英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ

ポスドクの研究留学日記的なブログ

2013年1月18日金曜日

まぁ〜るい世界

http://wpb.shueisha.co.jp/2012/03/11/10233/
私のブログ以上に読んで欲しいので、まずは載っけておこう。

こんにちは、Yskです。
今回、タイトルにちなんで書こうと思ったきっかけはこいつです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130116-00000016-jij-bus_all
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130116-00000119-san-pol

すごく時事的な内容です。
前者は軽減税率を新聞に適用せよ、という新聞社側の意向。
後者は地方公務員の給料を削減せよ、という国の意向に対する地方側の反発。

前者に対しては非常に多くの人が怒っておりまして、大方、私も同意ですね。「知識への課税強化は確実に『国のちから』(文化力)の低下をもたらし、わが国の国際競争力を衰退させる恐れがある」との扇動的な内容ですが、まぁそれを言うだけの資質は伴っていないというのが現状ではないでしょうか。
後者に対しては、反発したいのは理解できるけど、全体で均一に下げるんだから受け入れてよって思います。でも、私は公務員の給料を下げることは決して良い事だとは思いません。それよりも有能な公務員には給料を2倍にして、更に権限をもっと与えて、存分に働いてもらい、能力の無い公務員は簡単に解雇できるシステムを構築すべきだと思います。その上で民間でできることはどんどん民間にやらせて、結果として公務員全体の数を減らし、本当に有能な公務員だけを残す。そして彼らは優遇する。結局、国を動かすのは公務員です。(特にキャリアの国家公務員。それから地方の場合は幹部クラスの上級職の公務員。)その質を落としたら、当然ダメになります。

でも、です。今回、私が言いたいのはこれらの事ではありません。以前に紹介しましたが、以下の記事をもう一度紹介します。
http://wpb.shueisha.co.jp/2012/03/11/10233/
(書き出しの記事と同じです。)
思想的、哲学的な内容で、私には非常に興味深い内容です。
見田先生の最後の言葉が、私をニヤリとさせます。
何百年も何千年も、人間は天国や極楽に夢を託してきましたよね。もちろん細部は宗教により違うけれど、そこには大きな共通点がある。それは天国や極楽には経済成長なんてないってことです。
 そうだよなって人は多いと思います。そして同時に、それが理想論である、現実はそんなのとはほど遠い、って批判的になる人もいるでしょう。そしてその批判は正しい。
何が現実的でないかと言えば、それは将にリアルな物質的側面だと思います。端的に資源(エネルギーを含む)と食料。産業革命以降に急激に発展した科学技術と経済原理の土台に乗っかって(いや、乗っかってなんて軽い感じじゃなくて、根ざして、かな)、幸福とは豊かな「物」に囲まれて科学技術を駆使した「快適さ」に身を包み、更に「精神的豊かさ」を与えるサービスも得ること、という一種のステレオタイプが形成されたと言っても良いと思います。 そしてそれらは「財力」の基に成される。
精神的豊かさは特異な存在として、物や快適さというのは実にリアルな手応えを与えます。乱暴ではありますが、すごく単純化して考えれば、そのいわゆる幸福の源は資源と食料であると言えるでしょう。見田先生の言葉を借りるなら、資源と食料は実に生々しいリアリティを与え、いかに我々が経済やソーシャルネットワークを広げて複雑化しようともそのリアリティが消えることはあり得ない、ということです。

現在、国内外または国籍や人種を問わず、私達はどれだけ「資源」と「食料」の近くにいられるか、と言う所で争っていると思います。例えば、資源がそこにあればそれを持っている国や人がその中心でありそこに権益や利益が発生し、それにできるだけ近い人や国が多くの利益を享受します。食料の場合も構造はほぼ同じ。持っている人が一番強くて、そこに近づけない人(例えば貧乏な国や人)は利益(幸せ)を手に入れることが困難になります。近づく手段は大きく3つ。単純に力ずくで物それ自体を手に入れる、奪う(戦争)。財力を駆使して買い取る、権益を入手する。政治力という高等テクニックを利用して所有者との距離を縮める。 そんな切り口で過去を振り返って見れば、大航海時代や帝国主義は力ずくで物を手に入れるという歴史だし、第一次世界大戦以降の近代戦争を見ても、物を得る以外にも市場を「おさえる」という経済力を手にするための手段だったと考えられます。中東戦争なんてその最たるものです。対テロ戦争だって大元は石油。冷戦だって根本は同じだと思います。哲学的な闘争の一面があることも確かですが、争わなければならなかった理由は紛れもなく「資源・物・食料」そしてそれに付随して来る「お金」でしょう。日本に限ったって一緒です。戦国時代も、戦って土地を得てたくさん米を作れるようにするっていう単純な発想が間違っているとは思いません。日本に土地がなくなれば、朝鮮を奪おうとかそういう話になるわけです。諸外国が日本に押し寄せた理由も、「豊かさ・幸福」の象徴である「金(gold)」をよこせっていう一面があったって考えても良いですよね。(当時、日本は金(gold)に関しては世界の中心だったんだ!)昨今話題の領土問題なんて、まさに「資源・物・食料」そのものですよね。生々しさMAXです。

強引な見方かとは思いますが、まぁそういう話として。あまりつっこみ過ぎるとボロが出るので(ってもう出てるか。笑)。
さて、その中で科学技術はそのような面とは無縁に、人類に平等な豊かさを与えてきたことも勿論事実でありますが、軍事力の拡大に大きく貢献し、またそれが経済の世界に組み込まれてお金を生んできたことも事実です。特に産業革命以降、そして資本主義が台頭して以降は後者が顕著だと思います。科学技術によって物が生まれることや、科学技術そのものに特許という概念を付随させて価値を作り上げ、その価値を金銭へと変換する。科学が時代と共に「物」のリアリティと経済の論理の中に組み込まれて来たのは改めて言うまでもありません。

ところで現代において、権益や利益に接近する上で最も効果的な方法は何なのかと言えば、上記2番目の経済力による買収、制圧でしょう。帝国主義時代から第二次世界大戦くらいまでは、経済力という要素も大きな効果を上げていたでしょうが、武力衝突という選択肢が比較的容易に選択できた(してしまった)時代でもあるため、経済的に行き詰まれば戦争をして力尽くで利益を奪いに行くことが可能でした(ここにおいて、科学技術は良くも悪くも大いに発展し、そして貢献した、してしまった。)。しかし時代が過ぎるにつれて戦争は愚かな行為であるという旨の倫理観が形成され、戦争はそう簡単には起こらなく(起こせなく)なりました。そうなると、残る手段は自動的にお金で制圧するか政治的な手法によって接近するかになります。 後者が非常に難しいのは明らかですよね。1対1やG8などの会合に限らず、首脳会談や外相会談、実務者協議ですら難航するのはもはや当たり前で、それに近づくために相当な時間と労力が費やされ、それでいて結果はあまり出ないのがもはや普通になっています。そして、その政治的手法においてでも最も重要視されるのは当事国の「経済的利益」です。つまり、現代において、利益に近づく手段として最も実行力があるのは財力を駆使する手法です。「資源・物・食料」の中心からの距離を縮める手段として、経済力が相対的に極めて効果的になったのだと、私は考えます。

で、ここでやっと冒頭に戻ります。(ふー。。。)
彼らがしたいことの本質は何なのかと言えば、利益を生む中心からいかに近くに居続けるか、という事に全力を注ぐ、またはそれに近づくための財力を少しでも稼ごうとする、ということです。団体を構成して政治的に圧力をかける、扇動的行為によって民意を構築しようとする、端的に財力をすり減らす行為に抵抗する、などなど。あらゆる手段の目的はそれです。世界レベル、国レベル、地域レベル、業界レベル、どれも規模が違うだけで、その構造は似たもの同士だと私は考えます。
なんだ、単純に言って「権力にしがみつくことと財力が物を言う」。結局はお金が大事。って当たり前のことですね。どうってことない、わかりきった結論です。自明のことを小難しく言ってみた感じになっちゃいましたね。

そういう意味では、一昔前に時の人になった物言う株主だったり、お金で全てを手に入れられると言った人や、TOBをしかけるなど今でも金融界に君臨し続ける外資系巨大投資銀行、またはそれに近い財力を持つ巨大会社。彼らが実際に行っていたことや目指した、現在も目指していることは、精神的に不愉快な印象を与えながらも、「中心に近づく」という行為を、愚直かつ強力に推し進めた結果だと考えられます。(これに好意的な人もいるでしょうが、そうでない人もいるでしょう。私の印象はここでは述べませんが。)

そして、もう一つ自分で確認しておきたいのは、どうして彼らがある意味でここまで徹底的な行動を取るようになったのか、またはそうする必要があったのか、またはそうしたかったのか、ということです。私は本当の理由は「お金が一番だから」ではなく、「資源・物・食料」の限界があるから、限りがある「物」という現実があるから、だと思います。お金は手段に過ぎないのです。限りある物ということ自体が価値になり、その価値がお金に変換される。逆にお金があれば、限りある「物」に近づける、ということです。
とか言ってみても、やっぱり当たり前のことを言っている気がします。笑
頭おかしいかな。。。笑

でもです。ふと考えてみたのです、というか思いついたのです。その「物」の限界が取り払われた時、どうなるんだ?って。それが冒頭の冒頭、見田先生の言う天国なんじゃないかって。しかも、これって10000%無理って話でもなくないかな?って。
石油がいらなくなったらどうなります?世界中の人が食料に困らなくなったらどうなります?

「っていうか、あそこから石油持ってくるの大変なんだよねー。しかも穴掘らなきゃならないし。めんどくせーから太陽でよくね?」とか、
「今日は太陽ギラギラなので、工場フル稼働ですね!」とか。
「あなた、明日から出張で遠くまで運転するっていうから、車のタンク、お風呂のお湯で満タンにしておいたわよ!洗濯機の分と合わせて丁度使い切りだったわ!」とか。笑
「俺ん家砂漠のド真ん中なんだけど、部屋の中で米つくってんだよねー。」とか。笑
「へー。うちは周りに海しかない、ちょーちっちゃな島だから、海で芋つくってるよー。」とか。。。笑
「プロポーズするのにでっかいダイヤの指輪買おうと思ったんだけどさ、高すぎるから鉛筆の芯からつくってみたわ!」とか。。。笑(絶対失敗)

想像するとめちゃくちゃな世界になって収集がつくなくなってしまうのですが。なんかワクワクしないですか?バカかもしれませんが。ええ、っていうかバカだと思いますが。
でもね、それって科学が究極的に発展したらできますよね。エネルギー問題一つだけでも変わったら、とんでもない世界の構図の大変化がおきますよ。ぜったい。
本当に究極的に科学が進歩したとしたら、「物の中心に近づく」という構図は崩壊すると思います。物から皆が均等な位置にいる世界。

まぁ〜るい世界

球体の世界です。
夢物語なのですが、なんかワクワクします。見田先生の言うように、そろそろそんな事を本気で考えて良い時代かもしれません。特に関連する分野の科学者の皆さんは。
経済原理に縛られた世界が崩壊する瞬間、私が生きている間に見られますかね?まぁ無理だろうなぁ。でも、考えると心が躍ります。笑

みなさんはどんな世界を想像しますか?
面白い世界を想像したあなた、コメントに書いてくれたら嬉しいです。

頭がおかしいYskでした。

3 件のコメント:

  1. コメントするのに匿名ですみません。

    内容を読んでいて、スタートレックの世界を想像しました。

    アメリカのサイエンス・フィクションのテレビドラマシリーズで、私の父がよく観ていて、子どもの頃からスタートレックの世界観を熱心に語ってくれました。

    科学技術が高度に発達した世界での人間の生き方を描いています。もしご覧になっていないのでしたら、一度観て感想をお聞かせ下さい。


    科学技術が高度に発達し、あらゆるモノがフリーアクセスになったら、最終的には宗教などの精神的な安定を求める動きが活発化すると思います。

    結局、その世界でも聖書の独り勝ちが続くかもしれません。

    今、本当に求められているのは、聖書を超える、キリスト教を超える、21世紀に即した精神安定装置を考案することでしょう。

    これからの時代、いちばん輝く職業は、21世紀にマッチした新しい宗教家かもしれませんね。

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    1. 匿名様
      こんにちは。Yskです。コメントをどうもありがとうございます。そして、お返事が遅れまして申し訳ありません。

      スタートレックですか。。。すみません、全然知りませんでした。焦って調べてみたのですが、色々とシリーズがあるみたいですね。どれでも良いのでしょうか?

      とは言え、正直に言いますと、今英国に在住のため、日本語吹き替え版や字幕版が手に入りにく状態です。どうせならしっかりと日本語バージョンで見たいな、と思います。(英語がんばれよって話もありますが。。。)
      そんなわけで、もう少しお時間をいただければと思います。私、こういうことを思いつきで考えているというよりは、日を置いて書けるようになったら書くタイプなので、遅くなるとは思いますが、見て考えて、感想を書かせていただければと思います。

      匿名様の予想では宗教に代表される精神安定剤の動きが活発されるとのことですね。人間がある程度堕落の道を行くのは必然かもしれません。もちろん、それで良い、という価値観と、ダメだという価値観の衝突は起こると思いますが。他方面でのお指摘で、「ユートピア」(小説)の世界を言われている方もいました。どちらもありえると思います。

      個人的な意見ですが、宗教家がかつてのような輝きを放つ時代が来て欲しいとは思っていません。意見の相違がありましたらすみません。しかし、どのような世界が来て、どのような世界が自分が望む世界なのか、まだじっくり考えられていないのもあります。ですから、もっと長い時間をかけてゆっくり楽しみながら考えていきたいと思います。

      ブログはいつでも書き込んでくれて構いません。このような話、私は好きです。これからもよろしくお願いいたします。

      Ysk

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    2. Yskさん、返信ありがとうございました。

      実は私自身もスタートレックを観たことがありません。ただ父から言われていた話がYskさんのブログを読んで、ふっと思い出しました。

      どのシリーズがいいのかは、今度父に確認してみます。父は今でもよくスタートレックの話をしてきます。父は60代で、私は30代の男性で、日本に在住しています。


      宗教家の話ですが、以前のような宗教家という意味でなく、新しいタイプの宗教家というニュアンスで書きました。

      私個人の印象では、スティーブ・ジョブズも立派な宗教家です。多くの人のライフスタイルを変えるということ自体、宗教に近いと思います。

      今は、Apple、Google、Facebookなどの企業の活動は、最新の科学技術に則って展開されていますが、見方によっては21世紀型の宗教のように見えます。

      思想家といったほうがいいかもしれません。最近、マルクスやレーニンの唱えた共産主義、今世界を席巻している新自由主義などを勉強する機会があり、宗教や主義主張の歴史を改めて深く考えているところです。

      このようなテーマでは意見の相違は仕方がないと思います。そもそも宗教や思想、主義主張の食い違いで人類は戦争を繰り返して来ました。

      21世紀、もしくは22世紀になっても、人がひとつの宗教・思想・主義でまとまるのは難しいと感じます。その食い違いをどうするか。未だに答えが出ないテーマだと思います。

      スタートレックは今後時間ができたら、観て下さい。私の方もこれを機会にスタートレックを観て、未来について考察してみます。

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