英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ

ポスドクの研究留学日記的なブログ

2017年5月7日日曜日

椎間板ヘルニア闘病記②:入院と内視鏡下ヘルニア摘出術(MED法)

こんにちは。Yskです。今回は引き続き闘病記を書きたいと思います。今回は手術編です。ではスタートー☆(第一回は→こちら

 入院初日。午前10時に入院した。とても見晴らしの良い病棟の最上階に連れて行かれた。本格入院は初めてだったので、どことなく緊張というよりワクワク感があった。一通りの院内の説明を受けた後は、とにかく暇である。一応多少なりとも暇つぶし?になった小さな事を書いておく。体温をこまめにチェックされ、血圧もチェックする。耳たぶを軽く傷つける止血検査も行った。すぐに止まって問題無し。全身麻酔で手術を受ける予定のため、深呼吸や術後の寝返りなどに関するビデオを見た。内容は面白くも興味深くもあるはずがなく、「はい」と言った感じだった。(しかし深呼吸のやり方に関する内容は後々重要であったと今では思っている。)

 二日目手術前日。6時とかに起こされて、体温と血圧測定の後は食事。その後また暇。することがないので、研究の事とかをひたすら考えている。事務的なメール処理もやった。昼前には麻酔科の問診を受ける。先生が着任してからの5年間、一度も重大な事故は発生していないとのことで安心した。一応、全身麻酔の危険性について多少なりとも説明されたが、二次的疾病の方がメインかと考えられ、どうすれば避けられるかを考えたので、これは後述する。そこで出会った人は、県外からの皆さん。方々から患者が集まる有名病院であることを改めて実感した。手術に向けて安心感が増したのは言うまでも無い。
 救われるのは、案外病院食が美味しいことだ。普通病院食と言うと、味がないとか野菜ばかりとか、そう言うのを想像してきたが、肉や魚もしっかりで、病院食としては満足であった。しかし、量は少なめ。そこで夕食後にこっそり買った(青森県では当たり前に有るという)シベリアという高カロリーのお菓子を食べて手術に向けての体力確保を図った。21時になるとアリスタット(胃液を抑える薬)を飲み、その後絶食となり、消灯就寝した。今日はよく寝なくては、と思い床に就く。意外にもすぐに眠れた。緊張感は全くない。これは看護師さん始めスタッフの方々が非常に優れものであるからだろうか。はたまたYskが変人だからだろうか。おそらくどちらも正解かと思われる。

 手術当日 朝6時に起床。すぐにアクアソリタを1時間かけて飲まされる。経口補水液である。まずい。最後の100mlでアクアソリタをもう一錠。その後絶飲食。この時点で7時。8時に術衣に着替えた。先生が来て点滴の管を入れる。何の薬剤を入れているのか忘れた。いよいよだが実感に乏しい。特に緊張感は無い。この後歯を磨いた。口の細菌が肺に入ると、術後肺炎が引き起こされる可能性があるからだ。915分くらいまで、友人と形態で連絡をとっていた。極めてリラックス。まだ全然実感無しだ。9:20手術室に歩いて移動。メガネは通常外して行くらしいが、手術室の中を見たいのではないかとの特別な?配慮をいただき、メガネをつけて行って良いと言われた。完全に変人扱いだ。たぶんそれもかなりだと思われているのだろう。手術室の中に入ると麻酔科の先生と看護師さんが出迎えてくれた。穏やかである。部屋が4つありますなどの端的な説明をしてくれた。少しばかり、高価そうな機械についても説明いただけた。やはり頭は手術の事はまったく考えておらず、そこで働く人の様子に見入っていた。会話をすることによって多少なりとも緊張をほぐそうとしているのだろうが、よりによって手術室の説明をするとは先生も内心苦笑いなのではないか。オペ室に入るとメガネを外してネットを頭に被る。脳波を図る機器や心電図の機器が取り付けられる。いよいよという感じ。本当に緊張は全くない。スムーズに準備が進み、麻酔科の先生が「じゃあ始めます」と。ひょっとすると素晴らしい病院なんじゃなかろうか。

 さて、ここからはライブだ。
麻酔科医「それでは薬を入れて行きます。最初は弱い薬ですので、だんだん瞼が重くなります。続いて強い薬を入れますと、完全に麻酔がかかると思います。」
Y「はい、よろしくお願いします。」
麻酔科医「では行きますねー。はい、入り始めました。どうですかー、瞼が重〜くなりますかー?」
Y「(お?もう少し?お?)あー来ましたね、重いです。笑(緊張感無し。とにかく興味深い。)」
麻酔科医「では強いの行きましょ〜う。」
Y「(来いやー!ちょっと抗ってやろうか。)はーい。おーー?!?!?!、、、、、、」
(声には出さなかったが、感覚がとても面白くて笑っていたと思う。とにかくニヤニヤしていたのは覚えている。が、次の瞬間は、、、)

執刀医?麻酔科医?「YskさんYskさん、お疲れ様でしたー。終わりましたよー。」
(私の意識が戻ると同時に気管に入っていたチューブが抜かれた。)
Y「?!?!?!はい。。」
執刀医「現在125分です。大丈夫ですか?」
Y「腰に痛み有りますね。(当たり前)でも大丈夫です。」
執刀医「呼吸は大丈夫ですか?」
Y「おそらく」
執刀医「では、戻りましょう」(この辺の記憶は多少あいまいで飛んでいる)

看護師さん「はい、戻りましたよー。現在1215分です。」
Y「はい、ありがとうございます」
と言ったつもりだが、声が出にくい。かなり渋めのハスキーボイスである。

 実際に行ったのは内視鏡的ヘルニア除去術。この予定でそのまま済んだとのこと。手術は全身麻酔の後に全裸にされてうつぶせにされ、それから切開が始まった模様だ。Yskは腰椎が一つ多いらしく、第五腰椎と第六腰椎の間のヘルニアを除去した。まず第五腰椎と第六腰椎の間を2センチほど切開する。そこに内視鏡を突っ込んで手術をする。皮膚の下にはすぐに骨があるはずだが(棘突起?)まずはそれを除かないと先に進めないので、その骨を多少なりとも削る。続く筋肉や靱帯(棘間靱帯とか?)を切開したり避けたりしながら奥に進む。骨付近に辿り着いたら黄色靱帯を切開して脊柱管まで行く、その次に見えるのは神経の束である(馬尾神経?ちょっと良くわかりません。ちなみに上の方だと脊髄だが、下の方では枝分かれしているので馬尾というのか?)。それを傷つけないようにしてヘルニアを取り除く。また、酷いヘルニアの場合、椎間板の外側の繊維輪の更に外にある後縦靱帯を突き破って出ていることがあるらしい。私の場合のヘルニアは、その膜は破っておらず、繊維輪から飛び出た随核が後縦靱帯で止まって骨髄の神経根(特に左足に伸びる神経を圧迫している状況だったとのことだ。外から見てみると、黄色靱帯を切った所で下からボコッとした突起が見られたとのこと。なお、自分は第六腰椎椎体の端が変形しており、それによる神経圧迫も疑われていたが、切開して中を見た結果、その可能性は低いとされ、骨の変形をどうにかする手術は必要無しとされた模様だ。それで、そのボコッとした突起を除く必要があったため、後縦靱帯の一部を切開して、そこの穴から飛び出した随核のヘルニアをつまみ出したとのことだ。内視鏡下だったため、かなりの低侵襲で出来た模様だ。なお、できる医師は今現在日本に20人ほどしかおらず、Yskのいる地方にはまったくいないのだが、PED法と言われる手術法だともっと小さな穴(8ミリ程度)で出来るとのこと。しかも局部麻酔も可能らしい。しかし、かなり高度な技術が必要で、目で見て見えないのだし、可動域も狭い中での手術のため、神経を傷つけるなどの危険性は上がるらしい。なので、今回はMED(内視鏡下)でオーケーとした。また、本当に安全第一で手術をする場合、旧来のLOVE法と言われる大きく切開する手術を選択することが勧められる。これは外科医が肉眼で確認しながらやるため、失敗は少ないようだ。しかし、侵襲がかなり大きく5cmくらいとなるため、術後の痛みは大きいらしい。歩けるようになるまでに、内視鏡以上の時間がかかるとのこと。1週間程度か?(詳しくは前回の投稿かそれ以上にGoogle先生に聞いて下さい。 ともあれ、そんな様子で手術は完了し、Yskの手術は終了した。。。らしい。。。
脊椎近辺の図:参考にどうぞ(Google先生より)

術後に先生と立ち話した時に書いてくれた図。もはや授業。実に楽しかった。笑



 実は、その後に本当の戦いが始まった。とにかく寝ているのが辛いのだ。どうしても体の置き所に困る。どう寝ていても腰や背中、首に痛みを感じる。更に困ったことに、左手に点滴、指にパルスオキシメーター、胸などに心電図、腕に血圧計、足にエアーマッサージャー、口に酸素マスク、大切な部分にカテーテル、とチューブ祭り状態なのだ。おそらくは術中に既に麻酔薬と同時に痛み止めが打たれているので、切開して骨を削った部分の鈍痛が主な痛みではある。しかし寝ているのが本当にとても苦痛なのだ。術前から手術の直後は自分で寝返りを打ってはいけないと言われており、寝返りを打ちたい時は看護師さんがやるとのことであった。とにかく不快で寝心地が最悪なので少なくとも30分に一回はお願いしていたと思う。看護師さんに「体の置き所に困りますよねー」って言われたのだが、これはまあ、「寝返り頼みすぎだろ」のサインと解釈した。控えますが。。。難しいです。ついでに、寝たきりの辛さ以上とも言える本当に不快な違和感が局部カテーテルだ。こちらも嫌で嫌で仕方ない。いつも出ている感じ。違和感、不快感しかない。なので、これを抜きたいと希望した。術後1時間経っているだろうか。。(本当にわがままだ。笑) すると看護師さんはなんとOKと。で、抜くのだが、こちらの方が手術より圧倒的に恐い。とにかく痛いと言われていたので。しかし、やらねば(なんだその義務感は笑)。で、お願いした。看護師さん「じゃあ行きますね。」Ysk「はい。」で抜かれる。痛い。さすがにぎゅーっと目をつむってしまった。手術の痛みとは完全に別物。意外とするするとは抜けず、外に向けて外圧がかかっている感じの太い管が現れた。そりゃ痛いわけだよ。こんな太いの普通入るか。しかし、抜けた。気分爽快とまでは行かないものの、安心感が出て来た。するともよおす。流石に歩けないので、容器をお願いする。しかし、気のせいだったのか、いざとなると出ない。あれ?と思って看護師さんに「すみません、勘違いでした」と伝えると、そう言ったことは抜いた後によくあるらしい。そうか、と言うことで、ここはとりあえずもう一度休むことにした。

 看護師さんに頼むのはダメと思いながらも、結局はその後も寝返りを何度もお願いした。痛みは確かにあったので(鈍痛)、途中で痛み止めの点滴をお願いした。ロピオン(フルルビプロフェン アキセチル)という鎮痛剤を点滴で入れてもらうと、随分と楽になった。Yskの体には一番効くと勝手に思っている鎮痛剤はボルタレンであるが、即効性を考えると座薬を処方すると言われた。つまり、看護師さんに入れてもらう事になるので全力回避した。ロピオンが効いて良かった。その後6時間から7時間おきにロピオンの点滴をお願いすることになる。翌日の朝まで続けた。15:30になると先生が術後の説明と経過観察に来て下さった。その時に「どうですか?」と聞かれたので、「寝てるのが一番辛いです」と伝えた。そしたら「起きますか?」とのこと。「えっ!?」と思い、嬉々となる。術後まだ3時間だ。痛いのは当然だが、とにかく寝ているのが辛い。なので起きます。横向きになってベッドの柵を利用して起きる。起きられた。案外余裕。嬉しい。

 先生「足はどうですか?外しますか?」本当に嬉しい。即答でお願いして外してもらった。意外とこの足のエアーマッサージャーが邪魔で眠れもしないのだ。うとうとして眠れるかな、と思ったくらいでシューーーーっと入って来て鬱陶しい。この段階で外れて良かった。ただし、これは自分が若いからだと解釈している。もっと老体になっていたら肺塞栓症の危険が高まるため、無理だろう。ともあれ、マッサージャーは外れた。先生「マスクは?」Ysk「え?いいんですか?」と言うことで酸素マスクも外した。ずいぶんと開放感がある。まだ術後3時間である。今考えれば何という我が儘!笑 しかし本能には勝てない。
ここまでやっていただいて先生はお帰りになった。その際にボソっと看護師さんに言っていた。
先生「これから内視鏡の人はこんな感じでいいかもしれません。これで行きますか。」看護師さん「いいかもしれませんね。」
Ysk(内心)「わがまま言ってごめんなさい。。。笑」
と言うことで、ある一定の基準を作ってしまったようだ。図らずも。。。なんか申し訳ない。と言うか、この基準で術後管理して問題が発生したらと思うと本当に申し訳ない期がする。。。是非とも慎重に判断してもらいたい。。。

 ともあれ、その後は極度の疲労感に襲われ、再度眠りにつくことにした。しかし、である。ここから問題が発生した。体が眠りに落ちようとすると、パルスオキシメーターがピーピー鳴りだして、息苦しくなる。逆か。寝落ちするくらいになると息苦しくなり、アラームが鳴るのか。いずれにせよ、その度にまどろみから覚める。なぜだろうと思い、スマホを取り出して調べる。低酸素血症の危険性だ。と言うか予防的措置だ。つまり、まだ呼吸器の機能が全身麻酔によって幾分麻痺しているのだ。働きが弱い。元々眠りに入ると呼吸は浅くなるようだが、麻酔の効果が残存しているため、呼吸能が低下している。結果として酸素が足りなくなり、息苦しくなる。オキシパルスメーターも警報を鳴らす。なので、看護師さんを呼んで酸素をつけてもらった。すると何と楽なことか。ここで酸素チューブの意味を初めて知る(アホ)。とにかく寝ていても息苦しくない。酸素ってスゲー。酸素ありがとう!酸素万歳!!笑


 と思って寝る。そして夕方に起こされる。飯だ。おかゆを食べるとのこと。全身麻酔をした人は吐き気をもよおして食べられない人がいるらしい。しかしそんなことはYskにはまったくの無縁であった。なにしろ前日夜から絶食だ。即座に全てをかき込んでまた横になった。その日はこれからひたすら寝るだけだった。寝返りも自分でやって良いと先生がおっしゃってくれたので、看護師さんの手をわずらわせることなく、自分でしょっちゅうやっていた。しかし、寝ると言っても一時間から二時間おきくらいに看護師さんが色々と経過観察をしに来てくれるので、(大変有り難いことだし、必要不可欠のことだが)熟睡というわけにもいかなかった。(無論看護師さんの献身的なご対応には本当に感謝している。)特に点滴は重要らしく、痛み止め、抗生剤、ブドウ糖液等の点滴剤を何度も交換しては輸液していた。ありがとう。しかし度重なる輸液のせいか、トイレがもの凄く近い。容器の交換を何度となく繰り返しお願いしてしまった。本当にすみません。これは個人差が大いにありそうだが、こんなんで看護師さんのお手を煩わせてばかりなら、ベッドの下にでも石油タンク並の大きなタンクを置いてくれれば、全て自分で処理できるのに、、、と心底思っていた。
 もう一つここで一つメモしておきたいのは、トイレ時の痛みである。特にカテーテル抜いた後の数回はとても痛い。粘膜が傷ついているからだろう。全身麻酔による負担を考える時に、そこの痛みのコントロールにも今後ぜひ気を使っていただきたいものだ。とは言っても、トイレの回数を重ねれば自然と痛みは緩和されたのだが。
 その他、頻繁に看護師さんが確認していたのは、切開した腰に繋がれた血液ドレーンの管から出る血液の量である。この出血量が減ってくるとこのドレーンを抜くらしい。初日は100mlくらいの血液が出たようだ。何のためにこのチューブを入れているかと言うと、切開した筋肉や皮膚から血液が出るのは当然として、それが傷口や筋肉の中で固まると、ヘルニアのようにそれが障害物となってまた神経を圧迫する可能性が高まるとのこと。それゆえ、その血液を外に排出するためにドレーンを挿入しているらしい。よく考えられたものだ。最終的にこの血液ドレーンは3日後に外された。(先生が不在だったので、普段よりはちょっと遅めだったらしいが。しかりしっかりと血液を抜くのだからその方が良いとも考えられる。)
 ともあれ、この様に多少の不自由を抱えながらもその日の夜は横になって寝返りを繰り返しながら翌朝を迎えた。

続きは次回。歩行・リハビリ編。
それでは。


Ysk

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