英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ

ポスドクの研究留学日記的なブログ

2012年6月10日日曜日

拝啓 敬愛なるベートーベン様

Guten tag、ベートーベンさん。来る6月2日、私はあなたが生まれた街、ドイツのボン(Bonn)にお邪魔して来ました。その昔から私はあなたのことがたまらなく好きでしたので、Bonnの空気を吸ったときには感無量でしたよ。Bonnに来て改めてもっとあなたのことが好きになりました。ここに手紙を書きます。

ベートーベンさん、あなたが生きていた頃は飛行機など想像も出来なかった時代かもしれません。現代はとても便利なものでイギリスのロンドンから1時間半でフランクフルトに到着してしまうのです。驚きでしょう?そしてフランクフルトから鉄道でBonnに向かいました。そう、あの頃から変わらないライン川の景色を眺めながら。あなたが生きていた頃に鉄道があったかはわかりません。木製の物だったらあったのでしょうか?今はフランクフルトから1時間半でボンに到着です。電車の中から見るライン川の景色は本当に素晴らしい眺めですね。あなたが亡くなった後、25年ほど後にあなたと同じドイツが故郷のロベルト・シューマンさんが「ライン」なる交響曲を作ったのですよ。知らなかったでしょう。 とても美しい曲です。そしてその曲のイメージとライン川の景色はよくマッチしていると感じました。私は音楽家ではありませんし、詳しい学者でもありません。ただただ、ベートーベンさんのことが好きなだけのファンですから、私の音楽的な感覚がそう感じさせただけですけどね。でも、ファンだと言われて嫌ではないでしょう?まぁそう難しい顔をなされずに。ま、私はそういう難しい顔をしたり怖い顔をしているベートーベンさんが好きですけどね。


ベートーベンさん、あなたが生きていた頃の神聖ローマ帝国の首都がどこだったのか、私は知りませんが、ボンは一度首都になったのですよ。あまり良い話ではないのですが。あなたが亡くなって120程後に大きな戦争がありました。ドイツは負けましてベルリンから東と西に分裂してしまったのです。ショックかもしれませんね。いつの時代も戦争は負の遺産を残してしまうものです。それで西側の首都がボンになったのです。奇遇というか何というか、ベートーベンさんも何て言ったらいいかわからないかも知れませんね。その後1990年に西と東が統一されるまで首都だったのですが、ドイツ人の心はどうやらベルリンにあったようです。今ではベルリンが首都です。


ボンには私の友人がいるのです。彼はボン大学の博士課程の学生でしてね、大学時代からの仲間なんです。私は彼が羨ましいですよ。だってあなたが生まれた街で暮らしているのですから!しかし、彼はあなたには興味ないみたいですが。ボン大学はあなたが生きている時にできた大学ですね。もちろんご存じですよね。あれから200年近く経ちますが、そのボン大学はヨーロッパでも有数の素晴らしい総合大学となっていますよ。しかし綺麗ですね、ボン大学は。ベートーベンさんはもはや建立時にはウィーンにいらしたと記憶していますが、きっとボン大学を見たことはないでしょうね。もったいない。晩年一度くらい帰って来ても良かったのにと思いますよ。

ドイツはビールが有名ですね。いつから有名なのか知りませんが。日本にもビールはあります。日本のビールも美味しいですが、ドイツのビールもまた格別ですね。驚きなのは、いわゆる地ビールという物がメジャーだということです。ボンはケルンに近いので、ケルシュというケルンのビールがメインで飲めるみたいですね。ケルシュ、美味しかったですよ。けっこうドライな感じなんですね。私は好きです、こういうの。日本の場合は大きな会社が作ったビールが日本全国に出回っていまして、地ビールの締める割合なんて微々たるものです。ドイツのビールは日本で言う地酒に近いのかもしれませんね。 しかし、ビールの産地、銘柄によって飲み方が違うのには驚きでしたね。ケルシュは割と小さなグラスで飲んで、ビットブルガーというビールはやや大きめのグラスで飲む。この違いは何なんでしょう。教えて欲しい物です。


さて、ボンには広場が2つほどありますね。きっと昔は一つの大きな広場だったのでしょう。今は真ん中に鉄道の駅ができたので、2つに分かれているんだと私は思っています。そちらの広場の片方にはあなたの像が建っています。すごく立派ですよ。あかの他人なのになぜか私は誇らしくなってしまいました。そしてその周りには立派で綺麗な教会がたくさんあるのですね。今私はイギリスに住んでいるのですが、イギリスの教会は厳かな感じがしますがドイツの教会はやや華やかなんですね。美しいです。フランスやイタリアほど煌びやかではありませんが。ドイツの雰囲気には良くマッチしていると思います。いや、逆ですか?このような教会がドイツの雰囲気を作っているのですか?うーん、どっちでしょう。


そして何と言ってもあなたの生まれた家。今は「ベートーベンハウス」として一般に公開されています。あなたはなんと小さな屋根裏部屋で生まれたのですか!あなたが生まれた3階の屋根裏部屋は、今は何とも殺風景にあなたの鏡像が置かれただけで、ある意味で厳格に保存されています。ぱっと見る限りでは何とも寂しい部屋ですが、私は心が躍りましたよ。ここがあなたの生まれた場所か!と。アパートの中は今では博物館になっています。もちろんベートーベンさんに関するものですよ。あなたの書いた手紙、あなたの使っていたハンカチや、補聴器、机、ペンなどが今も現存していて飾られています。一つ一つみる度にあなたのことを想像し、とても楽しい時間を過ごしました。隣にいた友人はいたって退屈そうでしたがね。

 しかしベートーベンさん、あなたには相当な数のファンがいたみたいですね。あなたはウィーンで亡くなられましたが、当時のウィーンの1/5の人口に当たる2万人が弔問に訪れたらしいではないですか!なんとまぁ、将に私の敬愛なる方です。その後もあなたのとりこになる人は大勢いました。仲には相当なお金持ちの人もいて、あなたが使った物のコレクションを持っている人がいまして、その人が寄付してくれたおかげで今の博物館があるのです。私の様な一ファンにとっては何とも嬉しい限りです。そう言えば、博物館にはあなたが弾いていたピアノが2台ありました。同じピアノでもずいぶんと音色が違いますね。あなたのお気に入りはどちらだったのですか?私は煌びやかな音がする方が好きでしたね。少し高音が耳に刺さるのですが。でも、あなたのピアノ曲だと澄んだ低音が出る方がきっと格好良く聞こえるんじゃないかな、と私は勝手ながら思います。館内が写真禁止でしたのでデジタルで保存することが出来ませんが、私の記憶にしっかりととどめておきますよ。
そしてあなたの遺髪まで保存されています。私にも1本分けてもらいたかったですよ。
アパートの1階は現在ピアノがおかれ、小さなホールになっています。小さなコンサートなども行われるようですよ。この博物館はあなたのファンによって支えられているのですが、特に著名な方は名誉会員とされています。あなたが亡くなった後、名だたる指揮者やピアニスト、バイオリニスト、チェリストが出生し、いくつもの功績を残しました。私は彼らも大好きなのですが、特にルドルフ・ゼルキンやクラウディオ・アラウ、ヘルベルト・フォン・カラヤン、などは好きです。ベートーベンさん、あなたは彼ら名誉会員の中で誰が一番お好みなのですか?今生きている人では、ニコラス・アーノンクールやアンドラーシュ・シフ、アルフレッド・ブレンデルもいます。私はルドルフ・ゼルキンです。あー、本当にあなたが一番好きなピアニストを知りたい、叶わぬ願いです。

さて、2日目は、ボンから少し遠出してケーニッヒヴィンターという街に行って来ましたよ。ここはライン川のほとりの街でとても綺麗な街ですね。丘の上には立派な城があってそこからの眺めもまた格別・・・なはず。あいにく私が訪れた時は雨でしてね、下に広がるライン川の流れをクリアーに見ることは出来なかったのです。残念。また必ず訪れます。ライン川沿いにはここのドラッヒェンブルクの城みたいな城がたくさんありますね。どれも美しく、全て訪れてみたくなりましたよ。中も素晴らしく保存されている城もありますしね。あなたはこの城からライン川を眺めましたか?きっと必ずまた行くと思います。


私が驚いたのはドイツはワインも有名だということです。ボンのように北部では白ワイン、ミュンヘンなどの南では赤ワインと聞きました。ええ、飲みましたが美味しいですね。イギリスワインよりも飲みやすいと感じました。実は私、ワインが苦手なのですが今回は悪酔いせずに飲めました。それから、ドイツと言えばフランクフルトというかソーセージというかホットドックというかウィンナーというか・・・よくわかりませんが、いわゆるソーセージを食べなければ!と思ったのですが、北部ではそれほど有名ではないようですね。南に行く機会に存分に味わおうと思います。ところでベートーベンさん、あなたはビール、赤ワイン、白ワインでどれがお好きなのですか?わたしはやはり、ビールですけどね。あなたと杯を共にした人が羨ましいですよ。これも叶わぬ願いです。

そらから、変な名前の道が多いですね。とても面白かったですよ。ブラームス通りやハイドン通り、バッハ通りにモーツァルト通り。もちろんあなたの通り、ベートーベン通りも。名だたる音楽家の名前を地図で見つけては歩いて来ましたよ。通りの名前とバス停の名前をひたすら写真撮っていたので、道を歩く人から変な目で見られてしまいましたがね。でも、いいんです。好きなものは好きなんですから。




先ほどのロベルト・シューマンさんと、彼の妻であり有名なピアニストでもあったクララ・シューマンさんのお墓に行って手を合わせて来ましたよ。安らかにお眠りになっていると勝手ながら思いました。あなたも今は、ウィーンの墓地に眠っておられるのですね。お隣に誰がお眠りか知っていますか?あなたを尊敬して止まなかったシューベルトさんと、あのモーツァルトさんですよ。あ、でもモーツァルトさんは本当はそこにいらっしゃらないんですけどね、そういうことになっています。そちらにもそのうちお邪魔しますね。どうぞ安らかにお眠り下さい。



長くなりました。まだ書きたいことはあるのですが、この辺でやめておこうと思います。今まで私はあなたの言葉、「苦悩を貫き歓喜に至れ」を心の宝にしてきたのですが、今回一つ増えました。あなたの遺書。かの有名な。ハイリゲンシュタッドの一節です。(有名なんですよ、この遺書。)

(前 略)耳が聞こえない悲しみを2倍にも味わわされながら自分が入っていきたい世界から押し戻されることがどんなに辛いものであったろうか。(中略)そのよう な経験を繰り返すうちに私は殆ど将来に対する希望を失ってしまい自ら命を絶とうとするばかりのこともあった。そのような死から私を引き止めたのはただ芸術 である。私は自分が果たすべきだと感じている総てのことを成し遂げないうちにこの世を去ってゆくことはできないのだ。
やはりあなたは格好いい。本当に格好いい。しっかりと心にとどめておきます。

Bis Bald,

Ysk 

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