今日は経済のお話。と言っても僕の生活を支えるものに限る、ですが。。。
昨日まで「日本学術振興会海外特別研究員」とやらの申請書類を書いていたわけですが、今日はそのいわゆる「学振」とやらのことについて書いておこうと思います。
日本学術振興会、いわゆる「学振」または「JSPS」は日本学術会議という内閣府の特別機関と関係を密にする独立行政法人です。ま、日本学術会議付属の財団みたいなものでしょか。(正式には違うけど。)僕らにとっては、研究を続けるための経済的な援助をしてくれるありがたい機関なのです。そう、研究資金(俗に言う科研費)をくれたり、博士学生やポスドクに給料をくれたり(本当は給料ではなく、研究奨励金と言いますが・・給料みたいなもんです。)と。このような支えがあってこそ、研究に専念できる経済環境を整えることができるわけで、僕らにとっては無くてはならない機関なのです。
もちろん、皆さんの予想通りその資金は国民の皆様の税金からいただいているわけで、個人的には頭が下がる思いですね。←見栄っ張り?(笑 いや、多少は本当に思ってるけどw
軽くその学振の内容を説明しておきましょう。国内の申請枠は主にDC1, DC2, PDとあります。 DC1は修士2年の春に申請し、約半年の審査の可否によって合否が通達され、博士1年の時にからお金をいただくことができます(3年間)。DC2は博士1年もしくは2年の春に申請し、その後は同様に審査を通過すれば次年度の春からもらえます(2年間)。PDは博士3年〜35歳までの研究者が申請し、後は同様です(3年間)。書類審査が主で人によっては面接試験まであるのですが、何と言っても書類が大変です。これまでの研究結果の総括、これからの研究計画、研究内容の意義(独創性等)、自己評価(自分を褒めるのは少し恥ずかしいのですが。。。)、評価書(これがおそろしい。自分のBossの評価で本人は見ることができません。)、研究業績(発表論文、学会発表、受賞など)です。
だいたいこれで10枚くらいの文章書かなきゃならないですから、本当に面倒なのですが、「経済支援をしてくれるのなら!」と非常に多くの若い研究者が申請するのです。合格率は15~20%で、けっこう低いので萎えますが、競争社会ですので仕方ありません。
さて、昨日まで僕が書いていたのは、「海外学振」というものです。これは海外の大学や研究機関での研究を希望している人のためのものです。私はそろそろ渡英しますので、来年の経済支援を申請するために書いていたわけですね。内容はDCやPDとほぼ同じですが、自己評価ではなくて、海外で研究する意義、を書かなくてはなりません。Bossの評価書も長いですね。中身は見られませんが。。。
興味を持ってくれる人で気になるのが、その支援の金額でしょうが、そこまで多くはありませんよ(笑 血税ですからね。 もちろんボーナスもありません。 あえて額面は書きませんが、公表されているのでどしても気になる人は見てくれれば良いと思います。
http://www.jsps.go.jp/j-pd/index.html
http://www.jsps.go.jp/j-ab/index.html
税金をこんなに使ってるのか!!とか、無駄遣いだろ!!とか思う人も多いと思いますが、僕個人としてはありがたい支援機構だと思っています。ですから、渡英してもまじめに頑張るつもりです。←ほんとか?^^;
実はこの手の支援は政府の決める予算によって多くなったり小さくなったりします。数年前「2番じゃだめなんですか?」と言って大批判を浴びた女性がいましたが、このようなさじ加減によって簡単に削減されてしまいます。
余談ですが、この「2番じゃだめなんですか?」発言の後、日本の学会という学会のHPのトップページに抗議文みたいなものがでかでかと掲載されていたのに、衝撃を覚えた記憶があります。あれは、完全に日本学術界に対する挑発でそれを真正面から受けて立ったって感じでした。ま、余談です。
そういう訳で、予算が削られれば額面は小さくなるし採用人数も削減されるしで、僕としては困るんですね。血税ですから仕方のないことですが、僕らみたいに「一応(笑)まじめにw」将来のために研究してる人のために、もう少し支援の幅を大きくしていただいてもよろしいのでは?と思います。賛同が得られるかは解りませんが。
正直、今回の申請は僕の渡英期間を延長できるかの命綱に近い物があります。これから渡英して3月までは食べていけるのですが(この話のDC2の2年目なのです。)、来年4月からは全く不透明な状況です。心配ですねー。。。
でも海外学振って助教の先生とかも申請するので、レベルがとっても高い!っていうのが僕の印象です。業績とかとてもじゃないけど勝てませんよ(泣 実際、採用率も海外学振だけ少し低いですし。。。 うん、申請したはいいけど、非常に難しいでしょうね。
諦めたわけではないですが、他の財団の支援にも申請する必要があるでしょうね。それはまた書きます。
ということで、僕の渡英を応援してくれるみなさん!それからこのブログを読んでくれる皆さん!少しばかりで良いんで、通るようにお祈りしてくださいね☆
ち〜ん(-人-)
それでは今回はこれまで!!
英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ
ポスドクの研究留学日記的なブログ
2012年4月18日水曜日
2012年3月27日火曜日
そもそもの、そもそもの話 ② 博士に行こう
こないだの①に引き続きです。
僕が博士に進学することを決めた理由。
男にはプライドがあります。
それが僕の場合、社会不適合者→博士、というレッテルを貼られるは嫌だということ。
それで大企業の内定を取ってからじっくり考えたい、と思いました。
これってものすごく失礼極まりないし、こんなこと教授に言ったらぶん殴られると思います。でも、譲れませんでした。(そんなことを、面接でもはっきりと言っていましたが。)
さて、内定をいただいてから決断までに半年あったわけですけど、それまでに考えたことを記しておきます。
一つ。
仕事のスタイルには何があるか。
お金を稼ぐ手段。お金を使って好きなことをやるために、仕事は割り切る、という考え方。そういう場合、自分じゃなくて他人でもできることが多い。
自分はそういう仕事には興味が無い。
なので、自分の存在価値をお金に換えたいと思った。
それは会社に入ったり、官僚になったり、政治家を目指したり、研究者になったりして、自分の存在価値が見出される所はどこなのかを考えました。
決断した時は「今自分がやっている研究が最も自分の存在価値を見出す場である」ということでした。
他人でも簡単にできる、自分がやらなくても誰かが必ずやるっていうことを、やりたいわけではないと思いました。
一つ。
今やっている研究を終わらせることができないことについて。
これは本当に悔しいと思った。自分が自画自賛できる結果を一つだけ持っていたが、それを完全な形にできていなかったので。その成果を次の誰かに持って行かれるというのは、嫌だった。っていうか、そのくらい一生懸命に実験をしていたということだと思います。
一つ。
理系の復権はいつでも今でも考えていますが、その考えの自己矛盾について。
博士をもっと上手く社会に組み込む、とか、理系技術系のリーダーを増やす、とか。
それを実現するために色々とシステムを考えるのだけど、それをやろうとした時に、どれだけ人がついてくるか、ということ。博士は素晴らしいと言っておきながら、自分は博士じゃない。理系の復権を唱えて専門知識を持った現場の理系技術者を幹部に登用する、とか言っておきながら自分は現場上がりじゃない。自分が偉くならないとシステム構築ができないと考えていたので、出世するなら今まで通りの出世コースに乗らなくては難しいと考えていた。つまり、会社に入ったら偉くなるために、早々と研究現場は離れざるを得ないと予想していた。これが自分の成し遂げたいことと、自分のやって行くこととの矛盾。
自分の経験を通してのし上がって行かないと意味がない、と思っていました。
しかし、それは今のシステムでは非常に非常に難しいということもわかっていました。
昔から、博士になったら偉くなれない、って色々な先生に言われてましたから。
ここに自己矛盾が生じていたのです。
決め手は教授の言葉でした。
「ジェネラリストはスペシャリストにはなれない。スペシャリストにはジェネラリストになれる可能性が大いにある。」
そうなんです、それに気がつきましたね。つまり、僕がやろうとしていることは博士まで進学してもできるんです。というか、ジェネラリスト(広く浅くやる人)ばかりが引っ張っているのが今のシステムです。それが破綻しているのは明らかに思えます。スペシャリスト(専門家) の発言権や力が非常に弱い。それを変える必要があるのです。しかし、中には発言権を持っている専門家はいるのです。それはスペシャリストでありながらジェネラリストでもある人です。世界でも指折りの実力を専門分野において持っていながら、他分野のこも理解できる、という人です。
自分の目指すものはこれだ、と思いましたね。
だから、博士と言っても自分の専門分野のことだけに興味を持つのではなくて、他分野のことまで考えられる博士を目指そうという気持ちになりました。
そのためには、以前にも書いたように、かなりのいばらの道を行かなければならないし、お金の心配もしなければならないです。
給料も絶対に安い。安定もしない。 更に世間体もあまりよろしくない。大企業に勤めるほうがよっぽどウケがいい。
しかし、もう、覚悟するしかなかったので、それで良いと思えました。
お金も捨てます。
安定も捨てます。
地位も名誉も捨てます。
でも、やりたいことは捨てません。
そういうプライドは捨てません。
これが自分が守ったものです。
修士から博士、そしてポスドクと。
一連の流れの中で考えてきたことをまとめました。
自分が考えたことが正解かどうかは解りません。
一つの正解だと思えるように努力するのみなのです。
僕が博士に進学することを決めた理由。
男にはプライドがあります。
それが僕の場合、社会不適合者→博士、というレッテルを貼られるは嫌だということ。
それで大企業の内定を取ってからじっくり考えたい、と思いました。
これってものすごく失礼極まりないし、こんなこと教授に言ったらぶん殴られると思います。でも、譲れませんでした。(そんなことを、面接でもはっきりと言っていましたが。)
さて、内定をいただいてから決断までに半年あったわけですけど、それまでに考えたことを記しておきます。
一つ。
仕事のスタイルには何があるか。
お金を稼ぐ手段。お金を使って好きなことをやるために、仕事は割り切る、という考え方。そういう場合、自分じゃなくて他人でもできることが多い。
自分はそういう仕事には興味が無い。
なので、自分の存在価値をお金に換えたいと思った。
それは会社に入ったり、官僚になったり、政治家を目指したり、研究者になったりして、自分の存在価値が見出される所はどこなのかを考えました。
決断した時は「今自分がやっている研究が最も自分の存在価値を見出す場である」ということでした。
他人でも簡単にできる、自分がやらなくても誰かが必ずやるっていうことを、やりたいわけではないと思いました。
一つ。
今やっている研究を終わらせることができないことについて。
これは本当に悔しいと思った。自分が自画自賛できる結果を一つだけ持っていたが、それを完全な形にできていなかったので。その成果を次の誰かに持って行かれるというのは、嫌だった。っていうか、そのくらい一生懸命に実験をしていたということだと思います。
一つ。
理系の復権はいつでも今でも考えていますが、その考えの自己矛盾について。
博士をもっと上手く社会に組み込む、とか、理系技術系のリーダーを増やす、とか。
それを実現するために色々とシステムを考えるのだけど、それをやろうとした時に、どれだけ人がついてくるか、ということ。博士は素晴らしいと言っておきながら、自分は博士じゃない。理系の復権を唱えて専門知識を持った現場の理系技術者を幹部に登用する、とか言っておきながら自分は現場上がりじゃない。自分が偉くならないとシステム構築ができないと考えていたので、出世するなら今まで通りの出世コースに乗らなくては難しいと考えていた。つまり、会社に入ったら偉くなるために、早々と研究現場は離れざるを得ないと予想していた。これが自分の成し遂げたいことと、自分のやって行くこととの矛盾。
自分の経験を通してのし上がって行かないと意味がない、と思っていました。
しかし、それは今のシステムでは非常に非常に難しいということもわかっていました。
昔から、博士になったら偉くなれない、って色々な先生に言われてましたから。
ここに自己矛盾が生じていたのです。
決め手は教授の言葉でした。
「ジェネラリストはスペシャリストにはなれない。スペシャリストにはジェネラリストになれる可能性が大いにある。」
そうなんです、それに気がつきましたね。つまり、僕がやろうとしていることは博士まで進学してもできるんです。というか、ジェネラリスト(広く浅くやる人)ばかりが引っ張っているのが今のシステムです。それが破綻しているのは明らかに思えます。スペシャリスト(専門家) の発言権や力が非常に弱い。それを変える必要があるのです。しかし、中には発言権を持っている専門家はいるのです。それはスペシャリストでありながらジェネラリストでもある人です。世界でも指折りの実力を専門分野において持っていながら、他分野のこも理解できる、という人です。
自分の目指すものはこれだ、と思いましたね。
だから、博士と言っても自分の専門分野のことだけに興味を持つのではなくて、他分野のことまで考えられる博士を目指そうという気持ちになりました。
そのためには、以前にも書いたように、かなりのいばらの道を行かなければならないし、お金の心配もしなければならないです。
給料も絶対に安い。安定もしない。 更に世間体もあまりよろしくない。大企業に勤めるほうがよっぽどウケがいい。
しかし、もう、覚悟するしかなかったので、それで良いと思えました。
お金も捨てます。
安定も捨てます。
地位も名誉も捨てます。
でも、やりたいことは捨てません。
そういうプライドは捨てません。
これが自分が守ったものです。
修士から博士、そしてポスドクと。
一連の流れの中で考えてきたことをまとめました。
自分が考えたことが正解かどうかは解りません。
一つの正解だと思えるように努力するのみなのです。
2012年3月9日金曜日
そもそもの、そもそもの話 就活から博士へ①
これは自分のために書くのだけど、自分はすんなり博士課程進学を決めて、ポスドクへの道を選んだ訳ではない。ポスドクに行くのも悩んだけど、それ以上に博士への進学を人生で一番悩んだと思う。
それを「そもそもの、そもそもの話」として書いておこう。
きっと共感してくれる人がいるはずだ。
理系で大学院修士課程の人はほとんど皆、就職活動をするだろう。就職というものを考えた時に初めて自分の人生の生業について真剣に考える人が多いと思うが、自分もその一人だった。
僕の場合、大学4年かけてさんざん考えて悩んできたのだが、ここではあっさり書いておく。
僕がしたかったことは、「文系王国と言われる日本社会において、理系技術者、及び研究者の復権をすること」だった。大それたことを考えたものだが、これは今でも変わらない。
きっかけは「理系白書」という本。この本はショックだった。悔しくもあったし、怒りも覚えた。これが僕の原点だ。
http://www.amazon.co.jp/%E7%90%86%E7%B3%BB%E7%99%BD%E6%9B%B8-%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%92%B0%E5%A2%83%E9%83%A8/dp/4062117118
それをやるには?文部科学省に入省することだろうと思った。そして勉強もしたし訪問も何回かした。現場の官僚さんに話を聞いてもらったりもした。時には役職の偉い人にも。しかし、ダメだと思った。決定打はある官僚さんのこの一言。「官僚ってのはヨットなんだ。色んな方向から風が吹いてくる。それをうまく受け止めて自分の進みたい方向に行くんだ。」
自分の性格ではこれは無理だと思った。「エンジン持ってるんだけど・・・」ってね。
しかもそのエンジンが売りだったから(笑 これにて官僚はさよならでしたね。
それなら政治家っていう考えも一瞬あったけど、その勇気は無かったなぁ。もはや当時の政治は茶番と化していたし。それは今もだけど。
次に考えたのが会社。偉くなって組織作りをしようっていうこと。これまた大きく出たけど、やりたいことが大きいんだから仕方ない(笑 自分のやってきた事を活かして、研究で良い成果を出して、研究出身で成り上がり、「研究者として」他の研究・技術者が恵まれるような組織作りをしようと思った。更に大きく考えれば、自分が仕立て上げた会社の組織を一つの社会モデルとして位置づけ、それを周りに広める努力をする。そうすれば「理系の復権」ができると考えた。大切なのは「研究所や工場の現場をしっかり理解している」ということ。現場主義、科学主義だ。法律、経済主義じゃない。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」的な(笑 現場主義を考えた。サイエンスの解らない、法律、経済出身の人が幅を効かせ過ぎていると感じていたのも大きい。サイエンスが解らずして、どうして物作りの会社のトップになれようか!というやや感情的な部分もあった。 でも、これは今でも正しいと思っている。
もう一度言う、日本でまず大切にすべきは経済じゃない。サイエンスだ!
さて、自分の専門は有機合成化学。なので製薬会社か化学会社が自分の専門の活かしどころだ。さっそくエントリーして。製薬のA社と化学のM社から内定をもらったわけだ。もちろんその間にはけっこうな努力をしたのは言うまでもない。
実はこの時すでに博士への道は考えていた。教授からの誘いもあったので。しかし当時は「会社で偉くなって組織を作る」というシナリオに惚れ込んでいた。最も現実的(??)に思えたからだ。個人で出来る範囲内という意味で。当時、名誉教授がいらした時に、会社に入ったら社長目指さないで何になるんだ!っておっしゃっていたのに感銘を受けていたし。
さて、今回はこの辺にしておくけど、実は就活をする理由はもう一つあったことを最後に書いておきたい。先ほども書いた様に、この時既に博士への道を考えていた。しかし就職活動は絶対にやろうと思っていた。理由はメンツ。くだらないがどうしても譲れなかった。今でもそうなのだが、「博士に行く人は就活で上手く行かなかった人」「社会不適合者」というレッテルを貼られる。大なり小なり事実だと思う。この現状は今もほとんど変わらない。博士の採用枠が少ないことがそれを如実に表しているだろう。確かに、大学院重点化という将にカスな政策を国が断行したおかげで、博士の質は極度に低下し、まさに社会不適合者的な人材が育ってしまった。これも事実だ。そしてそれによって、博士というもののイメージが悪くなったと言っていいだろう。その結果、現実的に博士は偉くなれない。お金も稼げない。と、悪いことばかりなのだ。
僕は、「社会不適合者」というレッテルだけは貼られたくなかった。だから一番目指して就活もしたのだ。博士に行くことになっても企業から認められた男でありたい。それがどうしても欲しかったのだ。まさにメンツ。博士=みじめ、こう見られるのだけは許せなかった。僕のプライドがね。だから、まずは企業の内定取ろう。そしてその上でじっくり考えよう、そう考えたわけだ。
男にも女にも譲れないプライドってあると思う。
続きはその②で。
それを「そもそもの、そもそもの話」として書いておこう。
きっと共感してくれる人がいるはずだ。
理系で大学院修士課程の人はほとんど皆、就職活動をするだろう。就職というものを考えた時に初めて自分の人生の生業について真剣に考える人が多いと思うが、自分もその一人だった。
僕の場合、大学4年かけてさんざん考えて悩んできたのだが、ここではあっさり書いておく。
僕がしたかったことは、「文系王国と言われる日本社会において、理系技術者、及び研究者の復権をすること」だった。大それたことを考えたものだが、これは今でも変わらない。
きっかけは「理系白書」という本。この本はショックだった。悔しくもあったし、怒りも覚えた。これが僕の原点だ。
http://www.amazon.co.jp/%E7%90%86%E7%B3%BB%E7%99%BD%E6%9B%B8-%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%92%B0%E5%A2%83%E9%83%A8/dp/4062117118
それをやるには?文部科学省に入省することだろうと思った。そして勉強もしたし訪問も何回かした。現場の官僚さんに話を聞いてもらったりもした。時には役職の偉い人にも。しかし、ダメだと思った。決定打はある官僚さんのこの一言。「官僚ってのはヨットなんだ。色んな方向から風が吹いてくる。それをうまく受け止めて自分の進みたい方向に行くんだ。」
自分の性格ではこれは無理だと思った。「エンジン持ってるんだけど・・・」ってね。
しかもそのエンジンが売りだったから(笑 これにて官僚はさよならでしたね。
それなら政治家っていう考えも一瞬あったけど、その勇気は無かったなぁ。もはや当時の政治は茶番と化していたし。それは今もだけど。
次に考えたのが会社。偉くなって組織作りをしようっていうこと。これまた大きく出たけど、やりたいことが大きいんだから仕方ない(笑 自分のやってきた事を活かして、研究で良い成果を出して、研究出身で成り上がり、「研究者として」他の研究・技術者が恵まれるような組織作りをしようと思った。更に大きく考えれば、自分が仕立て上げた会社の組織を一つの社会モデルとして位置づけ、それを周りに広める努力をする。そうすれば「理系の復権」ができると考えた。大切なのは「研究所や工場の現場をしっかり理解している」ということ。現場主義、科学主義だ。法律、経済主義じゃない。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」的な(笑 現場主義を考えた。サイエンスの解らない、法律、経済出身の人が幅を効かせ過ぎていると感じていたのも大きい。サイエンスが解らずして、どうして物作りの会社のトップになれようか!というやや感情的な部分もあった。 でも、これは今でも正しいと思っている。
もう一度言う、日本でまず大切にすべきは経済じゃない。サイエンスだ!
さて、自分の専門は有機合成化学。なので製薬会社か化学会社が自分の専門の活かしどころだ。さっそくエントリーして。製薬のA社と化学のM社から内定をもらったわけだ。もちろんその間にはけっこうな努力をしたのは言うまでもない。
実はこの時すでに博士への道は考えていた。教授からの誘いもあったので。しかし当時は「会社で偉くなって組織を作る」というシナリオに惚れ込んでいた。最も現実的(??)に思えたからだ。個人で出来る範囲内という意味で。当時、名誉教授がいらした時に、会社に入ったら社長目指さないで何になるんだ!っておっしゃっていたのに感銘を受けていたし。
さて、今回はこの辺にしておくけど、実は就活をする理由はもう一つあったことを最後に書いておきたい。先ほども書いた様に、この時既に博士への道を考えていた。しかし就職活動は絶対にやろうと思っていた。理由はメンツ。くだらないがどうしても譲れなかった。今でもそうなのだが、「博士に行く人は就活で上手く行かなかった人」「社会不適合者」というレッテルを貼られる。大なり小なり事実だと思う。この現状は今もほとんど変わらない。博士の採用枠が少ないことがそれを如実に表しているだろう。確かに、大学院重点化という将にカスな政策を国が断行したおかげで、博士の質は極度に低下し、まさに社会不適合者的な人材が育ってしまった。これも事実だ。そしてそれによって、博士というもののイメージが悪くなったと言っていいだろう。その結果、現実的に博士は偉くなれない。お金も稼げない。と、悪いことばかりなのだ。
僕は、「社会不適合者」というレッテルだけは貼られたくなかった。だから一番目指して就活もしたのだ。博士に行くことになっても企業から認められた男でありたい。それがどうしても欲しかったのだ。まさにメンツ。博士=みじめ、こう見られるのだけは許せなかった。僕のプライドがね。だから、まずは企業の内定取ろう。そしてその上でじっくり考えよう、そう考えたわけだ。
男にも女にも譲れないプライドってあると思う。
続きはその②で。
2012年3月5日月曜日
How to 留学 つけたし
先日留学のやりかたの例を挙げましたが、友人の経験も含めた補足情報が入手できたので、書いておきます。
まず、大学の交換留学ですが、滞在費を実費じゃなくて大学持ちでできる場合もあるようです。英語とかの試験で優秀な成績を取る必要がありますが。慶應とかではそういう制度がけっこうあるみたいです。これはすごく良いチャンスを与えていると思いますね。
もうひとつはドイツ。ドイツはなんとデフォルトで授業料が無料らしいです。少なくとも博士課程は。ただし給料的なものは出ないとのこと。その給料は勝ち取る必要があるようです。それがいわゆる奨学金(返還義務なし)。これを勝ち取る人は博士課程を授業料無料かつお金をもらって過ごせるわけです。私のおぼろげな記憶ではアメリカの大学もそういう物だと記憶しています。そう、学費や生活費は勝ち取るものなんですね、あっちでは。
日本の学生がいかに経済的に恵まれており、親に甘えているのか、ということに気づきます。ま、その原因は学歴社会だからですけどね。学歴社会でなければそんな有名大学の名前をお金で買おう(すみません、言葉が悪いですが)という発想になりませんよね。
むこうの学生って自分の力で勉強するお金を勝ち取りながら勉強するんですね。だから一生懸命なんですよ。当然ですよね。
そうやって日本の大学生は学部生の内に世界の名だたる大学の学生に置いてけぼりを食らうわけですね。とほほ。自分もまさにそうなんですわ。
今からでも追いつかなければ!ということです。
まず、大学の交換留学ですが、滞在費を実費じゃなくて大学持ちでできる場合もあるようです。英語とかの試験で優秀な成績を取る必要がありますが。慶應とかではそういう制度がけっこうあるみたいです。これはすごく良いチャンスを与えていると思いますね。
もうひとつはドイツ。ドイツはなんとデフォルトで授業料が無料らしいです。少なくとも博士課程は。ただし給料的なものは出ないとのこと。その給料は勝ち取る必要があるようです。それがいわゆる奨学金(返還義務なし)。これを勝ち取る人は博士課程を授業料無料かつお金をもらって過ごせるわけです。私のおぼろげな記憶ではアメリカの大学もそういう物だと記憶しています。そう、学費や生活費は勝ち取るものなんですね、あっちでは。
日本の学生がいかに経済的に恵まれており、親に甘えているのか、ということに気づきます。ま、その原因は学歴社会だからですけどね。学歴社会でなければそんな有名大学の名前をお金で買おう(すみません、言葉が悪いですが)という発想になりませんよね。
むこうの学生って自分の力で勉強するお金を勝ち取りながら勉強するんですね。だから一生懸命なんですよ。当然ですよね。
そうやって日本の大学生は学部生の内に世界の名だたる大学の学生に置いてけぼりを食らうわけですね。とほほ。自分もまさにそうなんですわ。
今からでも追いつかなければ!ということです。
2012年2月28日火曜日
How to go 留学
今日は留学の話。そもそもどうやると留学できるのかということを知ってる限り紹介します。理系と文系で大きく異なると思いますが、それぞれのcaseについて列挙しておきます。
まずは学部生の時。これは大学が交換留学生などで募集している場合があります。慶應や筑波では英語の試験を受けてその上位数名が留学できるようです。期間は多くの場合1年間。この時に注意したいのが、単位の書き換えです。在籍する大学によっては単位の書き換えができず、ようは1年留年して留学する形になる所もあるようです。もちろん、むこうで取得した単位がそのまま日本の大学の単位になるところもあります。この場合は留年扱いにはならないですね。しかし、行った先で試験を受けて単位を取ることは相当に大変なようです。なにしろ日本の大学(特に学部)の単位取得の甘さは折り紙付きですからね。。。
単位の書き換えの可否は半分半分か、自分で選べるという場合もあるようです。また、この場合旅費や滞在費はほとんどの場合実費です。金持ちじゃないと無理でしょうか。。。
次にもっと単純な語学留学。これは留学???っていう感じですが、夏休みに1〜2ヶ月現地の語学学校に通うというもの。これは簡単。お金と時間とやる気さえあれば行けます。個人的にはこれは留学だとは思いません。語学学校って1週間単位で入学や卒業をやっているようで、いつでも入れるところが多いようです。ですから、その気になれば大学を休学して1年とかも行けるようです。・・・だとしても個人的にはそれを留学とは思いませんね。
次に大学院を受けるというもの。これは文系でも理系でも同じです。文系だとMBAが多いのでしょうか。これは学部を卒業する時に欧米諸国の大学院を受験して合格したら行けるというもの。すみません、筆者は詳しく知らないのですが、アメリカではTOEFL(英語)やSAT、ACTなどの適性試験を受ける必要があり、それをクリアした上で大学院試験をクリアする必要があるみたいです。もちろん入試無しで書類審査のみで入れる大学も多くありますが、まぁその辺の大学はそれなりのレベル、ということで理解してくれればと思います。イギリスに代表されるヨーロッパ諸国に関しても同様なようです。もちろん詳しく知らないので正確なことは言えませんが。
博士も似たような感じですが、専門の試験が普通の大学院の修士よりは難しい場合があると聞きます。もちろんTOEFLなども必要です。特別な措置がなされる場合は免除される場合もあるようですが、ほとんどは英語で専門分野の試験を受けなければならないようです。
大学院の入学費や授業料、滞在費は当然実費です。これもお金に余裕がないと難しいでしょう。ごくごく希に博士課程においては給料をくれる場合もありますが、それはその人がスーパー優秀である場合に限ります。一般的ではないでしょう。
もう一つは会社に入ってから行くもの。会社が給料をくれながら行くというものです。もちろん滞在費はその給料から出すという形ですが。会社によってはボーナス無しという残念な場合もありますが。。。 これは理系の研究者や総合職のMBA取得に関しては多いように思います。その場合、まずTOEICのスコアが○○点以上、という制限がかけられるみたいです。それをクリアしてから選考対象になるようです。聞くところによると多くの場合700〜750点がそのラインでしょうか。そして何をやりたいか、とかそれが会社のためにどうプラスになるのか、ということを書く書類を提出したり面接されたりするみたいですね。研究者の場合、入社3年とかでは行けず、5〜10年くらいで行く場合が多いみたいですが、ほとんとはその間に素晴らしい成果を出してご褒美的に行くような感じを受けます。研究の視野を広げて、将来の研究のリーダーを養成するということでしょうかね。MBAに関しては、これは人事部の裁量で「これは」という人が選ばれるみたいです。間違いなく次世代の総合職系のリーダー養成でしょう。いずれの場合も会社に入って頑張った人に与えられるものだと理解しています。お金もらって行くんですから当たり前ですけど。
それからポスドク。私の場合です。大学院の博士が終わってから研究員として研究室の一員にしてもらうというもの。 博士課程の3年の春に行きたい研究室を探して申し込みします。ほとんどの場合は所属研究室の教授が手助けしてくれます。逆にそれが無いとまず、行きたいところに行くのは無理でしょう。ほとんどの場合は教授がいくつか候補を出してくれ、そこから選ぶという感じでしょうか。教授たちは海外の学会とかで知り合いになり、そのような人脈を使って申請をしてくれるのです。そのようなポスドクの受け入れに関しては教授同士の信頼関係の下に成り立っていますから、お互いが自信と信頼を持って受け入れたり送り出したりしているわけです。
多くの場合は始めの半年なり一年なりを私費で行くことになります。そこで一生懸命働いて成果を出して向こうの教授が認めてくれれば、給料を出してくれるというものです。これが最も一般的でしょうか。これも経済的な支援がかなり必要です。逆に給料をもらえる場合は大きく3つあります。
1つは日本の独立行政法人の支援を受けるというもの。後で詳しく書きますが、「海外学振」というものと「学振PD」というものは国の機関から給料がもらえます。ちなみの私の場合はPDです。給料をもらえる人の半分くらいはこの日本学術振興会の援助によるものだと思います。
2つ目は一般の留学支援する財団や会社から援助を受けるというものです。有名なものはアステラス製薬の財団や上原記念財団があり、これに通ると普通に生活できるくらいの給料がもらえます。内藤記念財団も有名ですが、これはもらえる給料が少なく他の支援も必要となるでしょう。その他様々な財団がありますが、ここでの列挙は省きます。後ほど載せるかもしれませんが。しかしその他の小さな財団の給料は額が小さいので、それだけで食べていけるというのはまず無理だと理解して下さい。
3つ目が、日本の教授の強い推薦によって始めから向こうの研究室から給料が出るというパターン。これはかなり希です。相当に優秀であり、論文数なども多く、誰が見ても認めるくらいじゃないと厳しいですね。特にポスドクの場合は教授間の信頼関係で成り立っていますから、日本の教授のかなり親しい友人レベルの先生に強く強く推薦してもらわないと厳しいでしょう。
あ、現在の所中国やシンガポール、インドなどの科学新興国に行く場合は簡単に給料出るかもしれないですが、まあそこに行きたいという人は極めて希でしょう。みんなスキルアップを目指して行く訳ですから。
実はこのポスドクで行くのは、年的にも親の援助が難しい場合も多く、また、27〜30という年で親の援助??という感じもあり、非常に難しい選択を迫られる場合が多いです。私の場合、運良くPDがあったので助かりましたが。読者には、そのへんの事情をわかってもらえればと、個人的には思います。
まとめると次のようになるでしょう。
①大学の交換留学(休学や留年扱いの場合有り、基本私費)
②短期語学留学(長期休暇期間中なら自由に行ける、私費。長期で行くなら休学が必要)
③大学院に行く(英語の試験、適性試験、専門の試験をクリアする必要あり、基本私費)
④会社から欧米の大学に出向(英語の社内基準と社内選抜をクリアする必要あり、基本給料は出る)
⑤ ポスドクで行く(教授の推薦が基本必要、基本最初の1年は私費、国や財団の支援を勝ち取れば給料はもらえる)
こんなところでしょうか。
まずは学部生の時。これは大学が交換留学生などで募集している場合があります。慶應や筑波では英語の試験を受けてその上位数名が留学できるようです。期間は多くの場合1年間。この時に注意したいのが、単位の書き換えです。在籍する大学によっては単位の書き換えができず、ようは1年留年して留学する形になる所もあるようです。もちろん、むこうで取得した単位がそのまま日本の大学の単位になるところもあります。この場合は留年扱いにはならないですね。しかし、行った先で試験を受けて単位を取ることは相当に大変なようです。なにしろ日本の大学(特に学部)の単位取得の甘さは折り紙付きですからね。。。
単位の書き換えの可否は半分半分か、自分で選べるという場合もあるようです。また、この場合旅費や滞在費はほとんどの場合実費です。金持ちじゃないと無理でしょうか。。。
次にもっと単純な語学留学。これは留学???っていう感じですが、夏休みに1〜2ヶ月現地の語学学校に通うというもの。これは簡単。お金と時間とやる気さえあれば行けます。個人的にはこれは留学だとは思いません。語学学校って1週間単位で入学や卒業をやっているようで、いつでも入れるところが多いようです。ですから、その気になれば大学を休学して1年とかも行けるようです。・・・だとしても個人的にはそれを留学とは思いませんね。
次に大学院を受けるというもの。これは文系でも理系でも同じです。文系だとMBAが多いのでしょうか。これは学部を卒業する時に欧米諸国の大学院を受験して合格したら行けるというもの。すみません、筆者は詳しく知らないのですが、アメリカではTOEFL(英語)やSAT、ACTなどの適性試験を受ける必要があり、それをクリアした上で大学院試験をクリアする必要があるみたいです。もちろん入試無しで書類審査のみで入れる大学も多くありますが、まぁその辺の大学はそれなりのレベル、ということで理解してくれればと思います。イギリスに代表されるヨーロッパ諸国に関しても同様なようです。もちろん詳しく知らないので正確なことは言えませんが。
博士も似たような感じですが、専門の試験が普通の大学院の修士よりは難しい場合があると聞きます。もちろんTOEFLなども必要です。特別な措置がなされる場合は免除される場合もあるようですが、ほとんどは英語で専門分野の試験を受けなければならないようです。
大学院の入学費や授業料、滞在費は当然実費です。これもお金に余裕がないと難しいでしょう。ごくごく希に博士課程においては給料をくれる場合もありますが、それはその人がスーパー優秀である場合に限ります。一般的ではないでしょう。
もう一つは会社に入ってから行くもの。会社が給料をくれながら行くというものです。もちろん滞在費はその給料から出すという形ですが。会社によってはボーナス無しという残念な場合もありますが。。。 これは理系の研究者や総合職のMBA取得に関しては多いように思います。その場合、まずTOEICのスコアが○○点以上、という制限がかけられるみたいです。それをクリアしてから選考対象になるようです。聞くところによると多くの場合700〜750点がそのラインでしょうか。そして何をやりたいか、とかそれが会社のためにどうプラスになるのか、ということを書く書類を提出したり面接されたりするみたいですね。研究者の場合、入社3年とかでは行けず、5〜10年くらいで行く場合が多いみたいですが、ほとんとはその間に素晴らしい成果を出してご褒美的に行くような感じを受けます。研究の視野を広げて、将来の研究のリーダーを養成するということでしょうかね。MBAに関しては、これは人事部の裁量で「これは」という人が選ばれるみたいです。間違いなく次世代の総合職系のリーダー養成でしょう。いずれの場合も会社に入って頑張った人に与えられるものだと理解しています。お金もらって行くんですから当たり前ですけど。
それからポスドク。私の場合です。大学院の博士が終わってから研究員として研究室の一員にしてもらうというもの。 博士課程の3年の春に行きたい研究室を探して申し込みします。ほとんどの場合は所属研究室の教授が手助けしてくれます。逆にそれが無いとまず、行きたいところに行くのは無理でしょう。ほとんどの場合は教授がいくつか候補を出してくれ、そこから選ぶという感じでしょうか。教授たちは海外の学会とかで知り合いになり、そのような人脈を使って申請をしてくれるのです。そのようなポスドクの受け入れに関しては教授同士の信頼関係の下に成り立っていますから、お互いが自信と信頼を持って受け入れたり送り出したりしているわけです。
多くの場合は始めの半年なり一年なりを私費で行くことになります。そこで一生懸命働いて成果を出して向こうの教授が認めてくれれば、給料を出してくれるというものです。これが最も一般的でしょうか。これも経済的な支援がかなり必要です。逆に給料をもらえる場合は大きく3つあります。
1つは日本の独立行政法人の支援を受けるというもの。後で詳しく書きますが、「海外学振」というものと「学振PD」というものは国の機関から給料がもらえます。ちなみの私の場合はPDです。給料をもらえる人の半分くらいはこの日本学術振興会の援助によるものだと思います。
2つ目は一般の留学支援する財団や会社から援助を受けるというものです。有名なものはアステラス製薬の財団や上原記念財団があり、これに通ると普通に生活できるくらいの給料がもらえます。内藤記念財団も有名ですが、これはもらえる給料が少なく他の支援も必要となるでしょう。その他様々な財団がありますが、ここでの列挙は省きます。後ほど載せるかもしれませんが。しかしその他の小さな財団の給料は額が小さいので、それだけで食べていけるというのはまず無理だと理解して下さい。
3つ目が、日本の教授の強い推薦によって始めから向こうの研究室から給料が出るというパターン。これはかなり希です。相当に優秀であり、論文数なども多く、誰が見ても認めるくらいじゃないと厳しいですね。特にポスドクの場合は教授間の信頼関係で成り立っていますから、日本の教授のかなり親しい友人レベルの先生に強く強く推薦してもらわないと厳しいでしょう。
あ、現在の所中国やシンガポール、インドなどの科学新興国に行く場合は簡単に給料出るかもしれないですが、まあそこに行きたいという人は極めて希でしょう。みんなスキルアップを目指して行く訳ですから。
実はこのポスドクで行くのは、年的にも親の援助が難しい場合も多く、また、27〜30という年で親の援助??という感じもあり、非常に難しい選択を迫られる場合が多いです。私の場合、運良くPDがあったので助かりましたが。読者には、そのへんの事情をわかってもらえればと、個人的には思います。
まとめると次のようになるでしょう。
①大学の交換留学(休学や留年扱いの場合有り、基本私費)
②短期語学留学(長期休暇期間中なら自由に行ける、私費。長期で行くなら休学が必要)
③大学院に行く(英語の試験、適性試験、専門の試験をクリアする必要あり、基本私費)
④会社から欧米の大学に出向(英語の社内基準と社内選抜をクリアする必要あり、基本給料は出る)
⑤ ポスドクで行く(教授の推薦が基本必要、基本最初の1年は私費、国や財団の支援を勝ち取れば給料はもらえる)
こんなところでしょうか。
2012年2月15日水曜日
そもそもの話②:イギリスかな
①の続き。
そんなこんなでポスドク行くことになったわけです。
じゃあ次はどこに行こう?ということになる。
そこで考えたことがある。
それは何を目指して行くのか、ということ。
僕の場合、ディスカッションをきちんとやりたいと思った。
ディスカッションを通して、新しい考え方を身につけたいと思った。
格好つけた言い方をすれば、哲学を学びたい、だろうか。
日本からポスドクに行くとなれば、候補は普通、2つだ。
アメリカかヨーロッパだろう。
これはあくまでうわさ話の域を出ないのだが。
アメリカはとにかく成果主義らしい。結果を出さなければ生き残れない。
ま、それはどこでも同じなのだろう。
しかし、その競争がとてつもなく激しいと聞く。
ポスドク同士が同じテーマで競い合うとかなんとか。
率直にそれはえぐいでしょ。
つぶされる可能性も充分あるし、僕の場合、つぶすということも考えられない。
実力的にも精神的にも苦痛かな。
そうじゃなくて、同僚の失敗も成功も共有する環境が好きだと思った。
哲学を学びたいから。
いろんな話をしたかったんだよな。
アメリカでは自分のアイディアとかを隠すらしい。良い結果が出るまで。
そして教授は研究資金を獲得するために奔走していて、ラボにいる時間は少ないと聞いた。
そして実際の仕事は馬車馬とも。
ヘタしたらボスの駒扱いでひたすら体を動かさないと生き残って行けないとも。
うん、もしかしたらその自信がなかったのかもしれないな。
そういう意味でも勝てるという自信について深く考えることは避けていたと思う。
①にも書いたけど、自信というより覚悟の方が大きかったというのも、そういうことなのかもしれない。
やっぱり考え方をゆったりとした態度で学びたいんだな。
それじゃ、どこで考え方の共有をするのか。
アメリカではそれが想像できなかった。
競争するのは間違いないのだけど、その競争もつぶすつぶされるの競争じゃなくて、考え方の良し悪しを勉強したかった。
ヨーロッパは将に哲学の本場だと思う。
古代ギリシャの頃からの哲学の歴史を非常に大事にしているように感じている。
そこが自分の求めているものだと感じた。
考え方を磨くのには最適かなと。
実は今の教授もイギリスで学んだ経験があるので、そういう部分についても詳しく聞けたのが大きいとは思う。
その自分が求めるものが確実にあるという安心感が大きかったのだろう。
それでヨーロッパに決めた。
さて、そうなると、どこにしようか、となる。
少し自分で探してみた。
自分の専門領域で自分の目に止まる論文を出している人が、オーストリアにいた。
その人がいいなと思って現実的に考えるようになった。
話はそれるけど、私はクラシック音楽が好きなんだ。
私の心のゆとり。
先ほどのオーストリアの先生はどこにいるかと言うと。。。
ウィーン!音楽の都!!
これだべ!間違いない!!
自分の中でぐっと来たな。
それで教授に打診した。(純粋じゃない部分があるけど・・・)
結果、NO!!↓↓
理由は、その人をよく知らないし、噂も聞こえてこないので不安だということ。
先生の親心だと、勝手に解釈した。
それで困ってしまって、どこを選んで良いかわからなくなった。
で、先生に聞いた。
どこがいいですか?って。
それで紹介してもらったのがオックスフォード。
オックスフォード!?!?!?
ががーん!!と来ました。
まさか自分がそこに?と。
単純に行ってみたい!と思った。
だって学問の街じゃん!
学問楽しめそうじゃん!
あー、自分をよく見てくれているな、と感謝の気持ちも沸いた。
それでイギリス、オックスフォードになったわけさ。
あまりにあっけない感じだけど、そこを紹介してもらえたのは本当に良かったと感謝している。
そういう意味で、人のつながりは本当に大切だ。
特に自分のことをよくよく見て考えてくれる人の存在は。
例え厳しいことを言われても。
そしてそいういう人が助けてくれたことは絶対に忘れないと思うし。
人生、出会いというもので大きく変わることだってあるよね。
そんなこんなでポスドク行くことになったわけです。
じゃあ次はどこに行こう?ということになる。
そこで考えたことがある。
それは何を目指して行くのか、ということ。
僕の場合、ディスカッションをきちんとやりたいと思った。
ディスカッションを通して、新しい考え方を身につけたいと思った。
格好つけた言い方をすれば、哲学を学びたい、だろうか。
日本からポスドクに行くとなれば、候補は普通、2つだ。
アメリカかヨーロッパだろう。
これはあくまでうわさ話の域を出ないのだが。
アメリカはとにかく成果主義らしい。結果を出さなければ生き残れない。
ま、それはどこでも同じなのだろう。
しかし、その競争がとてつもなく激しいと聞く。
ポスドク同士が同じテーマで競い合うとかなんとか。
率直にそれはえぐいでしょ。
つぶされる可能性も充分あるし、僕の場合、つぶすということも考えられない。
実力的にも精神的にも苦痛かな。
そうじゃなくて、同僚の失敗も成功も共有する環境が好きだと思った。
哲学を学びたいから。
いろんな話をしたかったんだよな。
アメリカでは自分のアイディアとかを隠すらしい。良い結果が出るまで。
そして教授は研究資金を獲得するために奔走していて、ラボにいる時間は少ないと聞いた。
そして実際の仕事は馬車馬とも。
ヘタしたらボスの駒扱いでひたすら体を動かさないと生き残って行けないとも。
うん、もしかしたらその自信がなかったのかもしれないな。
そういう意味でも勝てるという自信について深く考えることは避けていたと思う。
①にも書いたけど、自信というより覚悟の方が大きかったというのも、そういうことなのかもしれない。
やっぱり考え方をゆったりとした態度で学びたいんだな。
それじゃ、どこで考え方の共有をするのか。
アメリカではそれが想像できなかった。
競争するのは間違いないのだけど、その競争もつぶすつぶされるの競争じゃなくて、考え方の良し悪しを勉強したかった。
ヨーロッパは将に哲学の本場だと思う。
古代ギリシャの頃からの哲学の歴史を非常に大事にしているように感じている。
そこが自分の求めているものだと感じた。
考え方を磨くのには最適かなと。
実は今の教授もイギリスで学んだ経験があるので、そういう部分についても詳しく聞けたのが大きいとは思う。
その自分が求めるものが確実にあるという安心感が大きかったのだろう。
それでヨーロッパに決めた。
さて、そうなると、どこにしようか、となる。
少し自分で探してみた。
自分の専門領域で自分の目に止まる論文を出している人が、オーストリアにいた。
その人がいいなと思って現実的に考えるようになった。
話はそれるけど、私はクラシック音楽が好きなんだ。
私の心のゆとり。
先ほどのオーストリアの先生はどこにいるかと言うと。。。
ウィーン!音楽の都!!
これだべ!間違いない!!
自分の中でぐっと来たな。
それで教授に打診した。(純粋じゃない部分があるけど・・・)
結果、NO!!↓↓
理由は、その人をよく知らないし、噂も聞こえてこないので不安だということ。
先生の親心だと、勝手に解釈した。
それで困ってしまって、どこを選んで良いかわからなくなった。
で、先生に聞いた。
どこがいいですか?って。
それで紹介してもらったのがオックスフォード。
オックスフォード!?!?!?
ががーん!!と来ました。
まさか自分がそこに?と。
単純に行ってみたい!と思った。
だって学問の街じゃん!
学問楽しめそうじゃん!
あー、自分をよく見てくれているな、と感謝の気持ちも沸いた。
それでイギリス、オックスフォードになったわけさ。
あまりにあっけない感じだけど、そこを紹介してもらえたのは本当に良かったと感謝している。
そういう意味で、人のつながりは本当に大切だ。
特に自分のことをよくよく見て考えてくれる人の存在は。
例え厳しいことを言われても。
そしてそいういう人が助けてくれたことは絶対に忘れないと思うし。
人生、出会いというもので大きく変わることだってあるよね。
2012年2月13日月曜日
そもそものはなし:① 行こうかな
ポスドクって?何でイギリス?と思う人もいるかと思う。
私は4月かD先生の下でお世話になる予定ですが、しばらくは、そこまで至る経緯を書いておこう。
私は博士課程2年の終わりに、多くの人と同じように就職活動をしようと考えていた。専門は有機合成だから、製薬会社や化学会社に勤めようかなとぼんやりと妄想していたと記憶している。薬を作るっていうのもなんか格好良く感じたし、もっと下世話に製薬会社に行った先輩が就職3年で家を購入とか聞いていて、すげーと思っていた。やっぱり金持ちって目指したくなる。就職3年くらいでみんな結婚とかできている様だったし、自分もそういう年頃かなって思っていた。(彼女がいなかったので本末転倒だが・・・)
一方、私はDC2という給料を学振(後で書きますね。)からいただくことが決まっており、博士課程3年が終わった時に、期限がもう一年残る状態だった。つまり、大学院を卒業しても1年はその学振から給料がもらえるのだ。
(会社に行ったらもらえませんよ。学術機関に残る場合のみです。)
そういう事情もあり、「海外の大学でポスドクやればいいじゃないか!」と現在の教授に言われたのが始まり。
酒を飲んだ席での話だったので(けっこう飲んでた・・・)、若干怪しげではあったが、あ、行けるんだ、その時に思った(不鮮明な記憶がある)。
大学の教員になることが夢だったし、その道に入っても良いんだ、と思った。
(紆余曲折があって大学教員を目指したけど、そのことも後ほどまとめて書こう。)
しかし、すんなり決めたわけではなかった。ポスドクやその先の厳しさを知っているから。ポスドク、一般的に広い意味で留学というとかなり聞こえが良いように思う。しかし現実はそんな生ぬるいものではない。これまでに何人のポスドクが研究室を転々として苦しい生活を余儀なくされて来たことか。。。いわゆるガチ契約社員なんですよ、ポスドクって。契約を切られたら即終了。まぢ、しゅ〜りょ〜って感じです。どこか働く場所を見つけなければならない。
様々な研究室を転々とした後に、良い大学のポスト(助教なり講師なり)や研究機関の研究職(理化学研究所など)に着ければ良いが、その門も非常に狭いもの。どこかの会社で中途採用で雇ってくれれば御の字とも聞く。定職につけない人がとても多くいるのです。
そのような状態ではローンを組めなかったりするし、給料は安いので家どころか結婚も厳しい。 ポスドクをやってサクセスロードを歩む人は決して多くない。それをぜひ、読者の人には理解してもらいたいと思う。(このことについてはまた後で)
話がそれました。つまりポスドクをやる以上、その先の安定な生活は望めないということ。それでもやっていく覚悟と自信があるのか、ということだった。
私の場合、自信は正直あまりなかった。少し、、、かな。
でも覚悟はあった。失敗してもいいや、という。人間らしい生活を送ることが難しくなったら、雇ってくれる所で掃除でも判子押しでも何でもやるさっていう、そういう覚悟。
そう思ったら調子にのるのが私の性格。
行けるところまで行ったらいーじゃん。完膚無きまで叩きのめされるまでやってやろうじゃん。
と、 極端に楽観的になる。
次にまたまた調子にのって、あろうことか強引に名誉教授(76歳)に相談してしまった。学会で捕まえていきなり相談したのだが。
今考えれば強引だったなと反省している。しかし、懐の深い名誉教授はゆったりと私の話を聞いて、将に長老的なご意見をくださった。
「Bossが行ったらどうだと言ってるんだろう?じゃあ行きなさいよ。」
はい、としか言えない、何とも言えない雰囲気の漂う言葉だった。
これで決まったようなものだ。
その他、ポスドク以降の生き方についても相談したのだが、そのことについては後で書こう。
両親にも相談はしたが、案外すんなりとGoサインをくれた。母親はけっこう心配していたが、まぁどうにかなるでしょう、という鬼の楽観主義的な結論を出してくれた。
それで、行くか、となったわけです。
そう、たまには鬼の楽観主義も必要。
私は4月かD先生の下でお世話になる予定ですが、しばらくは、そこまで至る経緯を書いておこう。
私は博士課程2年の終わりに、多くの人と同じように就職活動をしようと考えていた。専門は有機合成だから、製薬会社や化学会社に勤めようかなとぼんやりと妄想していたと記憶している。薬を作るっていうのもなんか格好良く感じたし、もっと下世話に製薬会社に行った先輩が就職3年で家を購入とか聞いていて、すげーと思っていた。やっぱり金持ちって目指したくなる。就職3年くらいでみんな結婚とかできている様だったし、自分もそういう年頃かなって思っていた。(彼女がいなかったので本末転倒だが・・・)
一方、私はDC2という給料を学振(後で書きますね。)からいただくことが決まっており、博士課程3年が終わった時に、期限がもう一年残る状態だった。つまり、大学院を卒業しても1年はその学振から給料がもらえるのだ。
(会社に行ったらもらえませんよ。学術機関に残る場合のみです。)
そういう事情もあり、「海外の大学でポスドクやればいいじゃないか!」と現在の教授に言われたのが始まり。
酒を飲んだ席での話だったので(けっこう飲んでた・・・)、若干怪しげではあったが、あ、行けるんだ、その時に思った(不鮮明な記憶がある)。
大学の教員になることが夢だったし、その道に入っても良いんだ、と思った。
(紆余曲折があって大学教員を目指したけど、そのことも後ほどまとめて書こう。)
しかし、すんなり決めたわけではなかった。ポスドクやその先の厳しさを知っているから。ポスドク、一般的に広い意味で留学というとかなり聞こえが良いように思う。しかし現実はそんな生ぬるいものではない。これまでに何人のポスドクが研究室を転々として苦しい生活を余儀なくされて来たことか。。。いわゆるガチ契約社員なんですよ、ポスドクって。契約を切られたら即終了。まぢ、しゅ〜りょ〜って感じです。どこか働く場所を見つけなければならない。
様々な研究室を転々とした後に、良い大学のポスト(助教なり講師なり)や研究機関の研究職(理化学研究所など)に着ければ良いが、その門も非常に狭いもの。どこかの会社で中途採用で雇ってくれれば御の字とも聞く。定職につけない人がとても多くいるのです。
そのような状態ではローンを組めなかったりするし、給料は安いので家どころか結婚も厳しい。 ポスドクをやってサクセスロードを歩む人は決して多くない。それをぜひ、読者の人には理解してもらいたいと思う。(このことについてはまた後で)
話がそれました。つまりポスドクをやる以上、その先の安定な生活は望めないということ。それでもやっていく覚悟と自信があるのか、ということだった。
私の場合、自信は正直あまりなかった。少し、、、かな。
でも覚悟はあった。失敗してもいいや、という。人間らしい生活を送ることが難しくなったら、雇ってくれる所で掃除でも判子押しでも何でもやるさっていう、そういう覚悟。
そう思ったら調子にのるのが私の性格。
行けるところまで行ったらいーじゃん。完膚無きまで叩きのめされるまでやってやろうじゃん。
と、 極端に楽観的になる。
次にまたまた調子にのって、あろうことか強引に名誉教授(76歳)に相談してしまった。学会で捕まえていきなり相談したのだが。
今考えれば強引だったなと反省している。しかし、懐の深い名誉教授はゆったりと私の話を聞いて、将に長老的なご意見をくださった。
「Bossが行ったらどうだと言ってるんだろう?じゃあ行きなさいよ。」
はい、としか言えない、何とも言えない雰囲気の漂う言葉だった。
これで決まったようなものだ。
その他、ポスドク以降の生き方についても相談したのだが、そのことについては後で書こう。
両親にも相談はしたが、案外すんなりとGoサインをくれた。母親はけっこう心配していたが、まぁどうにかなるでしょう、という鬼の楽観主義的な結論を出してくれた。
それで、行くか、となったわけです。
そう、たまには鬼の楽観主義も必要。
2012年2月12日日曜日
さあ、はじめよう。
博士論文の発表も終わり、穏やかな日々を過ごしています。
あと2ヶ月後にはイギリスへと旅立つ予定です。
私は有機合成化学者です。
私のように大学院で博士号を取得した後にポスドクとして海外に行く人はけっこういます。
将来一人前の研究者や大学教員になるために。でも多くの人はアメリカに行きます。
私のようにイギリスをはじめとするヨーローッパ諸国に行く人は意外と少ないようです。
ですから、Oxfordに関する情報も少ないのです。
留学体験記と言えば語学留学や政治学や文学、芸術関係などの本が多く、理系、中でも化学系のポスドクの話などは非常に少ないようです。
私は実験系の研究の日々を送って来ましたが、日本という国の教育や政治、社会問題について考えることも多くありました。
イギリスという異国に来ると、日本とイギリスの違いを感じて、また考えることもあるでしょう。その意味では日本という国を考えるのにはとても良い機会だと思います。
私が体験したことや考えたことの記録として。
これからポスドクとして留学を考える人の情報源として。
また、日本で高等教育や科学政策、さらに社会問題を考える人の参考として。
そして単純にOxfordやEngland(時々London)の生活に興味がある人の読み物として。
ここではやっていこうと思います。
かたいことも、ゆるいことも、書いて行く予定です。
さあ、はじめよう。
あと2ヶ月後にはイギリスへと旅立つ予定です。
私は有機合成化学者です。
私のように大学院で博士号を取得した後にポスドクとして海外に行く人はけっこういます。
将来一人前の研究者や大学教員になるために。でも多くの人はアメリカに行きます。
私のようにイギリスをはじめとするヨーローッパ諸国に行く人は意外と少ないようです。
ですから、Oxfordに関する情報も少ないのです。
留学体験記と言えば語学留学や政治学や文学、芸術関係などの本が多く、理系、中でも化学系のポスドクの話などは非常に少ないようです。
私は実験系の研究の日々を送って来ましたが、日本という国の教育や政治、社会問題について考えることも多くありました。
イギリスという異国に来ると、日本とイギリスの違いを感じて、また考えることもあるでしょう。その意味では日本という国を考えるのにはとても良い機会だと思います。
私が体験したことや考えたことの記録として。
これからポスドクとして留学を考える人の情報源として。
また、日本で高等教育や科学政策、さらに社会問題を考える人の参考として。
そして単純にOxfordやEngland(時々London)の生活に興味がある人の読み物として。
ここではやっていこうと思います。
かたいことも、ゆるいことも、書いて行く予定です。
さあ、はじめよう。
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