英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ

ポスドクの研究留学日記的なブログ

2014年2月9日日曜日

女の子の時代

こんにちは!Yskです。
日本では節分が終わって、立春。春の訪れを感じる・・・かも、ですか?
まだまだ寒そうですが、梅とか咲き始めるのが待ち遠しい感じでしょうか。^^

こちらは、と言いますと、えぇ、例よって雨だらけの鬱々とした毎日です。orz そんなに気温は低くないんですけどね。しかし、日中太陽が見られずにおまけに夜が長いんですから、そろそろこちらに来て2年が経ちそうですが、いっこうに好きになれません。イギリスでまずいのは料理じゃなくて冬の天気!僕はそう思います。

さて、今日はタイトルのことについて考えてみたんです。こないだ首相がダボス会議で演説した内容を読んだり、これから日本は女性の時代的なことが世間様の間で言われていたり。そんなんで、考えを巡らせてみたんですね。その時に、ふとした記憶が蘇りました。

こちらに来て1ヶ月ぐらいのこと。ラボの女の子と将来のことについて話していたんですね。大学に勤めたいのか、研究者として生きたいのか、それとも企業か。もしくは科学を辞めて別の世界に行くか。そんな話です。それで、特に嫌みではなかったんですが、彼女がポロリと口にした言葉が頭に引っかかったんです。それはというと、、
「西洋では女性の社会進出はすごい進んでるの。もうほとんど平等よ。」

・・・ん?西洋では・・・うん、つまりは、その。。。
はい。そういうことです。東洋では女性の社会進出が進んでいないことを前提に話しているんですね。いや、彼女は決して日本を(東洋を)バカにした感じで言ったんではないです。それは話していてわかります。カチンと来る人もいるでしょうし、マイナスに取れば「西洋文明の方が長けている、進んでいる」ということを意図した発言とも取れるかも知れません。しかし、そうではなかったと思っています。

いずれにせよ、少なくともこの西洋人の女の子は日本の女性の社会進出は進んでいないと思っているんです。実際、多くの西洋人の理解はそうだと思います。日本の女性の労働環境は西洋と非常に似通っているという話は耳にしません。
統計を見ても問題を抱えていることは確かだと思います。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/josei-jitsujo/dl/11gaiyou.pdf
細かなところまで読んでられないですが、女性の労働環境が整っていないことが分かります。

(余談ですが彼女の話の主題はそこではありませんでした。関連するので後述します。次回。)

はっきり言って人権問題なのか差別問題なのかは分からないですけど、この問題に対する世界からの日本に対する評価が極めて低いことは事実だと思います。それで、官僚の皆さんは大変に努力してこの問題を解決して世界での評価を少しでも良くしようとしてるんだと思います。その取り組みが現在、表に出て来ているんでしょう。女性の管理職の割合を30%に増やすとか、女性が力を発揮できる環境を整えると言った宣伝とか。

Yskは個人的に、こういった動きには賛成です。男性よりも女性が活きる場なんていくらでもあるでしょうし、そういった環境では女性が持てる力を充分に発揮してくれたら良いと思います。もちろん、現在の主観で男性向きだと思われる所に飛び込んで行くのだってありですよ。しかし、現在、日本の官僚さんたちが取り組んでいる一部の動きには賛同できない部分や疑問点があります。今回はここが出発点です。


納得出来ない部分は、数字先行の政策であるということと、数字を上げた所で快適で幸せな生活が待っているかが疑問な点です。実際に僕がいる界隈で見られる現象を挙げておきましょう。僕は今、職探しをしています。つまり日本に帰る準備ですね。できれば今年の内に日本の大学でポジションを見つけて、帰国したいと考えています。そこで、そういう職(一般的にアカデミックポジションという)の募集サイトを見るわけです。主に若手の研究者が見るんですが、いわゆるYskみたいなポスドク(高学歴ワーキングプアとか言った方が刺激的か・・・?)がたくさん見ているサイトですね。僕らが目指すのは「助教」という職です。国立大学が法人化する前は助手と言われていたポストですね。法人化した後も助手という役職は残りましたが、以前の助手にもう少しある意味での権限を与えたのが助教です。で、それを募集している大学の情報を集める訳です。

するとですね、女性しか応募できないポジションがあるんですよ。助教に限らず、准教授(昔の助教授)や教授も。研究の世界では現実として男性が非常に多い世界です。女性は決してチョー少ない訳ではないですけど、男女比には大きな開きがあります。それで、実際に女性のみを応募しいるポジションがあるわけです。
これ、女性にとっては朗報に思えます。(思えない部分だってありますよっていうのを意図して「思えます」って書くのですが。それは後述。)男性にとってはとんでもない話です。「なんで女性だけなんだー!数は男性の方がすごく多いのに!」って話です。

そうやって文句を言うと、女性軽視ということを言われそうですが、逆に男性が不平等に扱われているという言い方だって出来てしまいます。これ、結論から言うと、きっと文科省からお達しが来てるんだと思います。国家公務員や大学法人の役職に就く女性の比率を上げるところから始めようって。で、半強制的に女性のポストを作って増やす。
ま、乱暴に言えばそういうことです。

賛否両論あると思いますが、ちょっとオカシイですよね。少なくとも「普通」ではありません。フェミニズムをお持ちの方から言えば、「今まで散々女性の権利を奪って来たし、平等に扱って来なかったじゃないか。そのぶん返していただきます!」っていうのもあるでしょうし、男性からは「これは逆に男性差別。結局不平等!」ってことになります。ま、結果的に、大学に人事に関しては文科省は、男性の言い分は充分に把握しているものの、前者の立場を取ったことになります。そうでもしないと女性の管理職が増えるとは考えられなかったのでしょう。(実はなぜそうしないと増えないのかというのが凄く重要なんですけどね。これも後述します。)文科省に限らず、社会全体の女性の管理職を増やすという方向性を推し進める場合は、前者の立場なんだとYskは理解しています。それが世界的な評価を上げるのに最も簡単かつ有効な手段だと考えたのでしょう。(あくまで予想ですけどね。予想にケチつけるのは簡便してください。笑)

Ysk的にはこの件に関しては「オカシイ」と思います。理由はシンプルで、現場無視だからです。(官僚さんや政治家、大企業にありがちなお決まりのパターンですね。笑)女性を増やさなきゃというのは100%正しいです。賛成します。しかし、明らかにターゲットの女性よりもデキる男性を差し置いてでも、その女性を選ぶ、とかいう現象が起こり得ます。これって良いんでしょうか?優先すべきは組織の利益ではなくて比率という数字なんでしょうか?
もちろん、その逆が過去にあったでしょう。しかし、数年前や10年くらい前、ましてや2,30年前の状況を理由にして現在にそれを反映するっていうのはどうなんでしょう、と思うわけです。というより、ある意味、そう言った過去を取り戻す行動をして、それが現在に明らかにプラスな形で反映されるんでしょうか。。。もちろん世界からの評価は上がるでしょう。でも、日本国民は幸せになりますかね?大学に限らず、公務員だって、企業だって、優秀な人が役職に就いてよりベターな状況を生み出すから、その効果が下流に還元されるというのが普通です。それを無視してまで、数字並べをやらなければ逆に不利益を被ってしまうんでしょうか。勉強不足で分からないんですけど、現時点で僕にはその確かな「不利益」が思いつきません。あくまで道徳的な評価であり、死刑問題や鯨漁問題に分類されそうです。個人的には。もちろん、そういった道徳的な問題が回り回って経済に響いて来るというのは理解できますけど。でもそんなにとてつもなく大きいのかな、というのが疑問です。


こう書くと僕の考え方は男尊女卑的な考えに見えちゃいますけど、違いますよ。もう一度言いますけど、女性の社会進出や管理職比率の向上には賛成です。むしろ女性がそのようにできるシステムを早急に構築すべきだと思います。失業率だけに注目してしまうと職に就くのはすごく大変に思えてしまうのですが、一方で圧倒的にマンパワーが足らない世界があるのも確かです。女性がもっと思いっきり働ける環境を整えることは、国全体の生産力を向上させる上でも非常に効率的で効果的な対策だと思っています。
じゃあ、実質的な問題は何なのか。
そう、システムなんです。現在動いている方法論に関して、子育て環境の改善など、福祉政策は大筋で賛成できます。まだまだ全然足りないですけどね。もっともっと予算をつぎ込まないとダメです。一方で上手く機能しないなと感じるのが先ほどの「数並べ」です。官僚さんはこういった数字並べを基にした評価が大好きですが、これは無意味かそれ以下だと思われます。現場で混乱が生じるのは時間の問題だと思います。


またまた男尊女卑的な書き方になりそうなので、核心部に移ります。変えなきゃならないのは、男女比の前に「評価基準」と「ワーク・ライフ・バランス」なんです。


日本は女性の社会進出が遅れている。そう言われます。じゃあなぜ西洋は進んでいるんでしょう?考えたことありますかね?

僕の答えはいたってシンプルです。
「男が働かないから」です。笑
いや、本当です。本当に働かないんですよ。6時とか7時に平気で帰ります。夜9時くらいにボスから電話がかかって来たって知らんぷりです。僕はだいたい夜遅くまでいるんですが、多くの人から攻められますね。「お前のlifeはどこにあるんだ?」「哀れな生活するな」って。
な!なんと!哀れですと!?と始めはカチンと来てましたけど、もう慣れました。

でもこれが答えなんですよ。
男が日本人と比べて圧倒的に働かない。早い時間に帰る。家に帰って料理する。皿洗いも掃除もする。家事は完全に共同作業。家族とくつろぐ時間を毎日持つ。子育ても共同作業。家族がいない若い人も、彼女なり彼氏なりと過ごす時間をしっかり持っている。生活の中に精神的豊かさがある。そういうことなんです。
ですから、子供がいたって変わりません。お父さんとお母さん両方で面倒見るんですから。日本のお母さんに比べたら家事の量は半分、それ以下の場合だって多々あります。今、僕のグループに結婚している博士学生の女の子がいるんですけど、旦那さんが毎日お弁当と夕食を作っているみたいです。

「まーた、外国の話持ち込みやがって!」というあなたは少し早とちり。笑 まあもう少しお付き合い下さい。じゃあ何でそれができるか、です。
一つは給料が年俸制であること。これです。長い時間働いても意味ないんです。給料変わらないですから。いなければならない時間だけ働いて、帰れる時間になったらすぐに帰って仕事以外の時間を楽しむ。これが、ちょーちょー普通なんです。でも、成果が出ないと昇進はできません、もちろん。日本以上に成果主義なんですから。だから仕事時間中の集中力とか忙しさ具合は日本人よりも上だと感じることが多いです。日本なんて、残業代稼ぐためにわざとノロノロと仕事している人がいるくらいですから、大違いですよね。笑

二つ目は共働きが当たり前ということ。それができる社会環境が整っているということです。日本の場合、お父さんが死ぬほど働かなければならない理由は、そうじゃないと家に入ってくるお金がもの凄く少なくなってしまうからです。個人の年収というより、世帯年収で考えるのがこちらでは普通です。家事の負担も経済の負担も半分半分で分け合おうということですね。一歩引いてみてもこれって合理的なんです。一般的にだいたい年収800万円くらいあれば平均的にかなり裕福な部類に入ると思いますが、一人で800万円目指すより、二人で400万円ずつ頑張る方が相当に楽だと思いますけど、いかがでしょう。
少なくともイギリスではそういう感じです。というか、平均年収なんて日本人の平均より少ないですが、社会福祉がしっかりしている分、日本よりもだいぶ幸せに見えるんですよね。
これから家庭を持つ僕ら若い日本人は、個人の年収じゃなくて世帯年収で考えるのは、とても良い方向だと思います。


以上の2つを改善すると、だいぶ男女がフェアな感じに近づくと思います。しかし、これ、言うは易しやるは難しです。もっと根本的な問題は、日本の「評価基準」です。
西洋とは大きく状況が異なります。こちらは基本的に早く帰宅するので、’’そもそもの働く時間が平等''なんです。男も女も労働時間が同じ。フェアなんです。さて日本の場合は?
平均して男の労働時間が長いですよね。西洋の人達から見れば「アホ」とか「哀れ」と見られるくらい、労働時間が長いです。しかももっと悪いことに、日本には「頑張っている人を評価する」という、ある意味で良くない評価基準が暗黙の了解であります。結果主義、結果主義と声高に言われるようになったものの、未だに状況に大差は無いと感じます。結局、人の2倍3倍頑張っている人がまず第一に評価される。だから必然的に労働時間が長くなる。だって、その方が圧倒的にアピールしやすいですし、分かりやすいですからね。
西洋の場合は、もう文化が違いますから、長く働いたからって評価されるとは限りません。単純に結果。それ以外にもバーソナリティ、いわゆる人物評価みたいなもんです。それもただ長い時間労働する根性がある、みたいな極めて東洋的な話じゃなくて、プレゼンの力とか、機転が利くとか、論理展開に長けているとか、そういう部分です。この評価基準の違いが、男女をフェアにしていることは間違いないと、僕は思っています。実際、僕の研究棟でも、僕以上に長時間労働する人がいるんですが、残念ながら評価が高いとは思われていないみたいです。むしろ本当に哀れに思われていて、僕的には本当にかわいそうに思います。何と違う世界なんでしょう。

さて、日本が見直さなければならないのは、まさにこの評価基準です。年俸制を導入した会社も多くあります。しかし、実態はどうか。長時間労働したって給料は変わらないということが、逆に会社がいいように社員をこき使えるようにしてしまっている場合があるようです。だって残業代を払わなくていいわけですから。はい、これも、悪の根源はその評価基準。長時間労働を暗黙的に奨励するという、それです。もう、これ止めたくなりません?笑 この評価基準、一刻も早く無くしましょうよ。労働時間の平等性を確率しましょうよ。


労働時間も平等。年収は世帯年収で考える。家事分担も平等。評価基準を是正する。社会福祉を充実させる。こういったシステムの改善や世論形成、フェアという意識が育てば事態は確実に好転すると思います。必然的に女性の社会進出は高まるでしょうし、労働力不足もある程度改善するでしょう。多くの男性も女性もストレスから解放されるかも知れません。子育てだって負担がぐっと減るでしょう。家族の団らんは増え、寂しい思いをする子供も減ると思います。両親とのコミュニケーションが充分に取れない子供の悩みも随分と少なくなると思いますし、発展的には少年少女の自殺問題などでの改善が見られるかもしれません。子供の教育を全て学校の先生に押しつけるなんていう、無責任な親も必然的に減るでしょうし、もっと踏み込めば、夫婦の時間と余裕が増えて少子化問題の改善に繋がるかも知れません。いや、真面目に。

ということで。ずいぶんと西洋スタイルの宣伝をしてしまいましたが、自分が考えるに大切なことだと思います。特に女性の社会進出を心から支援したいなら、必要不可欠なことです。

自分が学部生の頃から数年間、キャリアウーマン的なバリバリ仕事をする女性が注目を浴びて、男性のフィールドに飛び込んで行く、たくましい女性が多くいました。尊敬に価します。しかし、本当にそれが幸せの道だったかというと疑問です。結局、男性有利のフィールドに男性のやり方で飛び込んで、疲弊してしまた女性が多くいると思います。もう一度言いますけど、その姿勢は極めて尊敬に価するんですけど。その反動は確実にあって、今の大学生では、そう言ったハードワークを避ける傾向にあるようです。つまり、思い切って体力勝負の評価基準に身を投じたものの、男性に勝とう勝とうとした結果、限界を迎えてしまったという見方ができます。変えなければならないのは、評価基準なのです。数字並べじゃないんです。
前半にも書きましたけど、僕のいる世界で現在の評価システムのままで女性の教員を増やそうとすれば、徹夜なんて当たり前的な修行を何年も続けることを、女性に強いることになります。そうじゃないと男性が黙っているわけありませんから。でも、それって双方にとって幸せに思えないのは私だけでしょうか。
くどいですが、もう一度。変えなければならないのは、評価基準なのです。数字並べじゃないんです。


僕の展望に賛同してくれる人にお願いがあります。絶対にネガティブな方向で動かそうとしないでください、ということです。あれがダメ、これがダメ、だからダメ。こういったやり方で社会が大きく動くことは極めて難しく、極めて希だと思います。もっとポジティブにやって欲しいと思います。特に、女性の方に。これから社会を築いていくであろう、若い女性の方に、誇りを持って評価基準を変える所、世論を形成する所からじっくりと取り組んで行ってもらいたいと思います。女性の女性による女性のための行動です。
女性が上手く組み込まれて社会進出することが、どれだけ社会の、経済活動全体の、会社の、社内の一組織の利益になるのかをアピールすることが大切だと思います。男性社会の男性的な判断基準に対して、それを変える利点を明確に提示するのです。
女性がワーク・ライフ・バランスを良い形で維持できる組織や会社に、労働者としても優秀な女性が集まる。そういった自然な流れが理想的です。女性と男性の本当の平等性を確立し、女性が活躍できる平等な場を構築し、そこに優秀な女性が集まることによって、会社全体のマンパワーが増大し、パフォーマンスもよりパワフルになり、最終的に会社が利益を得る。そしてそれは男女平等に社員の給料へと還元される。それに大きく貢献した人が正当な評価を受ける。勿論、前提が整っている分、そこに男女の不平等はもはや存在しないはず。

こういったストーリーを、自信を持ってアピールできる、凛々しくて賢く、強くて優しい女性は絶対的に必要です。しかし、別に完璧である必要はありません。一人一人の女性が女性的な観点で少しずつでも意識を高く持って取り組めば、着実に事態は改善していく物と、僕は思います。男性の視点ややり方に流されず、それに屈することなく、幸せな生活をシンプルに純粋に求めて、女性が存分に活躍できる社会を、女性自身の手で作り上げて欲しいと思います。

今回はここで止めます。女性の社会進出について考えを巡らせたYskでした。

しかし、思考は続きます。西洋でも女性の社会進出の砦はまだあります。研究界や学術領域です。もう一つ。投資会社などの金融機関も。これについては、もう少し考えてから書いてみたいと思います。


Yskでした^^/

朝9時過ぎて(1時間遅刻)この太陽の位置だもんなあ。。。笑 



6 件のコメント:

  1. サンディエゴのリコポンです。前にどんな名前で投稿したか忘れましたが、まあ分かりますよね。
    以前、北海道大学で行われた女性シンポジウムに参加した際に、アカデミアの採用枠(助教)を、全体は増やさずに女性の割合を増やす、という考えについて質問をしました。「女性の割合を増やすという考えは賛成ですが、比較した時に明らかに男性候補者の方が研究力がすぐれていても女性をとるという方向性なんですか?」その返答は、「どこかの世代が痛みを被らないといけないので、頑張って研究をして、限りあるポジションを獲得してください。それに、博士号をとっても大学だけが就職先ではないですから。企業という道もあるんですよ(にこ)」と女性教授に言われました。アカデミアの女性を増やす為にポジションを空ける、という事は一つのやり方だと思いますが、実際のアカデミック現場は相当厳しい環境な訳で、結局女性を取り巻く環境をサポートする体制を整えない限り、結局は女性研究者も男性研究者も辛い思いをするだけだと思うのですが。。。

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    1. どうも、りこぽんさん。返事が遅くなってごめんなさい。
      僕は女性シンポジウムとやらに参加したことないんですけど、そんな話があったのですね。まあ、どこかの世代が痛みを被らないとっていうのはそうなんでしょうけど。。。つまり、現在の所、痛みを被る世代っていうのは僕らの世代なわけで。。。でも、そうやって女性の枠を作ったからって、女性は万歳三唱で喜ぶのか疑問ですね。
      はっきりと言えば、現在行われている方法っていうのは的外れかもしれないと僕は思っています。つまり、女性の味方みたいな方向性を出していながらも目線は男性的で世界からの評価っていう外面しか意識していないんですね。正直、これからの世代を担う女性には、ある意味で騙された感じでその職に飛びついて欲しくないですね。辛いだけですから。

      お役所さんの的外れな政策って日本特有の現象なんでしょうか。すごく気になります。

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  2. はじめまして.nanaです.時々立ち寄っては,楽しく読ませていただいています.
    今回の内容に関して,私もYskさんのいう,ポジションや採用率という“数”だけ増やせばいいという話しではないという意見に大いに賛成です.お役所仕事的な対策だなとしみじみ感じます.そして,評価基準にしてもそうです.現在の評価システムでは,いくら一時的に女性の数を増やしても,続かないと思います.私も海外の会社で仕事をしたり日本の会社で仕事をしたりしましたが,Yskさんのおっしゃる通り,日本の会社では,定時以降が仕事の始まりといわんばかりの働き方をしている人が沢山いました.過剰な仕事量か残業手当が目当てなのでしょうけど,どちらにしても問題ありです.また,キャリアを重ねる女性は独身だったり子供がいなかったりするケースも多く見受けられ,“バランスが取れた生活を送れている”とは思えません.Yskさんがコメントしていたように,なぜ女性の数が少ないのかという理由を,もう少し掘り下げて考えた上で対策が講じられるようになれば,日本の社会でも女性が働きやすくなり活躍でききる機会が増えると思います!!

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    1. はじめまして、nanaさん。書き込みをありがとうございます。読んでもらえてとても嬉しいです。私は意見を言うことがかなり多いですから、読んでいて意見の相違や不愉快を招くかもしれませんが、これからもどうぞ読んでくれると嬉しいです。

      そう、nanaさんのおっしゃる通り、持続性の問題なのです。海外の会社で、しかも欧米の会社で働いた経験をお持ちの方なら分かるでしょうね、この事の大切さが。
      実は言及を避けたのですが、現行の日本の制度のままでキャリアをアップし続けて来た日本の女性だと、nanaさんのおっしゃる通り、結婚や出産を犠牲にしてきた方はかなり多くいると思います。それに関して、勝ち組やら負け組やらと甲乙をつけたがる愚かなマスコミにも相当に責任がありますが、論ずべき所は、出世する女性が優れているのかそれとも幸せな家庭を持つ女性が優れているのかという部分では全くなく、どうして女性が働く場合に結婚や出産を犠牲にする必要があるのか、なんですよね。

      nanaさんの様に、事の問題を充分に理解している人はけっこういると思いますし、私の書いたことに賛同してくれて、それから考えてくれる人もいると思います。

      私はめちゃくちゃ微力ながらも現行の評価基準を変える取り組みはしていこうと思っています。nanaさんも自分の周りからでも良いですので、ほんの少しずつでも協力してくれると大変嬉しいです。
      これからもよろしくお願いします!!

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  3. こんにちは☆

    以前はお世話になりました。私は、来年度の人事も決まり、自分のペースでまたがんばらなきゃなというところです。

    この問題。私も大いに悩んできたところです。と、いうのはご存じですね(笑)最近になって思うのは、この背景に、家事専業の専業主婦を認めてきたという社会背景があるのではないかなと思います。またかつては、女性は働かず、家事をという風潮だったのも事実ですし、高度経済成長期からバブル期?まで、男性だけが働くために、そのような女性たちに対して、手当や控除などを男性中心の会社社会が配慮してきたというところが、今なお残っていると思います。子どもや老人は、今なお、そのような配慮を受けてもよいと思いますが、配偶者に至っては、家事専業として男性だけが働くために保護される?(ちょっと言葉がちがうかもしれませんが)というのは、社会の変化とともに、いま、なにか違うのではないかなと思います。介護や自営業の手伝いで専業になることはあっても。今後は扶養手当や年金もきっと変わってくると思います。

    そのような背景があるので、男性だけが働くための社会と、そうではなくなってきている社会のなかで、女性の社会的立場が、その、結婚や出産を犠牲にするか働くかというところで二分されがちなんだろうなぁと。仕事をしている女性としていない女性で、いろいろな論点がでることも、そこらへんかなぁ・・・なーんて。社会のなかで、専業・兼業問わず、主婦の立場を同等にすることで、女性が働くという考え方が少し変わってくる気がします。

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    1. akariさん
      どうもこんにちは。お返事遅くなってすみません。
      そうですか、今年度も末ですが来年度も良い年になると良いですね。

      歴史的な物はやっぱり大きいと思いますね、僕も。仕方ないですけど、そうやって社会が成り立ってきたのは事実だと思います。しかし、時代は変わるんですよね。だから今の時代に合ったやり方に移行しないといけない。それが遅れているんだなって思っています、僕は。

      いずれにしても、女性が働く環境ってまだまだ不十分だと思います。女性は自立することを考えなきゃいけないし、男性は女性を本当に活かしてもっと楽をする(笑)生き方を考えなきゃいけない。あ、楽と言ってもそれは職場の話。家族としての役割をもっと果たさなければならない。お金だけ稼げば良かった時代は過ぎ去ってしまったんですけどね、とうの昔に。お金持ってたって幸せじゃない人だっているし、お金持ってなくたって幸せな人もいるし。幸福感が多様化したのをきちんと社会全体のシステムとして受け止めて行かないと、ズレが出ちゃいますよねー。

      主婦って仕事せずに守られるってイメージあるから、それが変わらないとけないですよね。実際はすごい重労働なんでしょうが。いすれにしても、こうやって色々と考えてくれる皆さんや僕らから変わっていかないと、良い方向には向かわないなって思うので、微力ながら一生懸命やっていこうと思います。

      これからのコメントもお待ちしています。よろしくお願いします。
      Yskでした!

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