頭からはなれなくなります。Cold prayは本当に優しい音を出すバンドだなと自分では思っています。静かなるロックバンドという感じ。美しくもあります。

if you go, if you go
and leave me down here on my own
then I'll wait for you

yeah, how long must you wait for it?
yeah, how long must you pay for it?
yeah, how long must you wait for it?
for it

singing please, please, please
come back and sing to me
to me, me
come on and sing it out, now, now
come on and sing it out, to me, me
come back and sing

寂しい歌なのですが、一人で鬱々と聞くと癒されます。
最後は、ちょっとマイナーだと思います。Snow Patrol のRun。このバンドはスコットランドのバンドみたいです。こっちに来て初めて知ったのですが、特にこの曲はすごく良いです。これも寂しげな曲なのですが。。。なーんか、イギリスって寂しげな鬱々とした曲が見事に雰囲気にマッチして良い感じなんですよね。天気のせいなのか、歴史のせいなのか、はたまた私の好みのせいなのか。^^;
日本の人は、聴いたことない人が多いと思います。でも、いいっすよ。
この曲は、メロディーも良いですが、もう歌詞が本当に良い。男の歌詞です。こういうのは世界共通なんだなってしみじみ感じます。歌詞が好きすぎるので、全部載せちゃいます^^v

I'll sing it one last time for you
Then we really have to go
You've been the only thing that's right
In all I've done

And I can barely look at you
But every single time I do
I know we'll make it anywhere
Away from here

Light up, light up
As if you have a choice
Even if you can't hear my voice
I'll be right beside you dear

Louder louder
And we'll run for our lives
I can hardly speak I understand
Why you can't raise your voice to say

To think I might not see those eyes
Makes it so hard not to cry
And as we say our long goodbye
I nearly do

Light up, light up
As if you have a choice
Even if you can't hear my voice
I'll be right beside you dear

Louder louder
And we'll run for our lives
I can hardly speak I understand
Why you can't raise your voice to say

Slower slower
We don't have time for that
I just want to find an easier way
To get out of our little heads

Have heart my dear
We're bound to be afraid
Even if it's just for a few days
Making up for all this mess

Light up, light up
As if you have a choice
Even if you can't hear my voice
I'll be right beside you dear

かっこええですわー。I'll be right beside you dear.....ですか。こんなこと本気で言えたら幸せでしょうね。


静かな雨の夜です。
おやすみなさい。

Ysk

2013年2月10日日曜日

ベートーベン ピアノソナタ 第十八番

こんにちは。先週は温かかったのに今週は寒い。そんな日々でした。昨日は1980年製の赤ワインをごちそうになり、大満足の時を過ごしました。生まれて初めて赤ワインを心から美味しいと思いました。赤というよりは紫+茶色に近い赤ワインでしたが。しかし、驚くほどマイルドでビックリでした。
研究も順調と言いたい所ですが、そうも行かず。昨日は机に張り付いてデータとにらめっこして終わりました。 しかしその結果、とんでもない反応が起こっているんじゃないか、ということに気がつき、赤ワインの味をよりいっそう美味しくさせてくれました。水酸基を保護するだけなのに、予想だにしない化合物を得る結果になった模様です。まったく目指す物とは違う化合物なので落胆もしますが、あまりにamazingなので改めて有機合成の面白さに触れた感じがしました。研究プロジェクトからしたら無駄な作業ですが、この「いらない物」の決定にもう少し時間をかけてみようと思います。研究なので詳しく述べられませんが。。。

最近のお気に入りは木を見ること。よく見るとデカイってことに気づく。

この木もお気に入り。

さて、私。何回も書いてくどいですが、クラシックが大好きです。最近は表題にあるとおり、ベートーベンピアノソナタ第十八番がお気に入りです。「狩」と呼ばれることも多いみたいですね。ベートーベンと言えば、悲愴、月光、熱情の3大ピアノソナタだったり、その他7大ソナタが有名ですが、それには含まれないややマイナーな曲です。

この曲をきちんと聴いたのはそんなに昔ではありません。初めて聞いた頃に、その良さはそんなに理解できませんでしたが、こちらに渡ってから急に虜になりました。音楽って不思議ですね。っていうか音楽が変わるわけ無いので、きっと私が変化したのでしょう。

この曲、出だしのやや悲しげに聞こえる音がすぐに心をとらえます。第一楽章全体としては軽やかな感じがするのですが、部分部分に響く悲しげな寂しげな音が良い感じです。その音が非常に効果的に配置されている感じがします。なので全体の軽やかさの中にきちんとその音が印象的に残るんだと思います。第二楽章はやたらと速いテンポで弾いているピアニストもいるのですが、私はそんなに速くない方が好きです。左手低音の刻むメロディとそれと調和する右手のメロディが印象的で、ベートーベンらしさを感じます。また所々に出てくるスフォルツァンドに彼の持ち味的な激しさが垣間見れ、格好良いです。特に和音じゃなくて単音で表現されている部分は芯が通ってる気持ちよさがあります。
 問題だったのは第三楽章。初めはあれ?って感じでした。イマイチわからん、、、という。そんな時は、その部分だけ聞いてみるのです。何度も何度も。好きな部分だけ聞くことは多いですが、いつの間にか好きじゃ無い楽章の再生回数が半分以下、なんてことも多いですよね。私の場合、好きとなるとやはり全体を理解したい。なので、ずーーーっと何回もこの第三楽章を聴きました。
するとどうでしょう。今ではしっくり来ます。完全に理解とかは100年早いと思いますが、ああいいな、と思います。たまに出てくるベートーベンの甘さ。第一第二楽章からはちょっと離れた位置取りをしている感じがするのですが、その辺を深く考えずに何回もそれだけ聴くと、なんとなく、言葉にするのが難しいですが、なんとなく頭に染みついてきます。特に印象に残りやすいメロディでもなく、相変わらずベートーベンらしい静と動の対比は見られ、そして時々甘い。なのに全体的にちょっとぼわーっとして終わる。
 正直あまり整理されていない印象がする第三楽章なのですが、なんとなくそれが理解できる気がします。と言うのも、きっとこの調べはベートーベンの内面の描写なのだろうな、と思うのです。人間自分がどういう気持ちでどう考えているのかなんて毎日毎日解っている人なんていないでしょう。時々めちゃくちゃに激しくぐしゃぐしゃな時もありますし、すっきりはっきりしている場合もありますし、なんとなくトロトロしてふわふわしながら軽く鬱々とする時もあります。個人的には、そういう穏やかながらも少し迷いのある精神を感じます。
第四楽章は楽しいですね。ええ、楽しいです。はつらつした感じで気持ちよいですね。あえて言葉にしなくても、聞いた人は好きだって言ってくれると思います。ベートーベンのピアノソナタでこの曲よりも楽しく、軽やかで、ルンルン的な感じの曲って無いんじゃ無いでしょうか。私的には彼が普段は見せないお茶目さを見た感じがして、ニコってします。

さて、全体としての印象は。「凛々しい」。これにつきます。あえてこの言葉を使わずに印象を書いてきましたが、この曲は彼の凛々しさ満載の曲だと思います。ピアノソナタ13番からこの18番までは、暑苦しすぎず、初期の頃のモーツァルト的な要素が強い訳でもなく、バランスが取れていると思います。私が想像するに、きっと彼は耳が聞こえないことを少し忘れていたのかもな、とも思います。健康な感じがします。笑
専門的な知識は皆無なのでこうやって感想を述べるのは恥ずかしいことなのですが、特にこの18番は凛々しさmaxで淡白すぎず、そして格好良く、ベートーベンらしさもあり、彼の優しさとか甘さも感じられ、好きです、と言い切ってしまいたいです。笑

昔はもうそれこそ、超有名どころの悲愴月光熱情が好きで、子供の頃は母親の車でそれがかかっていたら聞き終わるまで車を降りないとか、そんな感じでしたが、今は月光熱情ワルトシュタインあたりは、ぐお〜っていう感じがして、あっっっっつい!って感じがします。あ、でも好きですよ。ただ今は18番の虜になっているのです。

実はこの曲、私の母も弾いた曲です。いつも思うのですが、母はこの曲をどう感じてどう弾いたのか、とても興味があります。女性と男性の私できっと感性も違うと思います。私はもうピアノは弾けないので、母に弾いてもらいたいものですね。昔の音源とかあればもっと嬉しいですね。

この曲のお気に入りピアニストはクラウディオ・アラウです。激しすぎず、軽すぎず、凛々しさを表現してくれていると思います。残念ながらyoutubeでは見つからないのですが、CDで聴いて共感してくれる人がいると嬉しいです。

さて、帰国時にこの曲に対する思い入れを母に話した所、なんとその答えが
「年取ったね」でした。爆
はは、でしょうな。笑 そういう年です。でもエネルギーはまだまだありますがね。
ふはは。
最近お気に入りのベンチ。特に何をするわけでもない。

あっっっっつく燃えて全力入魂するのも好きですが、男性的な意味でelegantに、凛々しくスマートに、そんなのも最近好きになりました。この曲の影響です。
ベートーベンから凛々しさ(と少しだけ甘さ)を教えてもらっています。
 
old man Yskでした。それではまた。

2013年1月18日金曜日

まぁ〜るい世界

http://wpb.shueisha.co.jp/2012/03/11/10233/
私のブログ以上に読んで欲しいので、まずは載っけておこう。

こんにちは、Yskです。
今回、タイトルにちなんで書こうと思ったきっかけはこいつです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130116-00000016-jij-bus_all
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130116-00000119-san-pol

すごく時事的な内容です。
前者は軽減税率を新聞に適用せよ、という新聞社側の意向。
後者は地方公務員の給料を削減せよ、という国の意向に対する地方側の反発。

前者に対しては非常に多くの人が怒っておりまして、大方、私も同意ですね。「知識への課税強化は確実に『国のちから』(文化力)の低下をもたらし、わが国の国際競争力を衰退させる恐れがある」との扇動的な内容ですが、まぁそれを言うだけの資質は伴っていないというのが現状ではないでしょうか。
後者に対しては、反発したいのは理解できるけど、全体で均一に下げるんだから受け入れてよって思います。でも、私は公務員の給料を下げることは決して良い事だとは思いません。それよりも有能な公務員には給料を2倍にして、更に権限をもっと与えて、存分に働いてもらい、能力の無い公務員は簡単に解雇できるシステムを構築すべきだと思います。その上で民間でできることはどんどん民間にやらせて、結果として公務員全体の数を減らし、本当に有能な公務員だけを残す。そして彼らは優遇する。結局、国を動かすのは公務員です。(特にキャリアの国家公務員。それから地方の場合は幹部クラスの上級職の公務員。)その質を落としたら、当然ダメになります。

でも、です。今回、私が言いたいのはこれらの事ではありません。以前に紹介しましたが、以下の記事をもう一度紹介します。
http://wpb.shueisha.co.jp/2012/03/11/10233/
(書き出しの記事と同じです。)
思想的、哲学的な内容で、私には非常に興味深い内容です。
見田先生の最後の言葉が、私をニヤリとさせます。
何百年も何千年も、人間は天国や極楽に夢を託してきましたよね。もちろん細部は宗教により違うけれど、そこには大きな共通点がある。それは天国や極楽には経済成長なんてないってことです。
 そうだよなって人は多いと思います。そして同時に、それが理想論である、現実はそんなのとはほど遠い、って批判的になる人もいるでしょう。そしてその批判は正しい。
何が現実的でないかと言えば、それは将にリアルな物質的側面だと思います。端的に資源(エネルギーを含む)と食料。産業革命以降に急激に発展した科学技術と経済原理の土台に乗っかって(いや、乗っかってなんて軽い感じじゃなくて、根ざして、かな)、幸福とは豊かな「物」に囲まれて科学技術を駆使した「快適さ」に身を包み、更に「精神的豊かさ」を与えるサービスも得ること、という一種のステレオタイプが形成されたと言っても良いと思います。 そしてそれらは「財力」の基に成される。
精神的豊かさは特異な存在として、物や快適さというのは実にリアルな手応えを与えます。乱暴ではありますが、すごく単純化して考えれば、そのいわゆる幸福の源は資源と食料であると言えるでしょう。見田先生の言葉を借りるなら、資源と食料は実に生々しいリアリティを与え、いかに我々が経済やソーシャルネットワークを広げて複雑化しようともそのリアリティが消えることはあり得ない、ということです。

現在、国内外または国籍や人種を問わず、私達はどれだけ「資源」と「食料」の近くにいられるか、と言う所で争っていると思います。例えば、資源がそこにあればそれを持っている国や人がその中心でありそこに権益や利益が発生し、それにできるだけ近い人や国が多くの利益を享受します。食料の場合も構造はほぼ同じ。持っている人が一番強くて、そこに近づけない人(例えば貧乏な国や人)は利益(幸せ)を手に入れることが困難になります。近づく手段は大きく3つ。単純に力ずくで物それ自体を手に入れる、奪う(戦争)。財力を駆使して買い取る、権益を入手する。政治力という高等テクニックを利用して所有者との距離を縮める。 そんな切り口で過去を振り返って見れば、大航海時代や帝国主義は力ずくで物を手に入れるという歴史だし、第一次世界大戦以降の近代戦争を見ても、物を得る以外にも市場を「おさえる」という経済力を手にするための手段だったと考えられます。中東戦争なんてその最たるものです。対テロ戦争だって大元は石油。冷戦だって根本は同じだと思います。哲学的な闘争の一面があることも確かですが、争わなければならなかった理由は紛れもなく「資源・物・食料」そしてそれに付随して来る「お金」でしょう。日本に限ったって一緒です。戦国時代も、戦って土地を得てたくさん米を作れるようにするっていう単純な発想が間違っているとは思いません。日本に土地がなくなれば、朝鮮を奪おうとかそういう話になるわけです。諸外国が日本に押し寄せた理由も、「豊かさ・幸福」の象徴である「金(gold)」をよこせっていう一面があったって考えても良いですよね。(当時、日本は金(gold)に関しては世界の中心だったんだ!)昨今話題の領土問題なんて、まさに「資源・物・食料」そのものですよね。生々しさMAXです。

強引な見方かとは思いますが、まぁそういう話として。あまりつっこみ過ぎるとボロが出るので(ってもう出てるか。笑)。
さて、その中で科学技術はそのような面とは無縁に、人類に平等な豊かさを与えてきたことも勿論事実でありますが、軍事力の拡大に大きく貢献し、またそれが経済の世界に組み込まれてお金を生んできたことも事実です。特に産業革命以降、そして資本主義が台頭して以降は後者が顕著だと思います。科学技術によって物が生まれることや、科学技術そのものに特許という概念を付随させて価値を作り上げ、その価値を金銭へと変換する。科学が時代と共に「物」のリアリティと経済の論理の中に組み込まれて来たのは改めて言うまでもありません。

ところで現代において、権益や利益に接近する上で最も効果的な方法は何なのかと言えば、上記2番目の経済力による買収、制圧でしょう。帝国主義時代から第二次世界大戦くらいまでは、経済力という要素も大きな効果を上げていたでしょうが、武力衝突という選択肢が比較的容易に選択できた(してしまった)時代でもあるため、経済的に行き詰まれば戦争をして力尽くで利益を奪いに行くことが可能でした(ここにおいて、科学技術は良くも悪くも大いに発展し、そして貢献した、してしまった。)。しかし時代が過ぎるにつれて戦争は愚かな行為であるという旨の倫理観が形成され、戦争はそう簡単には起こらなく(起こせなく)なりました。そうなると、残る手段は自動的にお金で制圧するか政治的な手法によって接近するかになります。 後者が非常に難しいのは明らかですよね。1対1やG8などの会合に限らず、首脳会談や外相会談、実務者協議ですら難航するのはもはや当たり前で、それに近づくために相当な時間と労力が費やされ、それでいて結果はあまり出ないのがもはや普通になっています。そして、その政治的手法においてでも最も重要視されるのは当事国の「経済的利益」です。つまり、現代において、利益に近づく手段として最も実行力があるのは財力を駆使する手法です。「資源・物・食料」の中心からの距離を縮める手段として、経済力が相対的に極めて効果的になったのだと、私は考えます。

で、ここでやっと冒頭に戻ります。(ふー。。。)
彼らがしたいことの本質は何なのかと言えば、利益を生む中心からいかに近くに居続けるか、という事に全力を注ぐ、またはそれに近づくための財力を少しでも稼ごうとする、ということです。団体を構成して政治的に圧力をかける、扇動的行為によって民意を構築しようとする、端的に財力をすり減らす行為に抵抗する、などなど。あらゆる手段の目的はそれです。世界レベル、国レベル、地域レベル、業界レベル、どれも規模が違うだけで、その構造は似たもの同士だと私は考えます。
なんだ、単純に言って「権力にしがみつくことと財力が物を言う」。結局はお金が大事。って当たり前のことですね。どうってことない、わかりきった結論です。自明のことを小難しく言ってみた感じになっちゃいましたね。

そういう意味では、一昔前に時の人になった物言う株主だったり、お金で全てを手に入れられると言った人や、TOBをしかけるなど今でも金融界に君臨し続ける外資系巨大投資銀行、またはそれに近い財力を持つ巨大会社。彼らが実際に行っていたことや目指した、現在も目指していることは、精神的に不愉快な印象を与えながらも、「中心に近づく」という行為を、愚直かつ強力に推し進めた結果だと考えられます。(これに好意的な人もいるでしょうが、そうでない人もいるでしょう。私の印象はここでは述べませんが。)

そして、もう一つ自分で確認しておきたいのは、どうして彼らがある意味でここまで徹底的な行動を取るようになったのか、またはそうする必要があったのか、またはそうしたかったのか、ということです。私は本当の理由は「お金が一番だから」ではなく、「資源・物・食料」の限界があるから、限りがある「物」という現実があるから、だと思います。お金は手段に過ぎないのです。限りある物ということ自体が価値になり、その価値がお金に変換される。逆にお金があれば、限りある「物」に近づける、ということです。
とか言ってみても、やっぱり当たり前のことを言っている気がします。笑
頭おかしいかな。。。笑

でもです。ふと考えてみたのです、というか思いついたのです。その「物」の限界が取り払われた時、どうなるんだ?って。それが冒頭の冒頭、見田先生の言う天国なんじゃないかって。しかも、これって10000%無理って話でもなくないかな?って。
石油がいらなくなったらどうなります?世界中の人が食料に困らなくなったらどうなります?

「っていうか、あそこから石油持ってくるの大変なんだよねー。しかも穴掘らなきゃならないし。めんどくせーから太陽でよくね?」とか、
「今日は太陽ギラギラなので、工場フル稼働ですね!」とか。
「あなた、明日から出張で遠くまで運転するっていうから、車のタンク、お風呂のお湯で満タンにしておいたわよ!洗濯機の分と合わせて丁度使い切りだったわ!」とか。笑
「俺ん家砂漠のド真ん中なんだけど、部屋の中で米つくってんだよねー。」とか。笑
「へー。うちは周りに海しかない、ちょーちっちゃな島だから、海で芋つくってるよー。」とか。。。笑
「プロポーズするのにでっかいダイヤの指輪買おうと思ったんだけどさ、高すぎるから鉛筆の芯からつくってみたわ!」とか。。。笑(絶対失敗)

想像するとめちゃくちゃな世界になって収集がつくなくなってしまうのですが。なんかワクワクしないですか?バカかもしれませんが。ええ、っていうかバカだと思いますが。
でもね、それって科学が究極的に発展したらできますよね。エネルギー問題一つだけでも変わったら、とんでもない世界の構図の大変化がおきますよ。ぜったい。
本当に究極的に科学が進歩したとしたら、「物の中心に近づく」という構図は崩壊すると思います。物から皆が均等な位置にいる世界。

まぁ〜るい世界

球体の世界です。
夢物語なのですが、なんかワクワクします。見田先生の言うように、そろそろそんな事を本気で考えて良い時代かもしれません。特に関連する分野の科学者の皆さんは。
経済原理に縛られた世界が崩壊する瞬間、私が生きている間に見られますかね?まぁ無理だろうなぁ。でも、考えると心が躍ります。笑

みなさんはどんな世界を想像しますか?
面白い世界を想像したあなた、コメントに書いてくれたら嬉しいです。

頭がおかしいYskでした。

2013年1月11日金曜日

謹賀新年:MBA

こんにちは。Yskです。遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

さて、私は年末年始を日本で過ごしてこちらに帰って来ました。
やっぱり日本食はいいですね。美味しいですよ。普通の食事でもすごく美味しいと感じます。英国のご飯はまずいとは思いませんが、こう帰って来て好きな物を食べてみると、やっぱりギリギリ満足できるくらいかなーって思ってしまいますね。ストレスがたまってしまうほどではないですけど^^;

さて、こちらに来て初めて新年を迎えました。ボスがクリスマス休暇でエネルギーを蓄えたのか、毎日エキサイティングしていて大変です(笑
負けじとついて行けるように頑張らなくては。。。ははは。。。

さて、今日は私のメモ書き的なことを書いておきます。すみません、きっと不必要な人が多いと思いますが、、、

私のパソコンの話です。元々、私はMacユーザーなのですが、6年使ったMac Bookがそろそろ寿命に近くなってきたので買い換えました。迷わずMac Book Air (MBA)です。
特にこれが一番良い、とかWindowsよりMacが優れているとか、ちょっと詳しいことは知りませんが、とりあえず軽くて格好いいからね^^;
で、普通にMacを使う分には良いのですが、不都合な点はいくつかあります。それがwindowsでしか動かないアプリケーションがある、ということです。例えば私が毎日使うNMRの解析ソフト。うーん不便です。
ということで、Macでもwindowsが使えるアプリケーションを入れる事にしました。
いくつかあるみたいですが、価格面とアカウント数とかを中心に考えてfusion 5にしました。いわゆる仮想ソフトですね。で、そのfusion 5をインストール。そして続いてwindows 8をインストールします。
ここまでは順調〜。さくさくと進みます。そして続いてwindowsで動かすアプリケーションをインストール。これもOK、問題無しです。
と、簡単に全てを整えた、と思ってそのアプリケーションを起動します。
お!Mac上で動きました!!万歳\(^^)/
で、使い続けます。30分を過ぎたくらいに・・・・

「(windows8の)ライセンス認証が行われていません」

と表示されて、使えなくなりました・・・
は?・・・

色々とやった結果、一回シャットダウンすればもう一度使える様になりますが、結局30分でまたダメ。。。orz

windows8をインストールする時にちゃんとプロダクトキーを入力したはずなのに。。。
しかもwindows8の箱は日本じゃないか!!(泣
ということでソッコーでおかんに電話です。
おかんにあたふたさせてしまいながらも何とかプロダクトキーを入手。
再度入力です。

・・・で、ダメだー(T T)
なんで・・・?

おかんに再度確認してもらいまいしたが、結局プロダクトキーは間違っていない。
それでライセンス認証ができない。。。
どういうこっちゃ!!!

困ってしまったので、調べて見ます。
「winows8 ライセンス認証 できない」
とか適当な感じで検索すると、色々出てきますね。
結構同じ問題が起こっている人が大勢いるみたいです。
mac上での話ではなさそうですが。。。
で、とりあえず色々と解決方法が出てきます。

以下では、ラボの奴らと色々話しながら解決した方法を書いておきます。
まず、プロダクトキーを入力した際に出るエラーナンバーが
oxC004F061
でした。詳しいことはまったくの専門外なのでわかりませんが、とりあえず他のwindowsからwindows8にアップデートするためのアップデートバージョンで有効なプロダクトキーになっているとのことらしい。つまり、私の場合はクリーンインストールをするために、それ用のwindows8 pro (64 bit)を買ってインストールしたはずなのに、認識がアップデートになっている、って感じ。この時点ですでにおかしい。。。
解決策はwindows7とか古いバージョンをインストールするとか、そういう感じのことが表示されてしまう。。。でも今更windows7買うとかアホ臭いし。。。

それで、更に更に調べた結果、色々といじると何とかなるらしい、ということが解った。
windowsを使ったことがほとんどないので、無知状態で迷走に迷走を重ねたが、何とか成功したので、その方法を記しておきます。

参照にしたのはこちら。
http://www.pcdiy.com/957/how-to-solve-windows-8-oxc004f061-issue

この記事の''Or you can try this way......''以降を参考にすると、
コマンドプロンプト(command prompt)を使って解決するらしい。

ということで、windowsのアプリケーションからコマンドプロンプトを開きます。
この時に右クリックで「管理者として実行」をする。
英語ではRight click “cmd.exe”, click “Run as administrator”
とか書いてあるけど、これだけやるのにも苦労した。まっぢカスですわ。笑
で、黒い画面が登場。。。
久しぶりに見たね、この原始的な画面。。。
不慣れな状況でびびりながらいじります。笑

書いてある通り、そこに
regedit
って入力してリターン。出てきたウィンドウで
HKEY_LOCAL_MACHINE
Software/Microsoft
Windows
CurrentVersion
setup
OOBE
mediabootinstall 
 の順で進んで行って、このMediaBootInstall を "1" から "0"にする。
(この意味はまったくの不明。。。笑)

続いてもう一度、コマンドプロンプトを「管理者として実行」から開いて、続いて
slmgr/rearm
と入力してエンター。その後コンピュータを再起動。
(この意味ももちろん不明。。。)

再起動したらもう一度windowsを起動する。私の場合fusionを開けば良い。
コントロールパネルの「システムとセキュリティ」に進み「アクションセンター」、「セキュリティ」へと進む。続いて「windowsのライセンス認証」をクリックして、自分のプロダクトキーを再度入力する。
そうすると・・・

やっとライセンス認証できたーー(T T)
これに1日費やしました(笑 ほんと、ダメだ、、、無知すぎる。
特にwindowsに関して・・・汗

そんな感じでやりました。
お困りの方の参考になればと思います。
この問題がmac上で動かすから、またはfusionを使うから生じるのかは解りません。
とりあえず、やってみたら上記の問題が発生して、適当に色々やってみたらこうなった、ということです。はーーー、よかった、できて。。。

とうことで、快適なMac Book Airライフを送っています♪
windowsも使えるので、俗に言われる
「macだとwindowsでしか動かないやつが使えないから不便」
というイチャモンを回避しています。

ってなわけで、fusion と windowsインストールしたMac Book Air最高!!
と、結局は宣伝して終わりにしたいと思います。笑 (^^)
パソコンに無知なので、詳しい方、イチャモンの方はどうか簡便してください><
それではm(_ _)m


※もう一つ。参考です。同じことですがね。
http://answers.microsoft.com/en-us/windows/forum/windows_8-windows_install/getting-an-error-0xc004f061-after-installing/64600fbe-5a75-4865-9023-3101aa2a0b24?page=2
こちらの11月18日の投稿です。

更に追記
こちらも参考になるかも。電話でライセンス認証するらしい。
コマンドプロンプトを管理者として実行して
slui 4
と入力するところから始まります。
http://www.softwareok.com/?seite=faq-Windows-8&faq=40

ちなみに
slui 3
と入力すると、プロダクトキーを入力する所にいきなり行けます。
しかし、上記のことをする前にプロダクトキーを入力しても、エラーが繰り返されるだけでした。私の場合は。。。