英国でポスドクをして大学教員になった若手研究者のブログ

ポスドクの研究留学日記的なブログ

2013年4月28日日曜日

学振とポスドク

どうも、Yskです。
最近は晴れの日ばかりで、1年分の晴れの日を使い切ってしまうのではないかと不安すら覚えます。ばく

さて、まずは、すみません。今回はえげつない話なのです。ここ数ヶ月、私のとある記事にいきなりアクセスが急増しています。 ブログやってる人は知ってますよね。一日に何件のアクセスがあって、どの記事が読まれているかって。私のブログは商業用でも宣伝用でもないので普段はほぼ無視ですが、今回はちょっとどうしても気になってしまいました。

それは、読まれている記事が「学振・海外学振」に関する内容だからです。私が海外に出るきっかけを与えてくれた日本学術振興会(JSPS)という独立行政法人の支援機構です。
これに関して書いたやつはこちら。
http://vl--lv-orgchem-jpn-ox.blogspot.co.uk/2012/04/blog-post_18.html
http://vl--lv-orgchem-jpn-ox.blogspot.co.uk/2012/12/blog-post.html

近々その申請の締め切りがあるんですね。なので申請書の上手い書き方、学振に関する情報などを得たい人が研究者界隈で急増しているんでしょう。学振、特にPDや海外学振は若手研究者(ポスドク)が研究生活を続ける上での死活問題ですから、良い情報を揃えるというのは必要条件です。と、必死になって情報収集をしてくれたおかげで、私の所のアクセスが異常に増えているわけです。(嬉しい話ですがね。ありがとうございます。)

しかしですね。。。私のこのブログはそのような方に役立っているとは思えません。汗
ごめんなさい。爆 多くの方が必死になっている所を無駄な時間を取ってしまっている感じがします。。。なので、私なりの考えを書いてみたいと思います。

その前に。この様な内容について非常に詳しく書いている人はごまんといらっしゃいます。「学振 申請書 書き方」とでも入力してググれば一発で膨大な検索結果を得られます。中にはまとめサイトみたいにしてくれているのもあるので、とにかく情報が欲しい人には参考になると思います。中には研究室のHPで公開している場合もありますね。審査委員の先生が書いてくれているのだから、有り難い情報であります。

さて。結論から行きます。
「十中八九の攻略法なんて無い」

これが結論です。爆 ダメやん。笑
私は落ちたこともありますし通ったこともあります。その経験から考えるとそうなるのです。今まで「良い書き方」的な情報をネットで真面目に読んだことはありませんでしたが、今回多少の記事を読んでみるに、攻略法とは言えない感じがします。というか、指摘されていることは、世の中の常識に過ぎないと思うのです。人様の時間を奪って読んでいただく文章が解りにくい物であったら、申請の可否の問題以前に失礼そのものです。そのくらいの気を遣ってください、ということに過ぎません。

じゃあどうすりゃいいんですか??という話ですが、先ほども申しました様に絶対大丈夫なんて無理です。しかし、最善は尽くしましょう。それ以外に方法はありません。以下に私が思う最善を考えます。上述の常識に関しては除きますが。
(ちなみに、どう考えても絶対通る書き方なんて存在しないとは思いますが、ある意味で闇に包まれた評価方法には問題が大いにあると、私は思います。これに関しては後半に書きます。)

まず成果を挙げましょう。発表論文数が多い方はそれだけでOKです。これが一番強力な手段。(特に海外学振やPDはこの項目の重要性が大きいと私は実感しています。だって、大学院から5年以上も研究やって来て、発表論文が少ないということになると、どうしても研究者としての素質を疑いたくなるのは、ごく自然な理解でしょうから。)

次に良い評価書を作成していただきましょう。というか、そのような評価書を作っていただけるように、常日頃努力しましょう。評価書がダメな人はまず通らないと思います。本人の意見よりもプロフェッサーの意見の方に重みがあるのは当然ですもん。基本的に指導教員の先生に評価をしてもらうことが多いと思いますが、その先生と上手くやっていけない場合、その半分以上は自分に問題があると思いましょう。 努力の跡を示し、自分の能力も理解してもらうようにしっかりとしたコミュニケーションとディスカッションを頻繁にしましょう。少なくとも成果が出ていなくても研究遂行能力があることは理解してもらいましょう。そういう努力は惜しまずやりましょう。

と、あまり申請書と関係無いことを先に書きましたが、ネットで情報収集をしている人の大半は当落線上にいるぎりぎりの人たちでしょう。上記の2つは自分ではどうしようも無い場合も多いですから、以下ではそれ以外の事を書いてみます。

まず失礼の無い文章を書くように、自分だけでなく他の人にいったん読んでもらうことを私はオススメします。特に専門が同じで無い人が良いですね。その人が理解不能な文章を書いていたら失格でしょう。笑

そして、その上で私が最も言いたいことを書きます。
「オリジナリティを伝える」ということです。この手の話になると、面白みがある研究内容じゃないとダメ、という事を聞きます。面白さが伝わるように、とも聞きます。じゃあその面白さって何なんでしょうね?私はこの非科学的な物差しを、オリジナリティの有無と理解します。今こうやってネットで情報を集めてそれを詰め込んだだけでは絶対にダメなんですよ。それで満足しているのは自分だけでしょう。その上に、研究のオリジナリティを表現する必要があると思います。

これから行う研究の重要性や独創性、または将来性について、適確に表現する必要があると思います。ただし、ここで重要なことはその実現可能性であります。海外の申請書を書くと解るのですが、単なる夢物語は評価を下げる要因になります。発想や着眼点の良さを起源として、目的の研究をどの様に開拓していくのかというプロセスを、現実味を持って伝えなければならないと思います。それが科学的なプロセスです。重要な参考文献を引き合いに出して論ずるのは一つの手でしょう。(natureやscienceなどのビッグペーパーである必要はないと思います。そんな陳腐な評価基準は捨てましょう。オリジナリティという観点からするとマイナス効果にもなり得ます。)手段は色々とたくさんありますが、とにかくオリジナリティや目標(夢)と実現可能性の絶妙なバランスを取ることが肝心かと思います。

それと、オリジナリティと言えば、研究だけでなく申請者そのものにも言えることです。これが出るのが、「自己評価」や海外学振の「海外で研究することの意義」でしょう。つまり、自分がどのような人間で、これからどのような研究者になろうとしているのか、という、いわゆる「自分という人間を表現する場」であります。この部分をネット情報に基づいて、他人様と似たり寄ったりの話を書いても面白いわけがありません。私は、自分自身と深く向かい合って、独特な自己分析を行うことを薦めます。他の誰にも真似できない私、これこそがオリジナリティ溢れる私、なのです。 研究計画と同等、またはそれ以上に練りに練って書くことを薦めます。(私が惨敗した時は、この部分が非常に足りなかったと反省しています。それでも絶対通ると言うことは言えませんが。)

ネット情報については、ざっと見てみただけですが、それで目に止まらなかったことを書いてみました。私と同じ、若手研究者の皆様の少しでも助けになれば幸いです。読んでくれた研究者の皆様、何かご意見があればコメントをいただけると嬉しいです。

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以下、話は変わります。まだ興味がおありの方は、どうぞお読みになって下さい。

今回、もう少し書きたいことがあります。それは学振の評価についてです。私は学振の申請書で絶対大丈夫な攻略法なんて無い、と書きました。それは評価そのものに問題があるからだと考えます。海外のものと比べてみると、その不思議さに気がつくのですが、研究者同士が同業の研究者の評価をするって、非常に難しいのではないか、と。客観的になれと言っても無理があります。政治的な要因だって無いと言えば嘘に決まっています。狭い世界ですから。そして、何よりも私がおかしいと思うのは、申請書の評価は落ちた人だけに開示され、しかもそれがABCDのみということです。これでは、なぜ落ちたのか、何が良くなかったのかを分析することが非常に難しいです。発展性がありません。

海外はどうかというと、欧州最大のファンドの場合、審査委員は科学的専門知識を持っていますが、研究者ではありません。なので、研究内容についての理解はできるけど、研究者の世界で生きているわけではないので、政治力学に流されることは日本よりも少ないと感じられます。更に、1つの項目ごとに、良い点と悪い点が2,3点書き出されます。これによって、自分の申請書の分析が適確にできるわけです。どのように書くべきか、回数を重ねれば確実に解ってきます。これこそが日本学術振興会のシステムに足りない部分だと思います。

アメリカも同様らしいですが、欧州も博士を取得した人が務める機関で、このように科学研究費を司るファンドの審査をするところがあるようです。日本のように、研究者の先生同士がお互いの研究を評価し合うということは希なようです。(詳しくしらないので、情報収集不足の可能性もありますが。。。しかし大型ファンドに限っては、専門の審査委員がいるとのことです。) 私は、良い意味でドライな判断が下され、かつ、評価基準も明確にされて、申請者側からするとやりやすいシステムなのではないかと思います。日本の場合、現状のシステムだと、どうしても大御所の有名な先生の所にお金が集まりがちですし、政治的に力を持った先生には刃向かえないということが、負に働く場合も考えられます。資金の潤沢さが研究成果にある程度の影響を与えるとも言えますから、そのあたりで不平等が起きているとも言えます。つまり、「競争的獲得資金」と言いながら、実は本当の競争ではない部分も大いにあると、私は思うのです。

審査をする先生の立場から考えても、 良いとは思えません。まず、審査をしっかりしようと思えば思うほど、本業の研究や教育に打ち込む時間が減ります。そして、知っている先生やその先生の学生だったりすると、客観性を重んじた評価に困難が生じます。大御所の先生だったら、やりにくいことは言うまでもありません。学振に限らず、いわゆる科研費だって同じでしょう。本システムには問題があるのです。

私達ポスドクにとって、自分の給料も含めた資金繰りは死活問題です。そこにかなりのエネルギーを注ぎます。だからこそ、評価基準や結果の明確さが望まれるのです。論文発表重視ならそれを開示すべきだし、どのような若手研究者を優秀と定義するのかも明確にすべきです。大切なのは、ABCDという記号で表される評価ではなくて、もっと内容の濃い評価なのです。そして最終的には、どのような研究者を育成する意思があるのか、その明確な方向性を見せるべきです。多様性という感じの良い言葉で濁すべきではありません。日本学術振興会は日本学術会議という日本学術界の最高機関に付随する財団のようなものですから、いわゆる「村社会」とならないように、現在闇に包まれた部分をクリアにしていくべきだと思います。そうすれば、少なくともそれにそぐわない研究者はポスドクにはならないでしょうし、能力の劣るポスドクが日本中または世界中を漂流しなければならなくなる、という悲惨な状況も減少に向かうでしょう。イギリスにいて考えるに、日本の学術システムで欧米に劣る部分は、このシステムによるところが大きいと思います。

総じて、日本学術振興会のDCやPD、海外学振には本当に感謝していますが、現状のシステムは変えるべきだと思います。有名大御所の先生の既得権益になりかねないこのシステムを辞めて、学術振興会の内部に専用の評価委員会を設けることを提案します。 余剰博士の新たな受け皿にもなるでしょうし、日本の科学技術界の将来のビジョンを描くにあたり、彼らが大いに活躍できる可能性も開けます。もっと言えば、文部科学省にもそのような部署が設けられることを望みます。厳しい研究の世界で激しい競争を体験してきたものの、不幸にも研究の世界には残ることが出来なかった人たちを、次の世代への社会還元を行うために有効に活用するのです。ポスドクと言えば、不幸にも社会的には非常に弱い立場なのですが、彼らが得た知識や体験は貴重なものなのです。彼らを社会へと上手く組み込むシステムを構築することは、科学技術立国を謳う日本にとっては大いに有益なことだと思います。彼らが活躍できる場が与えられることを切に望みます。(自分がいずれお世話になる可能性も含めて。。。笑)

学振に絡めて将来の日本の科学技術界を考えてみたYskでした。

ふぁ〜〜〜〜、考えると疲れるぜ〜。また次回!^^/




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